第16話 空中庭園

「か……は」


 渾身の一撃。

 彼女は苦痛を帯びた声が漏らす。


 ひたすら劣勢を強いられた中、この一撃で勝負をつけるのは正直ズルをした気もする。

 が、長期戦に持ち込もうが、他に何かしようが、彼女の有利を覆す要素は何もなかった。


 ……本当に勝てたんだな。


 油断したところを反撃される可能性も考え、注意を払ってはいたが、月白はその素ぶりは見せない。


 ただ、彼女を包む黒い泥が、首元へから全身へ広がるように、後退していく。


「くっ……!」


 彼女は眉を動かす。

 目を閉じながら苦しそうな表情を崩さない。


 身体に刺さった剣を抜いたら、血が吹き出すからかえって良くないんだっけか。

 でも、このまま放置してどうにもなるものでもないはずだ。


 それに、もう彼女は黒く染まっていた時とは違う。

 もう襲われない……よな?


「抜く……ぞ?」


 俺は彼女を刺した剣を、ゆっくり引き抜いていく。


 剣が少しづつ抜かれていくことに伴って、彼女は声を殺そうと努力する。


 血が飛び散ってしまうのではないかと、様子を見た上で続けて抜いてしまうかを判断しようと考えていたが。


「粒子……?」


 なるほど。


「くっ……!」


 悲痛な声をあげる月白。その間に一気に引き抜く。

 あまり長い時間、もう1人の自分の苦痛を眺める趣味はなかった。


「き、キミは……!」


 責めるような目を向けられる。

 ただ、先ほどの殺意は感じられない。


 これまでのこと。

 痛いのだろう。辛かっただろう。

 ……だが赦してほしい。


 はあっ、と胸部を上下させる。


 彼女の傷口からは血、ではなく。

 光の粒子がこぼれ出し上昇していく。


 そうなっている意味は直感的に理解出来る。

 彼女は、役割を終えたのだ。


 残された時間は少ない……!?


「月白」

 彼女に手を伸ばして、半ば強引に立たせようとする。


「う、あ」


 立ち上がった彼女が、必要以上の力で引っ張ったためか、バランスを崩し────抱き抱える形になる。


 まあ。

 肩を優しく掴み、少し互いの身体を離す。


 正面には、複雑な表情をする彼女。


「ありがとう」

 そんな彼女の瞳に刷り込むように、言う。


「俺は俺で自分のことを大事にしなくてはいけないのに、粗末に扱おうとして」


 だから。


「俺は俺で自分を幸せにするよう努力するよ」


「……人生というのは、一度の体験で変わるものではありません。」

 月白は視線をななめ下に落とした状態で、言う。


「自分の人生、いや自分自身に向き合って過去を克服すること。ありたいと思う自分になること……それは、何でもない毎日が試練であって、いまここ、を生き続けることに意味があるのです。今この瞬間に決心しただけで」


「大丈夫」

 言いたいことは分かる。

 だが愚問だ。


「俺は絶対に自分を救ってみせる。1日たりとも忘れない。約束する」


「────!」

 彼女は泣きそうになりながら笑みを向ける。


「そう。また間違えた道に走ったら許しませんから」


 そう言って。

 彼女は、息を引き取ったかのように目を瞑り──空間に融けていく。


 約3年間。彼女はこの世界で1人孤独に【永劫回帰】の法則のもと闘いを強いられていた。


 解放され、それが終わったのだ。

 粒子状の彼女だったものと合体する。


「────────!!」


 頭が冴えている感覚。

 彼女を構成していた何かが粒子状になって俺の身体の中に溶け込んでいく。


 電流が走るような感覚。凄まじいエネルギーが発生しているのだろう。


「…………」


 視界は良好。

 両手を動かしてみる。何も問題ない。


 別段、記憶を失った訳ではない。

 自分は自分。


 さあ。まだやるべき事は残っている。


 かつん、と階段を登る。その螺旋状の道は吹き抜けの空中庭園へと導かれているのだろう。


 その先には、まだ一度も開かれていないであろうドア。


 古びた金属特有の音を鳴らし、風の圧力に負けないよう押し、扉を開いていく。


 ────眩しい。


 ドアはガチャンと閉まる。


 その音が響くのと同時。

 一面に広がる青空を視界に捉えた。


 それは。

 かつての、どことない不気味さは感じさせない。

 寧ろ、そこに在ったのはその姿に似つかわしい清々しさだ。


 ここは49階の屋上のはず。

 だが、それよりも遥かに高い高度なのではないかと思わせる神秘の光景だ。


 天空からさしこんだ光に手を伸ばす。


 風が吹き、今一度空を仰ぐ。


 風に揺られて……いや。

 周囲や境遇に揺られて、ただ放浪する人生は終わりを告げる。


 このシーンこそ、物語の終焉だ。


 もし俺がここを去ったら、役割を終えたこの塔……そして空中庭園は粒子を撒き散らしながら消滅するのだろうか。


 この神秘の世界は俺にとっての心象世界。


 病んだ身体を治療する病院……ではなく精神を浄化する場所であり、辺獄であり──人生の次のステージへと導く空中庭園なのだ。


 この不思議な体験は、自分の人生に向き合う活力をくれたのだろう。





 俺は光の扉へ進む。

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