第二章 日帰り王妃とバリア・フリー その1
起立、礼、さようなら。規則正しい
一気にざわついた声と
「月子ー、今日クレープ半額の日だけど、いかない?」
「ごめーん! 私、今日用事ある! っていうか、バイト始めたからこれから毎日
「えー、初耳ー。どこでー?」
異世界! とは
「
「そっか。頑張れー」
「うん、ばいばーい」
「ばーいばい」
ひらひらと手を
私の部屋にある、
角が丸みを帯びて、側面を握られた山形食パンみたいな鏡の下には、浅い引き出しが二つ付いている。取っ手は黄色い石で、鏡の形も相まって
小さな子どもでも両手で
そして四角く切り取られた見慣れた景色の中に、見慣れた
「月子、ちょっとどいてろ」
「はいはい」
鏡台の前を
私の部屋に現れた人は、まだ経験が浅いこともあり、一応一通り不備が無いか自分の状態を
「じゃあ行くか」
「はーい」
そうして今日も私は、異世界の王様に手を取られて異世界に出勤する。
※
「おお……
空中庭園は知ってるけど、本当に空中にある庭園は生まれて初めて見た。
私の眼前には、どこにも柱が無い
未来の自分に後始末を全部押し付けて上り切った先には、高級なホテルみたいな庭があった。凄い、これ、庭だけで入場料取れるやつだ。宙に浮く半球の上とは思えない。木に、花に、野原に、小川に
本当に宙に浮かんでいる庭園は、びっくりするくらい綺麗で、
万が一
真下を見たら怖いけど、遠くを見たらあんまり怖くないだろうと思い、遠くに見える町並みを
絵本のように
「空中庭園つったじゃん」
私の
「本当に浮いてるなんて思わないじゃん……」
「浮いてないのに空中ってつかないだろ」
「それがつくんだよ、私の世界じゃ」
「
そりゃそうだ。
大変
「ロベリア、落ち着かないから姿統一してください」
「おー、悪い悪い。なんか最近調子いいし、変化速度と精度上げる練習したくてさ」
歌うようにくるりと
だが彼は男である。
ようやく姿を統一してくれた相手を見ながら柵から
ルスランが私の護衛としてつけてくれたロベリアは、姿を変える魔術が得意らしく、瞬きの間に男になったり女になったりマッチョになったりムッチョになることができる。一応王妃のお世話係&護衛としてどっちでも通用するように、
実力もお墨付きらしく、年は若いが体術も魔術もトップクラスだとルスランが言っていた。その言葉通り、トップクラスの魔術でさっきからくるくる変わる姿形に目が回りそうだ。顔も体型も声質まで変わるから、さっきから何十人もの人と初めましてをした気分だ。
「私、魔術自体慣れてないんだから、加減してよ」
「ぶっはっ!」
「なんですっごい笑ったの!?」
その護衛のロベリア君は、せっかく大人しい女の子の外見なのに、
「だってさぁっ……も、申し訳ございません
「流石にもう
「やっぱ一週間近くやれば慣れるか」
あっさり表情を入れ
「
笑い方を、からから、から、げらげらへ移行したロベリアは、腹を抱えて笑っている。
「王妃様と会ったのは結婚式の次の日だけどさ、俺、結婚式見てたんだよ。王様から直々に王妃様の護衛命じられたし、先に見とこうかなって。そしたらさ! 王様が測定器壊さないよう最大値でぴたりと止めたのに、王妃様のは
「生きてるよ! 怖いこと言わないで!?」
「生きてるのに0はもっと怖いわー」
すっぱりきっぱり言い切られて、今度は私が崩れ落ちる。生きとし生けるものが必ず持っているはずの魔力が0と言われた悲しみはそう簡単には
私はわっと顔を覆った。
「ただでさえ日帰り王妃って呼ばれてんのに!」
「そうそれ! それもめちゃくちゃ笑った!」
指さしてげらげら笑う私の護衛、めちゃくちゃ無礼! 確かに初日に同じくらいの年らしいし、敬語とかいらないよとは言ったけど、
「パーティーもそろそろお開きで、王妃様はお
「それ私の声
おかしい、好きな人との結婚式って、たとえ
最初こそ全身ばっちり正装礼装のルスランにときめいて心臓が痛いくらいだったけど、
散々である。
ロベリアから私にあだ名がつけられてるって聞いたときは『え!? 結婚式の次の日にあだ名つけてくれるなんて、異世界の皆様フレンドリー!』ってめちゃくちゃ喜んだのに、
「でもさー、王妃様
そうなのである。ルスランは、あの事故
「ほんとびっくりだよ。国と結婚したって半ば本気で信じられてたあの方が、まさか存在を
「私もルスラン血迷ったかと思った」
「えぇー……」
まあルスランからすれば、
こっちに来ればまず
凄くいいお品であろうことは想像に
ロベリアは足を組み、その膝の上に
「でもさ、
「でっしょー? 知ってるー」
「うっわ、腹立つ! あの方、自分のことでは絶対ごり押し政策しなかったのに!」
満面の
「うへへー。長い付き合いだもーん」
「俺だってもう五年以上の付き合いだよ!」
「私はルスランが子どもの
付き合いが長すぎて、恋愛対象として全く見てもらえないのだけど!
