第二章 日帰り王妃とバリア・フリー その2

 王妃バイトは今日も順調だ。

 私は多少慣れてきたバイトの時間に、なやみ事まで出来るようになっていた。

 ルスランは私のことをそういう意味で全く意識してない上に鈍いのであれば、もういっそどさくさにまぎれて好き好き言いまくり勝手に練習して慣れてしまえばいいのでは?

 水中庭園の中で、私はひらめいた。

 いやでもこれ、私が言い慣れると同時にルスランも聞き慣れて、真剣に告白しても聞き流されるようになるだけでは?

 水中庭園の中で、私はしおれた。

 ちなみに水中庭園とは、文字通り水の中にある庭園である。空中庭園の失敗をて、本日ロベリアが案内してくれた水中庭園は、遠目から見たときはおまんじゆうみたいだなと思った。地面の上にででーんとちんする水饅頭。ファンタ、ジー?

 四方八方を水におおわれた光景は水族館に似ている。ただし、かべまですべて水の水族館だ。この水は形を持って庭園を覆っていても、決して固形になっているわけじゃない。なんでも、この水饅頭もとい水中庭園は、形を変えられる特性を生かしてたくさんの人が入っても個室のように区切ることができるそうだ。声もひびかないからちょっとした話し合いの場にも使えるそうだけど、如何いかんせん壁が水だから誰が誰と話しているか見ようと思えば見れてしまうこともあり、密談には向いていないという。

 だから気をつけろよとロベリアは忠告してくれたけれど、今のところ密談を行う予定もなければ、ここが魔力が無いと使用できないせつである限り私が使える未来もない。

 水がぐにょんとたわんだ様子を見るに、また誰か使用者が入ってきたのだろうけど、水がけてくれるのは魔力で寄せているからだ。私が使用しようとしたら、ぶにぶにの壁に押しもどされるだけである。早急なバリアフリー化を求む。バリアはフリーらしいけど。

 壁もてんじようも水に覆われ、はすみたいな葉っぱも花も水の中を流れていて、いつまで見ていてもきない。あ、魚もいる……けいこうペンみたいな色した魚、初めて見た。きらきら光って星みたいだ。魚達はくるりと一回転するたびに色を変え、形を変え、大きさを変え、自由気ままに泳ぎ回っていた。……君達本当に魚? LED仕込まれた折り紙とかじゃなくて?

 指で壁をぶにぶにとつっついてみる。指の力で中に押し込まれていくけど、破れたりしないし、指もれていない。天井部分はうすくなっているのかロベリアが薄くしているのかは知らないけど、壁部分より水の量が少なくて光源がさえぎられずそれなりに明るい。でも、文字を読んだりするには少々うすぐらい、というのを理由に、宿題はそっとわれたままだ。やっぱりほら、目は大事にしないといけないと思うのである。目も心もむしばむ数学の宿題は、明るい光の下で穏やかな気持ちで行われるべきなのだ。

 ポケットに単語帳だけっ込んで、思いっきりびをする。そう、今の服にはポケットがあるのだ。なら、今日の私は制服だからである。放課後からの数時間だけならともかく、朝から晩までドレスでは、気も張るしかたると最初の週末でりたのだ。基本的に服装規程はないし、ルスランからも許可は取ってあるが、足とむなもとが出る服はだということでまず制服であるセーラー服がきやつされた。学校の制服がアウト判定をくらったら困る。だって制服は、全ての礼装として使える学生特権の正装なのだ。協議の結果、足はタイツをはくこと、上はカーディガンをはおることで決着がついた。このかつこう、絶対夏は暑いので、また協議する必要がありそうだ。

ひざしたスカートも駄目って、判定厳しいよね……」

「王妃様が開かなかったさくを乗りえようとしてたってうわさを耳にしたんじゃね? 事実だけど」

「うっ……魔力が無いと開かない柵にも問題があると思いませんか?」

 しまったごう自得だった。膝下のスカートも駄目となると持っているスカートのほとんどがアウトだったので後でごねてみる気だったけれど、自分のせいとなると話は変わってくる。ルスランからスカートOKが出る優等生になる方が先らしい。

