第二章 日帰り王妃とバリア・フリー その1

 起立、礼、さようなら。規則正しいあいさつは、解放の挨拶だ。心なしか、朝のおはようございますとみんなの元気度合いがちがう。

 一気にざわついた声との引かれる音を聞きながら、かばんを背負って席を立つ。

「月子ー、今日クレープ半額の日だけど、いかない?」

「ごめーん! 私、今日用事ある! っていうか、バイト始めたからこれから毎日いそがしいんだ」

「えー、初耳ー。どこでー?」

 異世界! とは流石さすがに言えないけど、うそもできる限りつきたくない。

しんせきのとこでお手伝いー」

「そっか。頑張れー」

「うん、ばいばーい」

「ばーいばい」

 ひらひらと手をってくれた友達に手を振り返して、急いで家まで帰る。


 私の部屋にある、ゆいいつアンティークな雰囲気をただよわせている小さな鏡台。

 角が丸みを帯びて、側面を握られた山形食パンみたいな鏡の下には、浅い引き出しが二つ付いている。取っ手は黄色い石で、鏡の形も相まってりんジャムの中の固形林檎に見えて、いつもおなかく。全体も焼きがちょうどいい色合いなのがいけない。いつ見ても美味おいしそう。

 小さな子どもでも両手でかかえて持てるたくじよう鏡台の、小さな引き出しがある台の上に設置されている鏡はもっと小さい。とびらを開けた鏡は、私の顔がぎりぎり全部映る大きさしかない。

 そして四角く切り取られた見慣れた景色の中に、見慣れたうるわしいご尊顔が一つ。

「月子、ちょっとどいてろ」

「はいはい」

 鏡台の前をゆずれば、その場所に麗しいご尊顔+本体が一つ。というか、一人。

 私の部屋に現れた人は、まだ経験が浅いこともあり、一応一通り不備が無いか自分の状態をかくにんしている。それが終わり、片手でマントをはらって私のほうを向く。

「じゃあ行くか」

「はーい」

 そうして今日も私は、異世界の王様に手を取られて異世界に出勤する。ひいばあちゃんのメモに書かれていたじゆもんによってこうして行き来することが可能になったけど、この鏡台が無ければルスランの国に行けないのは相変わらずだ。ルスランいわく、あの何でもないようなメモにとんでもなく複雑な術式とりよくめられていたらしい。曾お婆ちゃんは、近所のスーパーのチラシに大役を押し付けすぎだと思う。



 とうの勢いで始まった異世界王妃バイトは、今日もつつがなく行われていた。

「おお……いてる……」

 空中庭園は知ってるけど、本当に空中にある庭園は生まれて初めて見た。

 私の眼前には、どこにも柱が無いきよだいな半球に一本だけつながっている階段があった。ビー玉を半分に割ったみたいな巨大な半球を目指して階段を上る。足元は絶対見ない。ただひたすら前だけを見て突き進む。これ、上りはいいけど下りは絶対下見なきゃいけないんだけど、どうしよう。一回意識したら一歩も動けなくなる予感しかしないけど、それを今考えたら上ることすらままならなくなりそうで、全部後回しにする。

 未来の自分に後始末を全部押し付けて上り切った先には、高級なホテルみたいな庭があった。凄い、これ、庭だけで入場料取れるやつだ。宙に浮く半球の上とは思えない。木に、花に、野原に、小川にふんすいあずまに……たきまである。ちょっと、ありすぎだ。さらに、木も花も野原でなびく草も、全部知らない品種だ。こんな氷のけつしようみたいな花見たことがないし、青い木も初めて見る。知らない色、知らない形をした存在で形作られた庭園は、夢のように美しかった。

 本当に宙に浮かんでいる庭園は、びっくりするくらい綺麗で、ぼうぜんと視線を回す。空中庭園は、こんなところまで高そうだ……というかんたんためいきれてさわるのを躊躇ためらごうさくで、ぐるりと囲まれている。

 万が一こわしてべんしようと言われたらこわいし、こんなじようきようで柵が壊れても怖いしで、柵に触らないようすきからおそる恐る下をのぞき込む。はるか遠い場所にある地面にくらりとなって、慌てて視線の位置を変える。高所きようしようではなかったはずなんだけど、地面自体が浮いている状況に不慣れなせいか、どうにも恐怖が先に立つ。