だけど、ずっと鏡台
私は、未だべしべしはたかれている指を回収し、ぎゅっと
「だけど、
勢い余って立ち上がってしまったけど、それくらい気合いは有り余っていた。結婚式では、着慣れない服、見慣れない景色に光景に人々に
結果、気合いだけが宙ぶらりんになってしまった。一日中きょろきょろそわそわしていた最初に比べたら、少しは気の
スカートをわさわささせながら、とぼとぼと
特に当てもなく庭園内をぐるりと歩く。見たこともない植物に囲まれていると、本当に夢の中にいるみたいでふわふわする。私は抜けかけた気合いを適度に入れ直す。旅は
バイトの許可を出してくれた時に両親からもらった『相手様に失礼のないようにね』の言葉を胸に、背筋を
「日帰りじゃなくても、新参王妃様はしばらく仕事ないと思うぞ。いま城中ばたばたしてるし」
「そうなんだよねー。だって
「よく知ってるなー」
「でっしょー?」
「うっわ腹立つ!」
人を両手で指さしているのは失礼の
「なんで忙しいのかは知らないけど」
「あー、だろうなー。あの方あんまり仕事のことは喋らなそうだ。というか、雑談してる光景が思い浮かばねぇ……」
「えー? 普段は基本どうでもいいこと話してるよ? 赤はたぬきだったかきつねだったか、とか」
目的もなく歩いていたら、自然と来た道を選んでいたみたいで、空中庭園に
これ、下りるのか……と、そぉーっと下を見る。あ、やっぱり無理。
下手をすると一生ここで過ごさなければならない可能性が出てきた。日帰り王妃改め、空中庭園住み王妃ですこんにちは。
階段が繫がった先を視線で
お城は、透明な部分もあれば
「あ、ルスランだ」
その先を辿ったら、白銀色の
「おー、すげぇ。よく分かったな。王妃様視力いい?」
「んーん、
誰かに向けてちゃんと言葉にしたのは初めての音に、言ってから
「いやぁ、まさかあの方が
「どういう意味でしょう」
なんとか
「あの方と王妃様、全然性質違って見えるし、敵の多いあの方の元にわざわざ世界越えてまでよく
「私は何があっても一生ルスランの味方だよ。友達だし、家族だし……好きだし」
あ、無理。やっぱり恥ずかしい!