「王妃様業なんにもしてないのに、課題が増えていく……」

「それな」

 じゆうこうな声の似合う重々しいふんのおじさんが、軽い言葉を返してくる。いつの間に姿を変えていたのかとぎょっとまばたきしたら、指をしゃぶっていてもおかしくないくらい小さな女の子が大きなひとみできょとんと私を見上げていた。どうしよう、異世界にはちょっと慣れてきたと思っていたけど、一番身近なはずの護衛に慣れない。

「おうひさまはさ、どんなおうひになりてぇの?」

 舌っ足らずな様子まで見事に再現されていて、目の前にいる女の子は本当に小さな小さな子どもではないかとさつかくしてしまう。まあ、瞬きの間にむきむきむっちょまんになっていたので、本当に錯覚だったのだけど。

「どういう意味?」

「いやさぁ、何て言うのかなぁ」

 今度は見上げなければならなくなった相手のためあごを上げる。上げたり下げたり、存外つかれるものだ。でも顔を上げたところでまた姿が変わり、見慣れた大人しいちやぱつの女の子になっていて、大体同じ目線にほっとした。

「レミアムはさ、世界でゆいいつの独立国家だから、王様すっげぇいそがしい方だし、その分敵も多い。この辺り聞いてる?」

「ん、あんまり」

 忙しいのは知ってる。見ていれば分かるから。だけど、どうして忙しいかは知らない。ルスランは教えてくれないから。聞いても、私には教えてくれないから。

 私は絶対にルスランの味方だと分かってるくせに。

 そういうところは、ちょっとずるい人なのだ。

「そっか。──聞く?」

「うん」

 もちろん。

 躊躇ためらわずうなずいた私を見て、ロベリアはちょっと目を細めた。


 じゆつを使うには必ずずいしようが必要となる。それはルスランとひいばあちゃん以外のどんな人間にも共通のことだ。だけどというべきか、だからというべきか、その黄水晶をめぐっての争いは絶えなかったという。

「力のある国が黄水晶をどくせんし、黄水晶が足りない小さな国や弱い国は生活にすら事欠くようになった。大量の者の後に流行はやったえきびようめつぼうした国すらあった。その現状をうれえた人々が、黄水晶を平等に配分しようと声を上げ、出来上がったのが協会だ。協会は世界中の黄水晶をいつたん保管し、それぞれの国へ必要数を配分していく方法を取った。もちろん、黄水晶をかかえ込んでいた国や黄水晶産出国はもうはんたいした。それこそ天地をひっくり返すような戦争が起こった。そのえいきようしずんだ国もあったくらいで、あの時代は国が出来たり無くなったり、しょっちゅうだった。だけど段々民衆の思想も協会寄りになっていって、最終的には協会の主張が認められ、世界中の黄水晶は協会が管理するようになったんだ」

 初めて聞くこの世界の成り立ちだ。あったこと、起こったこと、授業ではテストに出るかどうかくらいしか気にせず聞き流してしまう、歴史と呼ばれる話。自国の物は教科としてしか学ぼうとしていない、必死になって知らなくても生きていけてしまうこと。でもきっと、知っていた方がいいことで、本当なら知っていなければならないこと。

 けれど、自国の歴史すらそんな有様の私だけど、他所よその世界の『協会』という単語は知っていた。それがどういった組織で、どういった役割を果たしているかは知らない。聞いたのは一度きりだ。でも、絶対に忘れない約束といつしよに、私はその単語を覚えている。

「だけど、それから何百年かった今は、協会が黄水晶を独占してる。気に入った国へは大量に流し、要求をまなかった国へは最少数しかわたさない。戦争すら管理して、勝敗は協会の思うがままだ。だって、協会のお気に入り国とそうでない国とでは黄水晶の質と数がちがうからな。魔術士のゆうれつは魔術の質やりよくで決まらない。協会のお気に入りになるかいなかで実力が決まっちまうんだ。おかしいよな」

「うん」

「でもさ、そうなってからが長すぎて、もうこれが当たり前になっちまったんだ。各国は協会に気に入られようと必死で、むすめとつがせて少しでもつながりをくしようとか、そんなことばかりに力を注ぐ。今や世界は、協会の属国だ」

