第3話 銀髪の少女

そう思……


「?!」


 意識が消えないという違和感。


 痛く、ない……?


 それを確認するために眼を見開く。

 目の前の光景は。彼女は床に倒れている俺────ではなくその背後の方に真っ直ぐ視線を向けていた。


 俺の存在など気にすることなく側面にだん、と右足を踏み込み彼女が斬ったのは。先ほど俺を追っていた黒い化け物だった。


 その分断された切り口から放たれている黒い液体が自分に降り注いだのだ。俺は影が俺の背後まで迫っていたことにここで初めて気づいた。


 この少女の存在を認識してから、眼前に映るもの以外は意識から飛んでいたからなのだろう。両断された黒いものは霧の様に四散する。



「くそッ……!」


 覚悟を決めたはずなのに、いざ助かり安堵を覚えた自分を恥じる──しかし、それもつかの間。


「黒いソレ」は一匹だけでは無かった。彼女、そして化け物も俺のことは後回しと判断したのか少女の両側から二匹の化け物が襲う。


「────っ危ない!」




 なぜだろう。

 俺が彼女の身を案じて声をあげていたことに不思議に思う。


 俺は周囲に無関心な人間のはずだった。

 自分のことはもちろん、他人のことなんかどうでもいいと思っていたはずなのに。

 彼女の危険に対し、条件反射的に俺は声を上げていたのだ。


「ぐっ……!」


 少女の声が部屋内に響き、彼女の脇腹に攻撃が直撃する。右目をつむり苦悶くもんの表情を浮かべる。

 このまま追撃を受けたら彼女は危険だ。黒いソレは、彼女に追い打ちをかけようとしている。


 「っ待て!」


 いつの間に足が動いていた。

 何か打算があったわけじゃない。彼女と黒いソレの間にただ身体を割り込ませるだけ。

 黒いソレからの襲撃に両腕でガードしないと。


「いッ…………でぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 影・霧・モヤのような見た目のクセして、めちゃくちゃ痛い。

 腕に楔を打ち込まれたような、重くて骨の芯にヒビが入るレベル。

 気のせいじゃない。本当にヒビが入ってるんじゃないだろうか。


「…………あ、あ、あ」


 痛さで呼吸が苦しくなる。

 黒いソレから目を離すことは危険と分かっていても、苦しさで視界を合わせることができない。

 おもむろに打撃を受け、倒れた身体は対抗手段を失っていた。ジリジリ、と倒れた態勢の俺に近づいてくる。


 ……終わり?

 この化け物にやられたらどうなってしまうんだろう。単純に痛いだけなのか、今の打撃とは比較にならないほどの痛みと共に無残な死を経験するのか、それとも喰われて────いざ、そうなる可能性を想像するだけでも身が凍る。