 真下を見たら怖いけど、遠くを見たらあんまり怖くないだろうと思い、遠くに見える町並みをながめる。三角、四角、五角形、八角形、平、シャボン玉形などの屋根が見えた。しかも色とりどりだ。目に楽しい、心に楽しい、異世界の町並み。ルスランが生まれて、生きて、治めて、守っている町だ。

 絵本のようにげんそう的な町並みに、異世界だなぁと、美しさも詩的な成分もないなおなだけの感想が浮かぶ。

「空中庭園つったじゃん」

 私のとなりからひょいっと下を覗き込んだきんぱつの少年は、あきれた声で言った。

「本当に浮いてるなんて思わないじゃん……」

「浮いてないのに空中ってつかないだろ」

「それがつくんだよ、私の世界じゃ」

じゃん」

 そりゃそうだ。

 大変なつとくのいく会話をわした相手は、あおがみの美女になっている。ぱちりとまばたきすれば、そばかすを散らした赤毛の少女になった。

「ロベリア、落ち着かないから姿統一してください」

「おー、悪い悪い。なんか最近調子いいし、変化速度と精度上げる練習したくてさ」

 歌うようにくるりとこわを回したロベリアは、ちやぱつの大人しめの顔をした女の子になった。私と同じくらいの年のころのこの女の子が、一番見慣れた姿だ。

 だが彼は男である。

 ようやく姿を統一してくれた相手を見ながら柵からはなれ、東屋に場所を移動した。ドレスを着せてもらえてうれしいけど、ドレスってしゃらしゃらなイメージを裏切って結構わさわさで動きにくい。もっさもっさとスカートをき寄せ、出来るだけしわにならないよう自分なりに気をつけて座った私の横に、ごうかいにスカートをつぶしたロベリアが豪快にどしんと座った。

 ルスランが私の護衛としてつけてくれたロベリアは、姿を変える魔術が得意らしく、瞬きの間に男になったり女になったりマッチョになったりムッチョになることができる。一応王妃のお世話係&護衛としてどっちでも通用するように、だんはこの茶髪の女の子の姿をしているけど、本当は男の子らしい。本当の姿は見たことないから知らないけど、ルスランからは年の頃も似たようなもので、かたくるしいよりこっちのほうが絶対お前に合うとのおすみきだ。

 実力もお墨付きらしく、年は若いが体術も魔術もトップクラスだとルスランが言っていた。その言葉通り、トップクラスの魔術でさっきからくるくる変わる姿形に目が回りそうだ。顔も体型も声質まで変わるから、さっきから何十人もの人と初めましてをした気分だ。

「私、魔術自体慣れてないんだから、加減してよ」

「ぶっはっ!」

「なんですっごい笑ったの!?」

 その護衛のロベリア君は、せっかく大人しい女の子の外見なのに、おおまた開きでひざたたいて大笑いしている。ただのおっさんである。同じ年の頃とか絶対噓だ。

「だってさぁっ……も、申し訳ございませんおう様……わたくし、王妃様になんてご無礼をっ、ああどうしましょう」

 とつぜん顔をハンカチでかくしてよよっとくずれ落ちたロベリアを冷めた目で見つめる。

「流石にもうだまされない」

「やっぱ一週間近くやれば慣れるか」

 あっさり表情を入れえたロベリアは、また大股開いてからからと笑う。そして、さっきしばに使ったハンカチを意外とていねいに折りたたんでふところい直した。雑で豪快に見えて、実はこのスカートも立ちあがったとき変な皺がついていない座り方をしているのだからすごい。

けつこん式のときの魔術量お!」

 笑い方を、からから、から、げらげらへ移行したロベリアは、腹を抱えて笑っている。

「王妃様と会ったのは結婚式の次の日だけどさ、俺、結婚式見てたんだよ。王様から直々に王妃様の護衛命じられたし、先に見とこうかなって。そしたらさ! 王様が測定器壊さないよう最大値でぴたりと止めたのに、王妃様のはしよぱなの位置でぴたりと静止したまま! 多過ぎて測定不能の王様と、全くなくて測定不能の王妃様。あれは笑った笑った。魔力0の人間とか初めて見たぜ。だって、動物はもちろん植物でさえ大なり小なり魔力持ってるもんなのに、0! 俺あのとき、王妃様実はあのしゆんかんに暗殺されて死んでんじゃねぇかと思ったもん」