 いつの間にか天井のすいへきが厚くなり、日が遮られていた。薄暗くなった水中庭園内を、色とりどりの光をまとった魚がくるりくるりと泳ぐ。

「だけど、レミアムだけは違う。ルスラン様が独立させたからだ。レミアムは世界で唯一、協会にれいぞくしていない。だから、ルスラン様には敵が多いんだ。外にも、内にもな」

「外には、分かるけど、内にも?」

「そりゃあな。協会には、れいぐうされれば生きるにも事欠くがゆうぐうされれば一生あんたいだ。何したって許される。村を焼こうが女おそおうが、王族を殺そうが、すべての罪は不問に付される。協会お抱えの魔術士の罪を問えば、自分達の国が不利益をこうむるからな。だから協会直属の魔術士はほぼ無法だと思ったほうがいいぜ。というか、近づかないほうが無難だ」

 ロベリアの瞳は、私を通り越して後ろの魚を見ている。その瞳の中を、魚の光がくるりくるりと回っていた。今はかげが差して黒っぽい色だけど、本当の瞳は何色なんだろうとふと思う。

「ま、そんなことだから、協会の甘いしるを吸いたいやつ、または今まで吸ってた奴は、そのおひざもともどりたいんだよ。レミアムが協会から独立できたのは、ここが世界でも最大規模の黄水晶産出国だった事と、ルスラン様が黄水晶を必要としないのに世界五大魔術士に名を連ねるほどの力を持ってた事が大きい。そのルスラン様はずっと独り身で、レミアムはほかに王族を持たない。その不安定さから、早い内に協会に許されてそのさんに戻りたいって連中も多い。自分から戻ってくるのと、戻らざるを得なくなるんじゃ、協会からのあつかいはだいぶ違うだろうからな。で、それをまえておう様だ」

 くるりと瞳の中を泳いだ光のように、ロベリアのこわてのひらがひっくり返る。私がやったみたいにこっちに向いた両手の人差し指を見て、思わず瞬きした。

「私?」

「そ。独立以降そっぽ向かれてた貿易も、最近はやっと再開され始めて、いろいろどうに乗り始めた。でも、相変わらずやつかい事はあふれてるし、敵も多いままだ。そんな状態であの方がごり押しでむかえ入れた王妃様にみんな注目してたわけだ。レミアム王のふところがたなとなるか、まさか月光石と成り得る存在か、みたいにな」

「そしてまさかの魔力0!」

「そう! ばくしようした」

 私も同じポーズを取り、両手の指先をロベリアの指につける。二刀流異文化交流である。光りはしなかったけど、体温はじわりと移ってきたし、きっと私の体温もロベリアに移っただろう。特に意味もなく押し合いし合いしながら、ロベリアは話を続けた。

「王妃様つっても、いろんな人いるじゃん。ぐいぐい表に出てくる人、政策に口出さなきゃ気が済まない人、表には出たくない人、地位だけあればいい人、自分の実家が守れればいい人、王様に愛されればいい人、子どもだけいればいい人。王妃様はどれかなぁって見てたけど、いまいち分かんねぇんだよなぁ。楽しそうで何よりだって感想しか出てこねぇんだけど」

「ひたすら楽しいです、すみません」

 ぐいぐい押してたら、ロベリア側の力がけて指先がずれた。そのままおたがい力を抜いてうで身体からだの横にぷらりと落とす。ロベリアの目にはもう光が泳いでいないから、今は私を見ているのだろう。光る魚は今どこを泳いでいるのかなと思ったら、頭上だったようで、いろんな色がきらきらと降り注いでくる。