内面から
「ルっスラ──ン!」
「
突然全力でルスランを呼んだ私に、目玉が飛び出さんばかりに
ぎょっと目を
「やっほー」
この音量では聞こえないと分かっているけれど、手を
さっきのモーゼなんて比じゃないくらい、ルスランの周りから人がいなくなる。凄い、
「すげぇ……あの方が笑ったぞ……」
信じられないものを見たといわんばかりにルスランに
あの人、『この面どこからでも切れます』をどこからも切れなかった私を見て
しかし、そんな過去はそっと私の胸にしまう。いくらなんでも自分達の王様の笑いの
私は、正直いま初めて、
「あ、それと多分、ルスランここに来るよ」
「は!?」
ん、と、指さした先では、ルスランがくるりと方向
モーゼの再来により再び割れて頭を下げている人達の慌てふためく様が、ここからだとよく見えた。ルスランが戻ってきたことでびよんとばねのように飛び上がっている人を見る
「……これさ、私のせいかな?」
「……日帰り王妃様さっさと日帰ってくれ、くらいは言われてそうだな。っていうか、どうしちゃったんだよ王様ぁ……」
しおしおと
「ロベリアぁー、ルスラン来たよー」
「……お前達は何をやってるんだ?」
一番上までぴったり閉まった
「何もしてはいないんだけど、
「王妃様下りられなくなってたの!? 言えよぉ……」
正直に答えたら、しゃがみこんでいたロベリアが飛び起きた。いやはや
好きな人と向かい合って両手を
そう思っていた時期が、私にもありました。
「無理無理無理無理無理! 高い! 怖い! あと暗くなってきた!」
「だから暗くなり切る前に早く城に戻るぞ! ほら、もう三分の一来たから!
「この角度だと前見たら自然と下見えるじゃん!」
「俺の顔を見てろ!」
「うわぁ! イッケメーン!」
「そうだろ!? あとお前俺の
「うわぁ、イケメンドウクサイ」
「ヤマトナデシコノヤロウ」
結局、ルスランに両手を引いてもらい、へっぴり
「この
「海老みたいじゃなくて海老だな」
「この
「鶏肉みたいじゃなくて鶏肉だな」
「このじゃがいも美味しい」
「それは
「なんでじゃがいもだけ異世界感溢れてるの……?」
一部
異世界の王様の
「ルスラン、自由にできる部屋少なすぎない?」
「ここ以外だと、誰かしらが世話焼きにくるんだよ。マクシムとかマクシムとかマクシムとか」
「
「……食べるの
「…………お母さんに言いつけてやる」
「待ってください月子さん! お母さん
「ルスランのネギまだけネギネにしてやる」
「あ、それはそれで」
焼き鳥改め焼きネギだけでも美味しく頂けるルスランは、あながち
デザートの甘い炭酸水みたいなのを飲みながら、見慣れた部屋の中をぐるりと見回す。今は
「ほんっとこの部屋、昔からなんにも無いね。豪華だけど」
「豪華でも電波入らないんだよなぁ……」
一国の王様が、電波を探して三千里。鏡台とコントローラー持ったまま、寝室をうろうろしている光景は大変シュールでした。
鏡台の鏡を通れる大きさという制限はあるものの、物のやり取りは出来るので、春野家のサンタクロースは、必ず異世界の王様の分も
ルスランが手に持っている飲み物は緑色になって、しゅわりと音を立てた。
「月子さん月子さん」
「なんですかルスランさん」
「王妃バイト、何日かやってみて
「んー……」
水色になった自分の飲み物に口をつけながら、ちょっと考える。ルスランはそんな私を
「好きだなぁ」
間違えたなぁ。
「た、楽しいです」
「何で言い直した?」
「一身上の都合です」
盛大に
「やっぱり机と
私の背を擦りながら
「……回る方がいいです。でも、あんまり重くないほうがいい。あんまり重いと動かすの大変」
「そうか。じゃあ
「浮くの!?」
「浮くぞ?」
当たり前に返されて、全然当たり前じゃない私は浮く椅子を必死に想像した。しかし、想像力が貧困すぎて、
自分の想像力の無さに泣けてきた私は、ついでにもう一つ
「
「あー……」
「指先一つでお手軽簡単レベルの押しボタンみたいな手軽さで魔力要求しないでくれる!?」
「実際そのレベルなんだよ……。みんな持ってるから」
「水の上に魔力で出さないと足場のない通路とか、現れない階段とか、開かないドアとか、つかないライトとか、鳴らないベルとか、一ミリたりとも動かない椅子とか!」
バリアフリーを要求します。
「……バリアは自由に張っていいぞ」
「多分この世界の人には通じないネタだよ、それ!」
「……通じない。普通は
「分かってて言ってるのが腹立つんですが!」
散々、道という道、設備という設備で
「月子は
はい許した。好きな人が私のことを好きと言ってくれたこの事実で世界は平和だ
「あ、そういえば
「へーい……」
全ての諍いも争いごとも許し許され、世界には宿題が残った。
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