「生きてるよ! 怖いこと言わないで!?」

「生きてるのに0はもっと怖いわー」

 すっぱりきっぱり言い切られて、今度は私が崩れ落ちる。生きとし生けるものが必ず持っているはずの魔力が0と言われた悲しみはそう簡単にはえない。ルスラン測定だけじゃなくて正式な魔力測定器で測定された上で0であり、しかもその瞬間をレミアム国の国民およひんかくみなみなさまの前でろうされたのだから、私の傷は深い。

 私はわっと顔を覆った。

「ただでさえ日帰り王妃って呼ばれてんのに!」

「そうそれ! それもめちゃくちゃ笑った!」

 指さしてげらげら笑う私の護衛、めちゃくちゃ無礼! 確かに初日に同じくらいの年らしいし、敬語とかいらないよとは言ったけど、だれが指さして笑っていいと言った!? 指さすのは別にいいけど! その代わり私も指すからね!?

「パーティーもそろそろお開きで、王妃様はおたくがございますのでこちらにって呼びに来たじよ達に『あ、帰りはルスランに送ってもらうんでだいじようです。ありがとうございます。ドレスとかネックレスとかもルスランにわたしておきます。それじゃ私明日あした学校あるのでそろそろこのへんで。明日は居残りなかったら夕方に来ます。それでは皆様、本日はお集まり頂きありがとうございました。おつかれ様です、お先に失礼します!』って言い切った王妃様に、俺は伝説の誕生に立ち会った気分だった」

「それ私の声!? 凄いうまいね!? でもさ、月曜日に結婚式やるルスランもどうかと思わない!? 週の初めだよ!? 終わりでも、せめて半ばですらなく、初め! 月曜日! まだ火水木金と残ってる初っ端の日に、全体力と気力を使い果たした私をめてよ!」

 りよくは使い果たす前から0だけども! んだりったりとはこのことである。

 おかしい、好きな人との結婚式って、たとえかりめでも、もうちょっと夢や希望やときめきがあるものではないのだろうか。

 最初こそ全身ばっちり正装礼装のルスランにときめいて心臓が痛いくらいだったけど、はなよめしようは重いわ、わさわさだわ、我ながらにも衣装だったわ、総額いくらか分かんないわ、ヒール痛いわ、えらい人の話は長いわ、魔力は0だわ、ごそうが目の前にあるのにルスランと私はろくに食べられないわ、ルスランは基本的に終始無表情だわ、たましやべっても知っている声音より何段階も低くてお前誰だ状態だわ。それを押してがんって最後まで乗り切ったのに、最後の最後で日帰り王妃のあだ名をつけられるわ。

 散々である。

 ロベリアから私にあだ名がつけられてるって聞いたときは『え!? 結婚式の次の日にあだ名つけてくれるなんて、異世界の皆様フレンドリー!』ってめちゃくちゃ喜んだのに、ふたを開けてみれば日帰り王妃。事実なだけに悲しすぎる。

「でもさー、王妃様しようかいした五日後に結婚式じ込んでごり押しした王様もすげぇと思うけど」

 そうなのである。ルスランは、あの事故しようかんの五日後に本当に結婚式を用意してしまったのである。そんなことが可能なのかとびっくりしたけど、可能だったから結婚式を挙げたのだ。

「ほんとびっくりだよ。国と結婚したって半ば本気で信じられてたあの方が、まさか存在をとくしてたおさなじみ連れてきてれんあい結婚します、五日後にって言われた俺らの気持ち分かるか? あんたが降ってきたってあのくそまじめな一の騎士マクシム様が証言しなきゃ、王様のさくらんを疑ったぞ、本気で」