 まるで星が降ってくるみたいだ。世界にちりばめられた地上の星を、私は見たことがあった。

「んー……たぶんこれ言っちゃうとレミアムの人とか、特に王妃になりたかった人にぶんなぐられると思うんだけど……ないしよにしてくれる?」

「おー。っていうか、俺がこういう話を王妃様にしてるってばれたら、ぶん殴られるどころかあの方に首飛ばされるから、王妃様こそ内緒にしてくれよ」

「えー? ぽろっと言っちゃったら困るから、そういうことは最初に言ってよ。そういう心構えで聞くから!」

 くるくる光を回して色や形を変えていく魚達の中で、いつぴきあんまり動かない子がいて、なんとなく目で追っていく。他の子みたいにあざやかな色をしてないな、めずらしい、なんて思ってちょっと笑ってしまう。だって、珍しいと思ったその子は私がよく知っている魚の色だったから。

「私はたぶん、王妃とかはあんま関係なくて……ただ、ルスランの味方なんだよ」

「好きだから?」

「そう、だけど、たぶんそうじゃなくて……好きとかそういうのの前から、私はずっとルスランの味方でいようって決めてるんだ。好きになったのはその後だから、なんかこう……違う気がするんだよなぁ」

 一匹だけ光らない黒っぽい魚に手をばす。なんだか、きらびやかで夢のような世界に交ざりこんだ私みたいだ。やあ、君も魔力0? 私も魔力0だけど夢がかなったから、君もあきらめないほうがいいよ。十年後くらいにぽんっと叶うかもしれないから。夢の先では、初めての世界でも、初めての景色でも、初めて向けられるたぐいの視線でも、あんまりこわくなかったよ。

 なんだかちょっと親近感がく君にも、特別に教えてあげる。

「私の夢はね、ルスランが一人で泣かなくていいように、手の届く場所にいることだったんだよ。目の前にいるのに届かないのも、自分じゃどんなにがんっても近寄れないのも、本当にくやしかったから」

 チラシの裏に書かれた、なんてことのない曾おばあちゃんのメモで私の夢は叶ってしまった。だから他の望みは自分の力で叶えなければ。

 問題は……好きってどうやって言えばいいの?

 そして、全く反応が無いロベリアをどうすればいいのだろう。話題の切りえに困って視線を彷徨さまよわせた私は、もっと困ることになった。下に向けた掌を前後にって、全く動かないロベリアを呼ぶ。

「ごめん、話変わるんだけど、あの人気分悪いのかな? それともてるだけかな」

「んあ?」

 間の抜けた声を上げたロベリアは、私が見ている先をのぞき込んだ。れる水によってたわむ景色の向こうに目をらせば、がくりと頭を垂れてうつむいている人が見えた。燃えきちまった感じだけど、具合が悪いんだったらほっといたらまずいんじゃないだろうか。でもつかれて寝てるだけだったら起こされるほうがめいわくだろうし。

「んー……だれだー……?」

 ひとみの上に手をかざし、目をすぼめて水壁の奥を覗き込むロベリアは、ふっとかたの力を抜いた。

「見えねぇ。ちょっと近づくか」

 ここから判断することは諦めたらしい。

 ロベリアが掌で水壁にれると、水壁はぐにゃりと動いてその場所をゆずった。私のときはぶにぶに反発してきたというのに。はんこう期ですか。思春期ですか。私だって青春思春期だけど、ぶにぶにいじけたりはしないもんね。

 この世界、ほんと魔力0に厳しい。ぶにぶにいじけながら、ロベリアの後についていく。

「あ」

「あ?」

 ちゆうで気づいてあわてて元の場所に戻ろうとして、すでに閉じていた水壁にさえぎられた。ぼよんとね返ってしりもちをついた私に、ロベリアはあきれた顔をした。打ったお尻とぶつけた顔をそれぞれ手で押さえてうめく。ロベリアさん、大変残念なことに、空中庭園に続いて水中庭園も私には向いていないようです。

「宿題忘れた……」

「わざと忘れてたのかと思ってた」

「えー……」

 あいたたたと打ったところを押さえたまま、そろそろと立ち上がる。あざになってそう。

「私はこれでも平均よりは上位寄りの成績保ってるんだよ。めちゃくちゃ頑張ってその程度だけど。なんですよ、これでも」

 ロベリアの手によってあっさり道を作った水壁をうらめしく見つめながら、数学の宿題を取りに走る。そのときにさっきの黒い魚を探してみたけど、光っていない魚はうすぐらい水壁の中にまぎれてしまったのか、姿を見つけることは出来なかった。


