第71話「へただね?」

 第七十一話「へただね?」


 「今日退院だって聞いたから……って泣いてるの?」


 「!」


 俺を発見して小走りに走り寄ってきた少女は、そのまま俺の顔を覗き込んでから翠玉石エメラルドの瞳を丸くする。


 「い、いや……これは」


 ーー目ざといな……涙跡がまだ残っていたのか……


 「ふーーん」


 「な、なんだよ!」


 「御前崎おまえざき先生にはお別れ言ってきたの?」


 羽咲うさぎは呆れたような瞳でそう言った。


 俺の顔は思わずボッと熱を帯びる。


 「ばっ馬鹿だろ!お前!これはそんなんじゃ……」


 「いいよ、誤魔化さなくても、孤独な盾也じゅんやくんに唯一絡んでくれる大切な女性ひとだったんだもんねぇ?」


 桜色の口元を綻ばせて楽しそうに俺をからかう美少女。


 「あのな、俺は別にそんなんじゃ……ってかこれはドアにぶつけて……」


 「ドアに?……ぷっ!そんな子供みたいな事で泣く男性ひといないよ、盾也じゅんやくんは言い訳”も”へただねぇ」


 ーーいや、それがいるんだ!いるんだよ!ここに……


 とは思ったが、それを主張するのはあまりにも恥ずかしかったので、俺は口をつぐんだ。


 「そもそも”も”下手ってなんだよ……他になにかあるのかよ……ってか、今日の退院は誰にも言ってないはずだったが……」


 その話題になると、羽咲うさぎはあからさまに明後日の方向を向いた。


 ーーこいつ……自分の地位を利用して病院から情報を引き出したな……


 「まあ、良いじゃない、細かいことは」


 ニッコリと微笑むプラチナブロンドの美少女。


 「ちっ、今日は何となくひとりで考え事をしたい気分だったんだけどな……」


 なんだか納得いかない俺は、未練たらしくごちる。


 「………………だからじゃない……」


 「んっ?」


 俺に聞こえないボリュームでなにやら呟いた羽咲うさぎ……


 「ううん、なんでもなーい!」


 羽咲うさぎはもう一度、今度は少し作ったような笑みでそう返してきた。


 「……で、お嬢様は学校の帰りか?」


 俺は制服姿の彼女を見直してから、新たに尋ねる。


 「うん、彩夏あやかちゃんにね、彩夏あやかちゃんの知り合いのとショッピングに誘われたんだけど、そこからこの病院が近かったから、途中で抜けて来ちゃった」


 「ふーーん」


 俺は相づちをうちつつも、その割には荷物も無いなぁ、とか考えていた。


 「彩夏あやか……ああ、あの”ポニテ”さんか……俺をなんだかお手軽に死刑台に送り込んだ」


 俺の記憶の中に残る人物……ファンデンベルグ帝国に帰国中であった羽咲うさぎとの電話の一件で酷い目に遭いそうになったその元凶……それを思い出しながら俺は皮肉たっぷりに答えていた。


 「あ、あれは……悪気はないんだよ、面倒見が良いって言うか……でも、ちょとだけ過激っていうか……彩夏あやかちゃんだから……」


 ーー”彩夏あやかちゃんだから……”ねぇ……


 困ったように笑いながら友人をフォローする羽咲うさぎを見ていると、彩夏あやかというポニテ美少女の自由奔放さが窺える。


 「でも良かったのか?そっち放っておいて?」


 「あ、うん……なんていうかね、彩夏あやかちゃんの知り合い、燐堂りんどうさんっていうなんだけど……実は彩夏あやかちゃんの恋敵ライバルで……すごい美少女っていうか美人って言うか……彩夏あやかちゃんとそのといるとなんだか劣等感がね……」


 ーーおいおい……お前がいうか、それ?


 羽咲うさぎほどの美少女がね……


 確かにあの”ポニテ”さんは結構な美形だったけど……その恋敵ライバルがそんなに?