「私もルスラン血迷ったかと思った」

「えぇー……」

 まあルスランからすれば、そくとうして王妃バイトを引き受けた私はさぞかし血迷ったように見えたことだろう。さらに『へぇー、ルスランのところでバイトするのか。じゃあ安心だねー』とごげんしようだくしてくれたお父さんも、かなり血迷ったように見えていたらしい。でもルスラン、お父さんのあれは血迷ったんじゃなくて、飲み会帰りで酒にってただけです。

 こっちに来ればまずえる、いつの間にか用意されていたサイズぴったりのドレスのすそを引っ張って、ぱっとはなす。この行動に、特に意味はない。王妃バイトを始めてから毎日のように着ているのに、いまだに全然慣れないドレスにかたる。最初こそわくわくしていたけど、ドレスって動くたびにわしゃわしゃ鳴るし、思っていたより自分のはんを広く取って動かなければならないのでなかなかおつくうだ。自分の身体からだのサイズ分だけ気をつけてけても、裾が物や人に引っかかってしまうのだ。だから、動き一つ一つがおおぎようになる。

 凄くいいお品であろうことは想像にかたくないのだけど、それでも何も着ていないようだとか羽のようだなどと形容する域に達するのは難しい。やっぱりだん着ている洋服が一番楽だ。ちょっとよれた服とか最高だ。

 ロベリアは足を組み、その膝の上にひじを置き、手の上にあごせる。何でもない動作だけど、スカートも手首の袖もいつさい引っかけず、最小限の動きにおさえているのかきぬれの音もほとんどしない。元は男の子だというロベリアは、私のものよりそうしよくひかえめではあるけれど同じようにドレスを着ているのに全く苦にしているようには見えないので、何かコツがあるのだろうか。

「でもさ、よこやり入れられる前に無理を押してでも最短でせいじつ作ったのを見ると、おう様相当愛されてると思うぜ?」

「でっしょー? 知ってるー」

「うっわ、腹立つ! あの方、自分のことでは絶対ごり押し政策しなかったのに!」

 満面のみで両手の人差し指をじゆうみたいに構えてロベリアに向けたら、べしべしべしと高速で指先をはたかれた。それでも私の指はロベリアに向き続けていたから、相当力加減がされているのだろう。しかし、高速ビンタが続いている所を見ると、相当腹が立っているようだけど。

「うへへー。長い付き合いだもーん」

「俺だってもう五年以上の付き合いだよ!」

「私はルスランが子どものころからの付き合いだから、十年以上だもーん」

 付き合いが長すぎて、恋愛対象として全く見てもらえないのだけど!

 だけど、ずっと鏡台しにしか会えなかった頃とはちがい、今はちょっと場所を移動すればルスランに会えるのだ。同じ空の下にいるんだなって事あるごとに思い、そのたび幸せになれるって、本当にめぐまれている。

 私は、未だべしべしはたかれている指を回収し、ぎゅっとにぎりしめてこぶしを作った。

「だけど、ひま! 日帰り王妃ってほんと仕事ない!」

 勢い余って立ち上がってしまったけど、それくらい気合いは有り余っていた。結婚式では、着慣れない服、見慣れない景色に光景に人々にしきにで、私自身が気張ってやるべきことはほとんどなかったものの、慣れないことのオンパレードで大変疲れたものだ。その経験があったので、これから始まる王妃バイトはさぞかしこくかと思いきや、放課後に出勤、日向ひなたぼっこ、日が暮れたら室内でロベリアと喋りながらボードゲームやカードゲーム。退勤してきたルスランと夕飯。その後ルスランに時間があればルスランと、なければロベリアと適当に時間をつぶして、21時前になれば、お疲れ様ですお先に失礼します、だ。割のいいバイト過ぎる。こんな仕事内容で高額なお給料もらったら、罪悪感でレミアム国民のみなさま向けて反射的に土下座してしまいそうだ。かといって、何をすればいいか分からないし、余計なことをしでかして皆様のお仕事を増やしてしまったらほんまつてんとうである。

 結果、気合いだけが宙ぶらりんになってしまった。一日中きょろきょろそわそわしていた最初に比べたら、少しは気のき方が分かってきたけど。

 スカートをわさわささせながら、とぼとぼとあずまを出た私の後を、ひょいっと立ち上がったロベリアがついてくる。見た目は地味めで大人しい女の子なのに、動きはみように身軽でそのギャップが結構好きだ。これがギャップえというやつなのだろうか。