 うなれているのはきんぱつの青年だということが分かるきよまで来てようやく、ロベリアは「んー……」と上げていたあいまいうなり声を「あー……」と確信を持った唸り声へと変えた。

「どっかで見たな……ローウン家の者かな。けつこん式の後に居残りさせられてる面子メンツの一人だな」

「二週間って居残り長くない!?」

 一体何日がかりの居残り業務なのだ。ごり押し結婚式で方々へ迷惑がかかっていることは何となく予想していたけれど、こんなに何日も居残り業務した果てに燃え尽きちまったぜ的な状態になるほどだったとは。それなのに、げんきようの王妃は日帰ってる。

 あれ? 私暗殺されてしかるべきでは?

「結婚式前からルスラン様いそがしかっただろ? あれさ、レミアムのずいしよう他所よそに、っていうか協会に横流しされてた事件を追ってたからなんだけど、式でこれ幸いと関係者全部呼び寄せて話聞いてるってわけだ」

「何も幸いじゃない気がするんだけど」

 一応めでたい日に何してくれてるんだあの人は。

「でもそいつら結構な数が帰されてるから、残されてる面子は薄々疑われてるのを感じてるんだろうな。日に日にへいしてってるみたいだし」

「何も幸いじゃない気がするどころか何も幸いじゃないね」

 結婚式に何をじ込んでくれてるんだあの人は。ごり押し結婚式に容疑者捻じ込みに事後しようだく。ルスランが立派に王様業やれてるか急激に心配になってきた。気がついたときには失業王になってたらどうしよう。失業王と日帰りおう。あ、私達すっごくお似合い! まるで前世からうまくいくことが約束されていたかのようだ。ただし、レミアムの国民のみなさまには今すぐ絶望して頂くしかない。私が国民でもいやだよ、そんな王様と王妃。

「あのさ、私の故郷には報連相って言葉があってね。これ、三つの単語を略してて、部下にも上司にも重要なことって言われてるんだけど」

「三つの単語……報復、れんごくそうかい? にくき相手を地獄にたたき落として気分すっきり?」

「部下と上司のくだり聞いた上でその単語チョイスする!? ……あの、ロベリアさん。ルスランは気難しい所もあるかもしれないけど、私の大事な家族なんで、報復だけはなにとぞかんべんを」

「あ、いま初めて王妃様のこと王妃様って思ったかも」

 私の王妃様業、主にロベリアに対して発揮されてる上に私の思ってた王妃様業と全然ちがう。

 ロベリアが言うにはあっちでぐったりしている人はただ疲れているだけだろうということだけど、それでも意識が飛ぶほどだったらやっぱり見て見ぬ振りはまずい。結局そのまま歩を進めることにした。

 ぐにょんと動いたすいへきが青年がいる部屋とつながると、スープの上にいた油みたいに二つの空間がくっついた。おなかいてきた。ラーメン食べたい。

「あ、あの、もし……そこの方……ど、どこかお身体からだの具合が……?」

 まどいがちでひかえめなロベリアの声に、誰だお前とぎょっとなる。変身だけでもまだ慣れてないのに、そこに演技まで加わったらいつまでってもぎょっとし続ける気がする。

「もし……もし……」

 ロベリアはそっと羽のように青年の肩に触れるけれど、青年はぴくりとも動かないし呻きもしない。ロベリアがめんどうくさそうな顔をしたのを私はのがさなかった。こわも手先も控えめな少女の躊躇ためらいがよく出ているのに、青年が見てないと思ってそんな顔するんじゃありません!