 ーーてかどういう状況だ?色々と……


 俺はそんな事を思いながらも、まだ見ぬその美少女に想像の翼を広げ少々口元が緩んでいた。


 「…………盾也じゅんやくん?盾也じゅんやくんっ!」


 「………」


 「盾也じゅんやくんっ!」


 「はっ?、な、なんだ!……羽咲うさぎ?」


 「……」


 いつの間にか、プラチナブロンドの少女は呆れたような翠玉石エメラルドの瞳で俺を見上げていた。


 「………………そんな感じで、今日一日、瑞乃みずのさんのこと考えるつもりだったんだ?」


 「?……なんだよ羽咲うさぎ……?」


 またもや聞き取れないほどの声でなにかボソリと呟く少女。


 「なんでもなーい……それより、盾也じゅんやくんの顔見て安心した」


 ーーっ!


 不意打ち的に優しく微笑む羽咲うさぎに、俺は言葉を失っていた。


 昨日も会ってはいるが……久しぶりに見る制服姿……あの廃校舎での死闘の時以来の……正直可愛い……超美少女だ、そんなとびきりの美少女が俺に会えて……安心……


 「盾也じゅんやくんの平均以下の容姿で、わたしの自信も回復したよ!」


 「そこかーーっ!」


 激しくつっこむ俺に、プラチナブロンドの美少女は愉しそうにコロコロと笑った。


 ーーー

 ーー


 昼下がりのアンニュイな雰囲気の中……

 俺達は駅までの道を並んでテクテク歩く。


 俺の肩よりちょい低い位置で揺れるプラチナのツインテール……白磁のような肌……


 昼下がりの日差しをはらんでキラキラ輝く髪と翠玉石エメラルドの瞳の少女……


 俺は隣の少女を盗み見ながら、あることを決断しようとしていた。


 ーーゴクリッ


 「う、羽咲うさぎ……あのな……本当はもうちょっと、さ、先に言おうと思っていたんだけど……」


 なんということのない雑談を続けて歩いていた俺達だったが、不意に俺はその決意を切り出そうとした。


 ーーそうだ……先延ばしにすることでも無い、この機会に、ちゃんと……ハッキリさせておきたい……俺が羽咲うさぎをどう思っているかなんて明らかだし……俺は羽咲うさぎとずっとこうしていたい……


 真剣な表情になる俺に、彼女の翠玉石エメラルドはピクリと反応した。


 「……いいよ、言って」


 彼女は雰囲気から何か察したのか、歩くのを止めてこちらに姿勢を正し……見上げて来る。


 「…………」


 「…………」


 ーー真摯な瞳……


 「あ、あれだ……突然かもだけど……つまり、俺はな……えっと、お前とこの先も……」


 「……」


 「つまり、一応、関係性をだな……ハッキリとっていうか……」


 「……」


 「で、何を言いたいかと言うと……」


 「言うと?」


 ーー!


 一瞬、息を飲み込んだ俺は……完全に決心した!


 あの廃校舎での……満月の下での時のような中途半端はもう無いっ!

 後には退かない!一世一代の大決心だ!


 「俺はお前のことが……」


 「……ねぇ」


 ーー!?


 しかし、肝心な所で言葉を遮られる俺。


 「ねえ、ちゃんと言ってくれるんだよね?」


 ファンデンベルグ帝国が誇る”月華の騎士グレンツェン・リッター”……羽咲うさぎ・ヨーコ・クイーゼルは、その透き通る陶器のような白い肌をほんのり朱に染めて俺を見上げてくる。


 「その……大切なことだから……」


 彼女の聞き逃してしまいそうなか細い声にーー


 「ああ、大切なことだ!」


 俺は力強く頷いた。


 「……心を込めて?」


 「ああ、心を込めて!」


 「わたしの故国の言葉で?」


 「ああ、羽咲うさぎの故国の言葉でって……ええっっ!?」


 目の前で……整った可愛らしい桜色の唇を綻ばせて微笑む美少女。


 「…………」


 俺はマジマジとその美少女の御尊顔を眺めて固まっていた。


 「わたしの国の言葉で口説いて……情熱的に……そうしたらOK……してあげる」


 「…………」


 羽咲かのじょは笑顔だが、決して冗談を言っている感じでは無い。


 トレードマークである翠玉石エメラルドの瞳は真剣で、縋るように、切なくずっと俺を見上げている。


 ーーう……お、応!やってやるよ!羽咲うさぎの期待に応えてやるとも!俺だって男だ!


 「…………」


 「…………」


 「……ぐ」


 「ぐ?」


 「ぐーてんあべんど……」


 「…………」


 「…………」


 ーーだ、駄目だぁぁぁぁぁぁぁーーー!!