 特に当てもなく庭園内をぐるりと歩く。見たこともない植物に囲まれていると、本当に夢の中にいるみたいでふわふわする。私は抜けかけた気合いを適度に入れ直す。旅ははじのかき捨てと言われるけど、私の恥ならまだしもルスランが恥をかくようなことになっては切腹ものだ。

 バイトの許可を出してくれた時に両親からもらった『相手様に失礼のないようにね』の言葉を胸に、背筋をばす。

「日帰りじゃなくても、新参王妃様はしばらく仕事ないと思うぞ。いま城中ばたばたしてるし」

「そうなんだよねー。だってけつこん式とか抜きにしても、それ以前からルスランいそがしかったんだよねー」

「よく知ってるなー」

「でっしょー?」

「うっわ腹立つ!」

 人を両手で指さしているのは失礼のごんだけど、ロベリアも初対面で『あ、日帰り王妃』って指さしてくれたことだし、おたがい様ということで……。

「なんで忙しいのかは知らないけど」

「あー、だろうなー。あの方あんまり仕事のことは喋らなそうだ。というか、雑談してる光景が思い浮かばねぇ……」

「えー? 普段は基本どうでもいいこと話してるよ? 赤はたぬきだったかきつねだったか、とか」

 目的もなく歩いていたら、自然と来た道を選んでいたみたいで、空中庭園につながるゆいいつの道である階段の前に来ていた。はじっこまで来ても受ける風はそれほどじゃないから、もしかしたら庭園一帯にほうがかかっているのかもしれない。魔力0の私には一生確かめようがないけども!

 これ、下りるのか……と、そぉーっと下を見る。あ、やっぱり無理。はるか遠くで小指の先ほどの大きさになっている人をながめ、もう一度階段に視線をもどして心が折れる。どうしてこの階段とうめいなの? そりゃ宝石みたいにきらきらしてれいだけど、美しさとはかなさが同居し、透明度まで加わり、かんぺきだ。この階段絶対『この上通りたくないで賞』今期の優勝作品だ。

 下手をすると一生ここで過ごさなければならない可能性が出てきた。日帰り王妃改め、空中庭園住み王妃ですこんにちは。

 階段が繫がった先を視線で辿たどり、お城のがいへきを眺める。そろそろ夕焼けになろうとしている空を反射して赤く染まったお城はとても綺麗だけど、なんだか燃えているようだ。だけど、燃えているわけがない。だって外壁には、パイプもないのに円柱の形をした水の柱が数え切れないほど走っているのだ。レミアムは世界でもトップクラスのじようすい機能をほこるらしく、水の大国とも氷の大国とも風の大国ともほのおの大国とも呼ばれているらしい。……二つ名、多くない?

 お城は、透明な部分もあればれんみたいな部分もあるし、え、それ紙……? みたいに見える部分もあって、もう素材が何だかよく分からない。ガラスなのか水なのか氷なのか、もしかしたら炎なのかもしれないよく分からないき通ったお城のろうを歩いている集団を見ていたら、とつぜんモーゼのごとく割れた。

「あ、ルスランだ」

 その先を辿ったら、白銀色のちようはつが先頭を歩く集団がいた。頭のはしがちらちらと見えるだけで、しかも後ろ姿なのに、親しい人だとかそれだけの情報でだれか分かってしまうから不思議なものだ。

「おー、すげぇ。よく分かったな。王妃様視力いい?」

「んーん、つう。でもルスランは遠目でも分かるよ。長い付き合いの……好きな人だし」

 誰かに向けてちゃんと言葉にしたのは初めての音に、言ってからしようずかしくなってきた。いやでも、ルスランとの関係を進展させたいのなら、しかもバイトとはいえ王妃なのだから、この程度で照れている場合ではない。ないのだけど、おいおい慣れていかなければと思うもやっぱり無性に、それこそさけびだしたいほど恥ずかしい。