「あの、だいじようですか? 気分悪いんですか? 動けないようでしたら誰か呼んできますが、起きられますか?」

 このままではらちが明かない。私はに座って項垂れている青年の横にひざをついて、顔を覗き込む。二のうでつかんで軽く揺すりながら、かくせいうながす。寝ているだけなのか意識がないのか分からないけど、ここまでやって起きないならどちらにしても誰か呼んできたほうがいいかもしれない。私やロベリアでは、私達より大きなこの人を運べないのだ。でもその場合、どっちが呼びに行けばいいのだろう。ちゃんとお城の地図をあくできてない私より、ロベリアが呼びに行ってくれたほうがいいのは分かるけど、問題はここが水中庭園の中だということだ。ロベリアがいなくなってしまった場合、意識のないこの青年とりよく0の私で、この空間を支えることができるのだろうか。水中庭園の仕組みがよく分からなくてロベリアに聞こうとしたとき、青年がわずかに動いた。

「いっ……」

「大丈夫ですか? どこか痛みますか?」

「うっ……」

 呻きながらじろいだ青年の身体がぐらりと揺れ、私のほうにたおれ込んできた。慌ててこしに力を入れて支える。上半身だけとはいえ、成人男性の身体は重い。つぶされそうになりながらファイト一発でいつしよに倒れ込むのは防いだ。ロベリアが慌てて青年を引きがしにかかる。

「な、なりません、お願いでございます、ど、どうぞ、その方をおはなしになってくださいまし」

 そぉっと触れている、ように見えてわりとしっかり青年の腕を摑んでいるけれど、青年は身体を起こせないでいる。

「ロベリア、私は大丈夫だからお水持ってきてあげて。それと、誰か呼んできて。大丈夫、大丈夫ですよ、もし気持ち悪いならいちゃっても大丈夫ですからね」

 背中をさすりながら声をかければ、青年は私の肩に顔を置いたままちょっとだけ身動ぎした。けれど眩暈めまいでもするのか、すぐに呻き声を上げる。すがるように私の背に回している腕の力が強くなった。

「大丈夫、大丈夫、大丈夫ですよー」

 具合が悪くなった人を相手にするとき、かいほうをする人は絶対にあせってはいけないと外部講師の先生が言っていたのを思い出しながら、出来る限り声を落ち着かせて青年の背中をさする。ただ、申し訳ないけれど何が大丈夫かは分からないし、この大丈夫には何のこんきよもない。ないのだけど、介抱する人の不安は具合が悪い人に伝染するから余計に具合が悪くなってしまうらしいのだ。

「な、なりません、王妃様」

 ロベリアがこそっと耳打ちしてくる。耳打ちといってもロベリアの反対側に青年の頭があるので聞こえているかもしれないけど、青年はそれどころじゃないのか全く反応しない。本当に大丈夫だろうか。

せんえつながら、わ、わたくしが代わりますゆえ、どうか……」

 どもりながらそう言って、そっと青年の背中にてのひらわせてそっとわしづかみにしたロベリアは、そっと青年を引き剝がしにかかり、青年の背中にはロベリアの鷲摑みによりそっと盛大なしわが出来た。……そっととつけてみればいけるかなと思ったけど、どうしよう、全然そっとに感じない。友達プライス色眼鏡でどう好意的に見ても、ふんぬぅ! って感じで力が入っているようにしか見えない。それでも青年はけません。

「ロベリア、いいよ。私でも支えられるし、ずっとは無理だけど。とりあえずお水持ってきて。それとだれか男の人呼んできて。この人を運べそうな人」

「え、ええと……水……」

 おどおどとした演技でちらりと向けられた視線が水壁を見た。

「それは流石さすがにどうだろう!」

「ちっ……」

 何か聞こえたような気がしないでもないけど、すぐにおどおどとした少女の仮面をかぶったロベリアは、具合の悪い人に水中庭園の水を差しだすのはあきらめてくれた。だけど人を呼びに行く気もないらしく、おどおどと青年の背中を引っ摑んで引き剝がそうとする動作を再開しただけだ。ロベリアは私の護衛だから、私のそばはなれちゃいけないのかもしれない。そうなると、水を持ってきてもらうのも人を呼んできてもらうのも、私ごと移動しなければならないということだ。つまり……私がこの人おぶって移動すればいいということか! 無理だな!