 俺は敗北した……


 だって仕方ないじゃん!ファンデンベルグ語なんて数えるほどしか知らねぇんだよ!


 わざとかっ!


 コクられるの嫌だから、わざとなのかっ!?


 ーー今の関係を壊したくないの、友達同士でいましょう!


 っていう、近すぎる男女関係における良くある状況なのかーーーー!



 「ぷっ!」


 恐らく見たことも無い間抜け面であたふたする俺を見て、吹き出す少女。


 「ふっ、ふふふ、盾也じゅんやくんそればっかりだね、”Guten Abend”って……”こんばんわ”って……昼だっての!……あははっ」


 羽咲うさぎは口元を押さえながら、ギリギリ上品さを残した仕草で、お嬢様らしからぬ大笑いをしていた。


 ーーうう……死ぬほど恥ずかしい……くそっ


 「あはははっ」


 「…………」


 「うふふふ……」


 俺ののぼせていた頭は完全に冷めていく……


 「……もういい……」


 ーーいや、今回は無理だろう、雰囲気的に……


 「もういい……俺は帰え……」


 俺がそう言いかけたとき、プラチナブロンドの尻尾がふわりと風を抱えて翻る。


 ーーあっ


 キラキラと輝いて広がる光の束に……俺は言いかけたことも言えずに固まっていた。


 「Ich liebe dich sehr」


 煌めくプラチナブロンドの髪を揺らせてーー


 「っ!!」


 ”すい”っと俺の懐に入る翠玉石エメラルドの瞳の少女。


 「えっ……と?」


 至近距離……いや、彼女の繊細で白い指が、両手とも俺の胸に添えられる距離。


 「Ich liebe dich sehr、Bitte sag mir, ich folge mir nach」


 「えっと?……それは……」


 彼女の唇から紡がれる流暢な外国語……


 当然俺には理解できない。


 「……」


 ーーうわっ!


 そのままの体勢で、寄り添った状態で……


 プラチナブロンドの美少女は、俺の胸に添えた白い手を電柱のように立ち尽くす俺の首に回してきた。


 「Ich liebe dich sehrイヒ リーベ ディヒ ゼア……リピート・アフター・ミー?」


 「あっ!」


 そこで俺は、やっと気づいた。


 彼女がわざわざ、解りやすいように言い直してくれて……やっと気づいた……


 「……」


 ーーゴクリッ


 「い、いひ りーべ でぃひ……ぜあ?」


 「…………」


 精一杯真似てみる……そして……羽咲うさぎの表情は……


 「…………」


 俺を見上げていた翠玉石エメラルドの瞳は、優しく揺れて、整った桜色の唇がゆっくりと綻ぶ……


 「Ich brauche dich, weil ich dich liebe……」


 そして……淀むこと無く流れる旋律を口にした後、彼女は静かに瞳を閉じた。


 ーーー

 ーー

 ー


 俺と羽咲うさぎはその後……


 暫く寄り添っていた。


 余韻というか……なんとなく……そんな感じで。



 「なんだか、恥ずかしいね……今更って言うか……盾也じゅんやくんとは散々一緒にいたから……いまさら?って……」


 少し頬を染めた羽咲うさぎがそっと離れて呟いた。


 ーーあっ……


 一瞬、惜しいという顔をした俺に目ざとく気づいたろう彼女は、少しだけ意地悪く整った唇の端を上げる。


 「盾也じゅんやくんって、色々セクハラ発言する割にけっこう奥手だよね?告白もやっとだし」


 「っ!」


 彼女の少し意地悪い言葉が照れ隠しであると解っていながらも、俺は反論をしない訳にはいかない!


 「いっとくが、俺は前にも告白してるぞ!羽咲おまえは気づいてないだろうが……」


 そうだ、ここは男の沽券に関わる!


 今後の二人のイニシアティブにもだっ!


 「しってるよ」


 「は?」


 「だから、気づいてたよ、廃校舎の夜に……”ソーセキ”でしょ?」


 「…………」


 ーーわぁぁぁぁぁぁ!