『冗談だよな?』という思いがどこかにあった。多分、無意識に希望にすがる自分があった。


 しかし今の自分には対抗出来ない……なんて脆い存在なんだろう。自己嫌悪を加速させるには十分の材料だ。

 己の最期。それ以外のことにもはや意識は行かない。


 ────だから次の瞬間、少女の斬撃が化物の身体に線を描いてから何が起きたのかを理解するまでに数秒かかった。


 化物は彼女の斬撃をおもむろに受け、両断される。

 それは血が噴き出すように、謎の黒い液体を飛ばす。恐ろしい存在感が嘘のように、声もなくあっけなく怪物は霧状に四散した。

 情けないけど前言撤回。やはりこんな訳の分からない世界では死にたくない。ここから早く脱出したい。


 彼女の両手で握っていた西洋剣は、左腰に装着していた鞘に金属特有の音を奏で、戻される。



 ……思えばあの華奢な身体でよく振り回せたものだと思う。

 事が完全に終着したことを確認した後、彼女はこちらを見つめてきた。


「ごめんなさい」


「え?」


 彼女の発言が何に対しての謝罪かはすぐには理解出来なかった。


「……な、何を?」


 声がどもる。


「貴方に剣を向けたことです」


「あ、はい」


 確かに、化物と勘違いした上でのことなら、俺に謝罪するのは道理と言えば道理なのかもしれない。


「……でも! 貴方も貴方で何で無謀なことを!  自分から死ぬつもりだったのですか!」


「えっ」


 思わずその声の覇気に身体がこわばった。


「私のことを庇ったつもりなのでしょうけれど。さっきの私のダメージは少し驚いて隙が出来ただけです」


 そのまま言葉は続く。


「それより、さっきの言葉……その私が剣をあなたに向けてた時に言った言葉。その」


「!!」


 見ず知らずの人間に放った、「殺せよ」という言葉。

 見知らぬ地で化け物に追い回されているなんて特異な状況だったとは言え────『この人頭大丈夫?』と思われてもおかしくない。


 どうしたものか。自分の過去や心情まで細かく説明出来る自信はないし、むしろしたくない。


「あれは……なんていうかその、やけくそになっていたんだ」


 こう言えばはぐらかせるかな、と希望を抱きそして小さめな声で答える。声の小ささは自信のなさの表れだと気づかれそうで、怖い。


「自己嫌悪の念に駆られていたのですか?」


 ごまかせるどころか、核心を突く勢いの返答だった。

 そして追い打ち。


「詳しくは分かりませんが……とても辛かったのですね」


 彼女は遠慮無しにそう言ってきた。

 こちらを本気で心配するような表情・気遣いを向けられることは、多分人生で初めてだろう。


 そのまっすぐな瞳は、自分にとって毒。薬も効き目が強すぎれば毒になる。


 この少女にとって、俺のことを慮るのは何もメリットも義務もないはずなのに……なのに。


「ごほっ……!」


 俺は咳き込んだ。その為、床に膝を着けたまま顔を横に向けかがんだ。

 正確には咳き込んだフリをした。


「大丈夫ですか?!」


「っ……」


 そうしたのは単純なこと。瞼まぶたが熱くなり、自分の崩れた表情をどうしても見られたくなかったから。見られてしまうことは男のプライドが許さない。


 まるで温いお湯で濡れた手で、心臓を優しく撫でられているような——

 なんとかして、このなんとも言えない胸に広がる生なま温かい感覚を消そうと尽力した。


「そうだね」


 ……今の状態なら泣きかけた事を悟られない声色で話せるだろう、と確信したところで続けて答える。


「なんだか、ネガティブな感情に流されてたみたいだ」


 タメ口か敬語で話すべきか迷ったが先ほど「殺せよ」と格好つけて言った手前、今さら敬語で話すのに躊躇した。

 むしろ同年代の女の子に気をつかわれたことに気恥ずかしさもある。目を逸らして静かに、そしてやや乱暴な口調で問いかける。


「そうとして、ここはどこなんだ?」


 さっきよりは心が落ち着いた。しかし頭の中で疑問が尽きない。さっきの化け物は? 目の前の彼女の名前は? 出身は? そもそも日本人なのか?

 綺麗な銀髪やゴスロリな黒ドレスの格好からどう見ても、彼女は自分がいた世界の住人でないことは分かる。


 ……もしかして。いわゆる「異世界」に自分はやって来たのだろうか。

 でもそれを確かめる方法は?戻る方法は?


 自分は今、どんな心持ちでどんな行動をするべきかわからなくなってきた。

 考えること以外にできることは、彼女を視界に入れることだけ。


 いずれにせよ、彼女はこの世界でどうするのかを知るのに頼りになる存在だろう。


 その浮世離れした見た目から、この奇妙な世界の住人であることは容易に考えられるし、影を一撃で倒してしまう華奢な身体に見合わぬ強さ。性格は清廉で優しさを持つ人。

 にもかかわらず、正直言うとかなり可愛い容姿。自分で自分をダメにしようとした自分とは、何もかもがかけ離れている。


 最初は打撃をもらい、警戒心と自分を「死」で楽にしてくれる対象としか捉えていなかったが、よくよく考えればこの上ないお助けキャラなのでは。

 様子を見て先ほど影から助けられたお礼を伝えることも考えてはいるけど、タイミングを失ってしまった。


 ともかく、彼女ならこの世界やその脱出方法とか分かるかもしれない。

 そんな期待を持った自分に対して、彼女の口が開いた。


「分かりません」


 間を置いて、再び彼女は喋る。


「私は、そもそも私が誰なのか分からないのです」

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