「いやぁ、まさかあの方がれんあい結婚するとは。世界中の誰も思ってなかったと思うぜ。というか、誰かを好きになれたんだなぁ。そしてまさか王妃様みたいな相手を選ぶとは……」

「どういう意味でしょう」

 なんとかそとづらを取りつくろって、がんって受け答えする。そうでなきゃ、じわじわ熱を持っていくほおばくはつしてしまう。

「あの方と王妃様、全然性質違って見えるし、敵の多いあの方の元にわざわざ世界越えてまでよくとつぐ気になったなぁって。あ、これ俺が言ってたって知られたら首飛ばされるからないしよな」

「私は何があっても一生ルスランの味方だよ。友達だし、家族だし……好きだし」

 あ、無理。やっぱり恥ずかしい!

 内面からふんした恥ずかしさにえられなくなり、せめて身体からだから出してしまおうとすぅっと息を吸い込む。胸がふくれ、意識のすみずみまで行きわたった空気を、一気にき出した。

「ルっスラ──ン!」

うそだろ王妃様!?」

 突然全力でルスランを呼んだ私に、目玉が飛び出さんばかりにおどろいたロベリアは、すごい勢いで私の口をふさいだ。でも、すでに放たれてしまった私の声は、夕方のあわただしさをもってしてもおさえられなかったらしく、お城中をエコーがけ回っている。らーんらーんらーん……とごげんな私のエコーは既に回収不能だ。

 ぎょっと目をいたのはロベリアだけではなく、ルスランの周りにいる人やルスランのために道を空けた人も身をこわらせたのが遠目にも見て取れた。当のルスランはというと、きょろりと視線を回し、私のいる場所でぴたりと動きを止めた。

「やっほー」

 この音量では聞こえないと分かっているけれど、手をっているとなんとなく無言はけてしまう。ひらひらと手を振る私に、ルスランも軽く片手を上げた。

 さっきのモーゼなんて比じゃないくらい、ルスランの周りから人がいなくなる。凄い、ねのいたおじさんまでいる。

「すげぇ……あの方が笑ったぞ……」

 信じられないものを見たといわんばかりにルスランにくぎけになったロベリアが思わずこぼした言葉に、私はなんともいえない気持ちになった。

 あの人、『この面どこからでも切れます』をどこからも切れなかった私を見てばくしようしてたよ。しかも自分も開けられず、こんしんの力で引っ張ったふくろれつさせていもけんぴぶちまけたよ。

 しかし、そんな過去はそっと私の胸にしまう。いくらなんでも自分達の王様の笑いのふつてんが、どこからでも切れませんだと知ったら驚く通りして何だか切なくなってしまうと思ったからだ。だから私は無言をつらぬき、いまきようがくしているロベリアを生暖かいしようで見守った。

 私は、正直いま初めて、おうとしての務めを果たした気がしている。

「あ、それと多分、ルスランここに来るよ」

「は!?」

 ん、と、指さした先では、ルスランがくるりと方向てんかんして元来た道を歩いている。モーゼのごとく割れていた人達がほっと元の状態に戻っていたのに、モーゼ再び。きようかんである。

 モーゼの再来により再び割れて頭を下げている人達の慌てふためく様が、ここからだとよく見えた。ルスランが戻ってきたことでびよんとばねのように飛び上がっている人を見るたびに、罪悪感がいてくる。

「……これさ、私のせいかな?」

「……日帰り王妃様さっさと日帰ってくれ、くらいは言われてそうだな。っていうか、どうしちゃったんだよ王様ぁ……」

 しおしおとしおれていくロベリアは、大人しめの少女の外見と相まって大層そうかんあふれだしている。え? これも私のせい? とりあえず何の足しにもならないなぐさめでその背をさすっていたら、階段に見慣れた姿が現れた。

「ロベリアぁー、ルスラン来たよー」

「……お前達は何をやってるんだ?」

 一番上までぴったり閉まったえりもとを片手で少し開けたルスランは、あきれた目で地面にしゃがみこんだ私とロベリアを見ている。私をむかえてくれた時と服がちがう。一日何回えるのだろうか。好きな人のいろんなかつこうを見られるのは大変役得だけど、あいにく私はしよみんなのでせんたく大変だろうなぁと思ってしまう自分も捨てられない。