「あ、んだ」

 気づいてしまった事実に絶望した私の耳元で、青年がうめきながら身動いだ。

「申し訳、ありません……ごめいわく、を」

「大丈夫ですよ。具合が悪いなら無理しないでください。大丈夫です、具合が悪いときはおたがい様です。大丈夫、大丈夫」

 どうやら意識はちゃんとあるようだけど、どう見ても具合がいいようには見えないし、そんなにすぐ復活するものでもないだろう。しばらくこのままの体勢でいたほうがいいかと思ったけれど、私ははたと気づいた。いま彼は地面に膝をついている私にかっている状態だけど、絶対つうに椅子に座っている状態のほうが楽なはずだ。

「あの、椅子にもどったほうが楽だと思うんで、元の体勢に戻りましょうか」

 足腰に力を入れて、伸し掛かっている青年を押し戻そうとしたら、ふっと重さがなくなった。青年が自力で身体を起こしたのだ。

「大丈夫、です。……本当に、ありがとう、ござい、ます」

 まだ苦しいのだろう。れ途切れにそう言いながらゆっくりと頭を上げた青年は、大変美青年だった。顔面格差社会はんたーい。頭の中で、はちきをした自分が横断幕を持って声高々にさけんだ。


 手入れが行き届いた金色のかみに、だいだいいろひとみ。お日様みたいな色の人だ。ルスランはお月様って感じだから、何だか真逆の印象である。れた弱みと友人と家族の欲目でルスランのほうが美人だと思うけど、この人も絶世の美人だ。私は普通の異世界人です、どうぞよろしく。

 絶世の美人は、今にも泣きだしそうな顔で私に謝るから、何も悪いことはしていないはずなのに罪悪感がいてきた。

「本当に、何とおびすればいいのか……」

「大丈夫です、ほんと、全然。それより具合が悪いんですか?」

 青年の顔色はひどあおめているし、目の下にはくまがべったりだ。それなのにレディーファーストをつらぬこうとするのか椅子をゆずろうとするので、あわてて立ち上がり、こんしんの力でかたを押さえて座らせた。いくらなんでも今さっきまで苦しんでいたリバース一歩手前の人から椅子をうばい取るほど、私は非人道的な人間ではない、と思いたい。あと体調が悪いなら仕方がないけど、きらめきリバースシャワーイベントは出来るならかいしたいのも本音なので、どうか私のためにもあまりちやはしないでほしい。

 私ががんとして譲らなかったからか、青年は椅子を譲るこうを諦めて座り直してくれてほっとする。私はほっとしたけど、青年は酷く絶望的な顔で私を見上げた。

「も、もうです……」

「え?」

「もう僕は終わりです……」

「え」

「ローウン家もおしまいです……」

 しくしくとはかなげに泣き始めた青年に、すごく、ごこが悪い。私の手にはさっきとは別の意味で負えなくなってきました。助けを求めてちらりとロベリアを見たら、おどおどと目をらし、すいへきまでしずしずと下がっていく。ひかえめな護衛が主の意をみ、静かに下がっていったように見せかけて、めんどう事からげただけだと私は知っている。だって目を逸らした、このろう

「えーと……ドウシタンデスカ?」

 どうしよう。なんだか凄くかかわりたくないな! そう思ってもこのじようきようで見捨てていくこともできなくて、仕方なくさっきみたいに青年の足元にひざをつく。制服でよかった。総額おいくら百万円のドレスじゃこんなことできない。

 青年は、下からのぞき込む私と目が合うと、その橙色の瞳からはらはらとなみだをこぼし始めた。

「ロ、ローウン家は確かにずいしようの鉱山としては最も若い新参者ですが、老舗しにせのフェルノ家からどう頂き、それなりの実績を上げてきたと自負しております。そ、それなのに、こ、こんな、こんな、黄水晶を、よりにもよって協会に横流ししているとのけんをかけられるだなんて……」

「えーと……」

ほかにも残っているのは新参の鉱山を持つ家ばかり……その彼らも帰宅が許されるとうわさが……もう、の、残っているのは、ぼ、僕と、責任者のフェルノ家ご当主様だけ、で……フェ、フェルノ家のご当主様は、国王陛下の相談役を務めておられるが故に残っておられる。じゃ、じゃあ、は、犯人、犯人は、僕っ」

 ファイト。

 美人はくめいという言葉が似合いそうな儚げなふんでしくしく泣く青年に、困る。どうしよう。言葉を探している私の手を、青年がいきなりつかんだ。ロベリアがぱっと顔を上げた。