 俺は顔から火が出るほど赤面していた。


 「っておまえ!”漱石”ってて?……っていうか、なんで……?」


 「だって、今はまだかなーとか思っちゃったし、どうせならもっとハッキリ言わせてみたかったんだもん!」


 ーーなっなっ!なんですとーー!


 俺は……俺ってやつは……完全に羽咲うさぎてのひらの上……


 「ふふ……」


 「…………」


 羽咲うさぎの幸せそうな笑顔が、今だけは癪だ……


 「……三島とか漱石とか、この国の文学にやけに詳しいな……ファンデンベルグ人」


 そして俺は、”ばつ”が悪くて、恨めしげにそう言い返すのがやっとだった。


 「それは、わたしの四分の三は日本人なんだから……ね!」


 笑顔でそう返すプラチナブロンドの美少女。


 「……うう」


 「あっそうだ!」


 項垂れる俺に、羽咲かのじょは何かを思いついたように続ける。


 「盾也じゅんやくん……キス”も”へただね」


 「うっ!」


 容赦ない追い討ち……


 ーー仕方ないだろう……こんなに緊張してちゃ……くそ……


 「ほっといてくれ!そもそも、”も”ってなんだよ!”も”って……さっきから持って回った言い方を……俺に他に何か下手なものがあるのかよ!」


 いや有りすぎる……というか俺は情けない事だが、得意なことの方が極端に少ない。


 ……が!


 今はそんな事は棚に上げて、なんだか、さっきから持って回った言い方の羽咲うさぎを徹底的に追求したい気分だった。


 「……うーんと……それはね……」


 俺の剣幕を軽く流し、彼女はそう言いながら俺の包帯グルグル巻きの右手をチラリと見ていた。


 「?」


 「まっいっか、そこが盾也じゅんやくんの素敵なところだしね!」


 美少女は何故か少しだけ頬を染めて、そう言って可愛らしくウインクするが、俺は全然納得いかない。


 「いや、はっきり言えよ、どこが……」


 「キスがへた!」


 「はっきり言うなっ!」


 クスクスと笑い声をこぼす少女。


 「…………」


 「あの……ね……盾也じゅんやくん……」


 不機嫌に黙る俺に、一転、羽咲うさぎは恥ずかしそうにもじもじとこちらを伺っていた。


 「えっとね……だからもう一回……練習……する?」


 上目遣いに、潤んだ翠玉石エメラルドで訪ねてくるプラチナブロンドの美少女。


 ーーこれだ……超弩級の反則業、幾つも標準装備しやがって……


 「れ、練習したら上手くなるのかよ……」


 やり込まれてばかりの俺は、小さいプライドから今度ばかりは誤魔化されないぞ!と本心とは反対の抵抗を試みていた。


 「しらなーい?、わたしも初めてで、次、練習しても二回目だもの」


 「うっ」


 麗しの君は、さらりとキラーワードを放り込む。


 ーーそれは……つまり……俺が初めて……俺だけだと?……


 「練習……しないの?」


 そして再度、切ない瞳で問いかけてくる美少女。


 「……する」


 つまり、俺の羽咲うさぎに対する抗戦は、成功したためしがない……


 ーーいやっ、しょうが無いだろ!だって可愛いんだもの!


 「…………」


 とにかく、俺は結局、なにが”下手”だったのか……

 その後も聞けずじまい……


 というか、俺の人生でそれを聞けることはこの先も無いような気がする……


 明日も明後日も……一年後も……そのずっと後も……


 プラチナブロンドの最強の少女は……


 羽咲うさぎ・ヨーコ・クイーゼルは……


 その話題になると、いつもいつも、俺に幸せそうな微笑みを返すのみだろう……


 俺はなんとなく……そう思う。


 「…………」


 そして、まぁそれも良いんだろうと。


 「……盾也じゅんやくん?どうしたの?えっと……」


 羽咲かのじょの笑顔はきっと本物だから……


 それなら俺は”へた”な男でもいいのかもしれない。


 ーー色んな事が下手くそな俺に今更ひとつくらい”へた”が加わっても、どうってこと無いしな……


 「盾也じゅんやく……きゃっ!……はぅ……う……ん……」


 俺はそう自己完結して、”練習キス”のアンコールに挑んだのだった。


 第七十一話「へただね?」END


 「たてたてヨコヨコ。.」終わり

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

たてたてヨコヨコ。. ひろすけほー @hirosukehoo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