「何もしてはいないんだけど、いて言うならその階段がこわくて帰れなくなってる」

「王妃様下りられなくなってたの!? 言えよぉ……」

 正直に答えたら、しゃがみこんでいたロベリアが飛び起きた。いやはやめんぼくない。


 好きな人と向かい合って両手をつなげたら、それはきっと、とても幸せな時間となるだろう。

 そう思っていた時期が、私にもありました。

「無理無理無理無理無理! 高い! 怖い! あと暗くなってきた!」

「だから暗くなり切る前に早く城に戻るぞ! ほら、もう三分の一来たから! 鹿っ、下は見るな! 前を見てろ、前!」

「この角度だと前見たら自然と下見えるじゃん!」

「俺の顔を見てろ!」

「うわぁ! イッケメーン!」

「そうだろ!? あとお前俺のきさきだからな!? ほかの男にそれ言ったらうわ判定するぞ俺は!」

「うわぁ、イケメンドウクサイ」

「ヤマトナデシコノヤロウ」

 結局、ルスランに両手を引いてもらい、へっぴりごしで空中庭園からだつしゆつすることになった。階段でぎゃあぎゃあさわぐ私を必死に引っ張るルスランに、ロベリアは死んだ目をしていたし、お城は再び阿鼻叫喚のあらしだったようだけど、空中庭園住み王妃からのだつきやくはかっている私はそれどころではなかったのである。


「この海老えびみたいなの美味おいしい!」

「海老みたいじゃなくて海老だな」

「このとりにくみたいなの美味しい!」

「鶏肉みたいじゃなくて鶏肉だな」

「このじゃがいも美味しい」

「それはすいしようの泉と呼ばれるほどんだ美しい水でしか作れないことから、金の種と名付けられた野菜だ」

「なんでじゃがいもだけ異世界感溢れてるの……?」

 一部なつとくいかない芋もあったけれど、異世界の王様の食事は毎日大変美味しく、また楽しく頂いている。ごそうさまでした。いや、ほんとご馳走でした。お高いお食事フルコースって感じでした。食べた場所はルスランのしんしつだけど。

 異世界の王様のごう一直線な夕食を、豪華一直線な寝室のベッドの上で胡坐あぐらかいて頂く背徳感ははんない。けどルスランいわく「ゆかで食べるよりましだろ?」とのことなので、おぎよう悪くベッドの上で食べ終わった後のお皿を適当に重ねながら、部屋の中を見回す。

「ルスラン、自由にできる部屋少なすぎない?」

「ここ以外だと、誰かしらが世話焼きにくるんだよ。マクシムとかマクシムとかマクシムとか」

だれかしらがほぼ一たく! ルスランなにしたの、信用ないね」

「……食べるのめんどうで昼いててただけだ」

「…………お母さんに言いつけてやる」

「待ってください月子さん! お母さんおこるとピーマンオンリー料理出してくるだろ!? お前もピーマン苦手だからもろつるぎだぞ!」

「ルスランのネギまだけネギネにしてやる」

「あ、それはそれで」

 焼き鳥改め焼きネギだけでも美味しく頂けるルスランは、あながちまんざらでもない顔をした。私はネギもちょっと苦手。食べるけど。

 デザートの甘い炭酸水みたいなのを飲みながら、見慣れた部屋の中をぐるりと見回す。今はむらさきいろでしゅわしゅわあわっているこれは、光る上にたまに色が変わるから最初はおしゃれな照明かと思ったものだ。何の躊躇ためらいもなく飲んだルスランに、彼のさくらんを確信して、正直に告げたら怒られた事件でもある。だってそれ、初めて見たら飲み物って思えないよ。

「ほんっとこの部屋、昔からなんにも無いね。豪華だけど」

「豪華でも電波入らないんだよなぁ……」

 一国の王様が、電波を探して三千里。鏡台とコントローラー持ったまま、寝室をうろうろしている光景は大変シュールでした。

 鏡台の鏡を通れる大きさという制限はあるものの、物のやり取りは出来るので、春野家のサンタクロースは、必ず異世界の王様の分もわたしてくれる。だからけいたいゲーム機もちゃんと二人分あるのだ。ただ異世界に電波が無く、それはどうにも、それこそほうを使ってもどうにもならなかったのである。ルスランはその日その日で電波が入りやすい場所を探してうろうろ彷徨さまよっていたから、私もこの部屋の内情には大変くわしい。この部屋しか知らなかったけど。