「もうこの世には神も救いもないのかと思っておりましたが、こんなにも絶望に飲まれた世界でも、生きる希望は見つかるのですね……」

「えーと」

「ああ、祖国を裏切っためいを着せられて消えていく身であるこの僕にも、天使のように愛らしくもやさしいあなたのお名前をうかがうことは許されるのでしょうか。あなた様の名をちようだいできるなら、僕はもう死んでもいい……」

 とりあえず生きてほしい。

「僕の生を望んでくださるのですか! ああ、なんて幸福なことでしょう! 汚名を着せられてしよけいされるくらいなら、僕は今この幸福に包まれて死んでいきたいくらいだ!」

 とりあえず生きてほしいし、手を離してほしい。

 思ったよりまずい体調じゃなくてよかったけど、思ったよりまずい人だった模様だ。両手でにぎられた手を引っこ抜こうと立ち上がったけど、青年の手はびくともしない。失礼にならない程度に全力で引っこ抜こうと力をめる。それでもカブは抜けません。私の後ろにおばあさんと犬と……あと何だっけ……とにかく動物ひとそろえが並んで引っ張ってくれたらいいんだけど、残念なことに私の後ろにはくるくる光っている魚達しかいない。

 青年の後ろにはロベリアがいる。そっちじゃなくて私の後ろに来てほしいと思ったけど、ロベリアが青年の首の後ろ辺りに両手を構えているのを見てなつとくした。多分あれ、める気だ。こう、きゅっと。

 さっきまで具合が悪くてぐったりしていた人を絞めさせるのは気が引ける。ここはなんとか普通に手をはなしてもらわなくてはなるまい。おうって大変だ。しかし、それにしても。

「思ったより元気ですね!?」

「そうなんですよ。具合が悪くなるのはいつものことなのですが、今日はやけに回復が早くて。……やはりあなた様は天使!?」

 もう失礼に当たるかもなんてなりふり構っていられない。ちゆうごしになって「どっせい!」と渾身の力で手を引っここうと試みるもびくともしなかった。美人薄命改めかいりき美人のしようごうあたえよう。やっぱりカブは抜けません。

「どうしたんですかさくらんしたんですか水ひっかぶりますか!? ロベリア、やっぱりお水持ってきてー!」

 水を求めて100デシベル。私はぜつきようした。

 錯乱した青年によって混乱した私の絶叫は、どうやら水中庭園にはめいてきだったらしい。ぐにゃりとひときわ大きく波打ったかと思うと、とつじよとしてみずまんじゆうつぶれた。私達の周りにあった空間はそのままだったから水のがいは受けなかったものの、あっという間に開けた視界にぼうぜんとなる。水中庭園だった水は、波が退くようにさぁーっとどこかに消えていく。

 同じく、私の血の気もさぁーっと引いていった。……え? これ、べんしよう? 総額おいくら百万円? もしかしておいくら千万円とか……いく? いっちゃう? うそ

「あ、やべ……」

 青年の後ろで首をきゅっとする準備をしていたロベリアがぽつっとつぶやいたことで、私は確信した。弁償か……。

 引いていく水を無意識に追った私の視線は、ちゆうひとかげとらえてぴたりと止まる。そぉーっと視線を進めていくと、これだけの水が通り抜けていったにもかかわらず、全くれていない高そうなくつが視界に入った。

「…………月子、うわか?」

「この渾身のおおきなカブ体勢を見てそう思うなら、ルスラン今日はもう早くたほうがいいよ!」

 むなもとまで上げてこっちに向けていたてのひらを下ろしたルスランに、真顔で言い放たれた浮気わくに言い返したしゆんかん、おおきなカブが引っこ抜けた。私の手を摑んだままびくともしなかった青年は、何度もこうに私とルスランを見て、ゆっくりと顔をおおった。

「父上、母上……先立つ不孝をお許しください。むすは今日、死にます」

 青年はとりあえず生きてほしい。ファイト。

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白銀王の日帰り王妃 守野伊音/角川ビーンズ文庫 @beans

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