 ルスランが手に持っている飲み物は緑色になって、しゅわりと音を立てた。

「月子さん月子さん」

「なんですかルスランさん」

「王妃バイト、何日かやってみて如何いかがですか?」

「んー……」

 水色になった自分の飲み物に口をつけながら、ちょっと考える。ルスランはそんな私をじろぎもせずじぃっと見ていた。下から飲み物の緑の光が当たっている。かみの毛の内側が緑を反射して、とてもれいだ。角度によって色を変えるひとみは下半分だけが緑で、ゆらゆらとれる光が泳ぐ。異世界だなぁ。綺麗だなぁ。うれしいなぁ。

「好きだなぁ」

 間違えたなぁ。

「た、楽しいです」

「何で言い直した?」

「一身上の都合です」

 すために一気飲みした飲み物は、当然ながら今のいつしゆんでしゅわしゅわ音を立てていた炭酸が抜けきるはずもなく。そんなものを一気飲みしたらどうなるか、火を見るより明らかだ。

 盛大にせこんだ私にあわてたルスランが背中を擦ってくれる。私のドジでさっきの話題が流れてくれてばんばんざいだ。やったね。鼻水も流れたけど、万事OKだ。鼻の奥、すっごい痛い。

「やっぱり机とはいるか……しんだいの上で食べると危ないな。なあ月子、お前椅子はもたれある物がいいか? それともお前の部屋にある椅子みたいに回る物がいいか?」

 私の背を擦りながらしんけんに寝室の食堂化を計画している私の好きな人、ほんと見当違い。にぶくてよかった好きな人。まあ、私がれんあい対象として全く対象に入れてもらえてないということだけども! ベッドの上でピクニックよろしく豪華フルコース並べちゃえるところから分かってたけども!

「……回る方がいいです。でも、あんまり重くないほうがいい。あんまり重いと動かすの大変」

「そうか。じゃあいてる物にするか」

「浮くの!?」

「浮くぞ?」

 当たり前に返されて、全然当たり前じゃない私は浮く椅子を必死に想像した。しかし、想像力が貧困すぎて、つうの四つあしの椅子が地味に浮いている姿しか想像できない。

 自分の想像力の無さに泣けてきた私は、ついでにもう一つかいで泣けたことを思い出した。

おうバイト、楽しいは楽しいんだけど、魔力0に厳しい世界に心折れそう」

「あー……」

 しんみような顔でなげく私に、ルスランはあいまいな声を返事に代えた。

「指先一つでお手軽簡単レベルの押しボタンみたいな手軽さで魔力要求しないでくれる!?」

「実際そのレベルなんだよ……。みんな持ってるから」

「水の上に魔力で出さないと足場のない通路とか、現れない階段とか、開かないドアとか、つかないライトとか、鳴らないベルとか、一ミリたりとも動かない椅子とか!」

 バリアフリーを要求します。わった目で挙手した私に、レミアム王はふいっと視線をらした。

「……バリアは自由に張っていいぞ」

「多分この世界の人には通じないネタだよ、それ!」

「……通じない。普通はしようへきって言うし、そもそもバリアフリーのがいねんが無い。魔力で補えるから」

「分かってて言ってるのが腹立つんですが!」

 散々、道という道、設備という設備でめ出しをくらったうらみ許すまじ。まじ許すまじ。

「月子はりちに反応してくれるから好きだぞ」

 はい許した。好きな人が私のことを好きと言ってくれたこの事実で世界は平和だおだやかだ。すべてのいさかいも争いごとも許し許され、世界はオールハッピー!

「あ、そういえば明日あした土曜日だから朝からくるだろ? 宿題持って来いよ。金曜五限の数学の先生、いつも結構な量の宿題出すだろ。時間があれば見てやるから持ってこい」

「へーい……」

 全ての諍いも争いごとも許し許され、世界には宿題が残った。

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