第70話「男女の別れに涙はいらない?」
第七十話「男女の別れに涙はいらない?」
「あら、久しぶり、随分と酷い怪我をしたと聞いたけど、大丈夫なの?」
「…………」
俺が彼女の病室に入って開口一番、
ーー酷い怪我……?
俺は首から吊った自分の右手を見る。
「……」
そして視線を移し、部屋の中央に置かれたベッド上の女の右腕を確認した。
ーー非道い有様だ……
女の腕は肘の関節部から下は存在せず、その断面はなにか硬質のプラスティックのような樹脂のようなカバーで覆われている。
「どうしたの?
自身の
ーー四角い狭い部屋の中央に設置されたパイプベッド
そしてその部屋にある唯一の窓には鉄格子……
落下防止を装ったそれは、明らかに別の意図がある造りだった。
「……先生……この後は……」
俺は思わずそう口走っていた。
そう、
この国の特殊機関出身で非合法にそこを脱退し、フィラシス公国の工作にも関わった人物。
諜報活動、破壊活動、暗殺のスペシャリストで、コードネームは”
潜入捜査、二重スパイを得意としていたことから別名”裏切りの魔女”とも呼ばれていたらしい。
「……ふっ」
元教え子のあまりにも無遠慮な問いかけに、美女は穏やかに微笑む。
「ファンデンベルグ帝国に保護されたおかげで、今のところ命の心配は無いわ、取りあえずあまり自由とは言えないけど、拘束されている訳でも無いしね」
「…………」
ーー確かに拘束はされていない……けど、これは……軟禁だろう
「先生、
「
俺がつい、その言葉を口にしようとしたとき、黒髪の美女は優しく俺の名を呼んで諭した。
「気持ちだけ受け取っておくわ……
彼女は微笑む……そう、俺が入室してからずっと穏やかな笑みを絶やさない。
でも俺は……やっぱり納得が……
「
それを察したのだろうか?納得行かない顔の俺に、彼女は別の話題を振った。
そうだな、そうだろう……彼女なりの気遣いだ……俺は……
「子供だな……嫌になるくらい俺は……」
彼女との差が年齢以上に開いていることに、つい口からそういう愚痴が出てしまう……つまりこういうところが子供なのだ。
「あら、それは当たり前でしょう?、私と貴方の年齢は十も離れているのだから……って女性に歳の話をさせたら駄目でしょう、ふふ」
ーーそうだったな……本当にこの
またもや俺はその笑顔に救われ、そして気持ちを切り替えて、なんとか表情から緊張を追いやってみる。
「
俺も割り切った風を装って、いつもの調子でそう応えた。
「まぁ!ふふっ……相変わらず
そして、そんな俺を優しく見ながら、
「先生、俺は退院しますので、挨拶に来たのですが……えっと」
「そう、おめでとう……学校、卒業できるように頑張るのよ……あと
「……」
周知の事実……けど……彼女の言葉に俺は一抹の寂しさを憶えていた。
「……ふふ……考えてみれば、色んな名前、人生を演じてきたけど……最初の名前なんて忘れちゃったけど……”
「
彼女の笑顔……無理に作った訳じゃ無いって理解できる……できる……から……余計に俺は……
「ねえ、
彼女は少しだけ寂しそうな瞳で、悪戯っぽく笑っていた。
「っ!」
意外な……言葉……それは……多分初めて彼女から俺に向けられた……
ーーこの時、俺は何て言うか、ちょっと、不謹慎だけど……嬉しかったのかも知れない
「…………」
彼女が、いつも俺よりもずっと大人の……年齢も、くぐり抜けた修羅場も比べものにならないのだから当然だけど……それでも男として、俺よりずっと大人の彼女に嫉妬していた俺にとって……最後の最後にほんの少しだけ俺に見せた彼女の弱音……
「あ、ゴメンね、こんな事言われても学生のキミには困ってしまうわよ……」
「俺は
「!?」
返事が返ってくるとは思っていなかったのか、彼女は少し下がり気味の瞳を少しだけ開いて俺を見ていた。
「”転職”先じゃなくて”天職”……それは……」
「
そして……その先を察したのか、彼女は……
ーーかまわない、自分勝手でも、俺はどうしても
「教師だ!」
「……」
沈黙する
「
「……」
彼女はそのまま無言だ……そして俯いていて……
けど……その黒い瞳には光るものが……
「私……初めてかも……」
そして少し間を置いて、彼女は……”裏切りの魔女”と呼ばれた
「……俺は結構あるよ、いまも
「
気がついたときには、俺はベラベラと話していた……とりとめも無く……まとまりも無い……
でも、話したかった……彼女にちゃんと……言っておきたかった。
「俺はもう泣かない……だけど、”
ーーそれが俺だって言えないのがもどかしい……けど……けどそれでも……
ーー憶えているもんだって、大切なことは……ずっと……それだけでも伝えたかった
俺はそう言う想いを込めて彼女と対峙していた。
「……キミは……本当に……バカね」
口の端を綻ばせ、やや照れくさそうに呟いた彼女は、俯いて黒い瞳の端をそっと拭った。
「…………」
そんな彼女を見て……少しだけでも吹っ切れた様子の彼女を見て俺は……
やっと何かを、ひとつ越えられたのかもしれない……
それは……俺なりの……嘗て彼女の言った”
「
黙り込んだ俺に、
「ふっ」
ーー俺も成長したものだ……こんな大人の美女を泣かせる……
自称、”
「
ーー大人な俺は振り返らない
あとは……影ながら彼女の前途の幸せを願う……それが大人の……
ーーガコッ!
「あうっっ!」
「ドア半開きって……遅かった?」
彼女の声を背に大人な俺は踞った……
負傷した右手を、半開きのドアの角にしこたま打ち付けた大人な俺は……
「いっってぇぇぇぇぇーーーー!」
前言撤回!舌の根も乾かぬうちに、子供のように涙を流して叫んでいた。
ーー
ー
「…………」
その日の午後……
なんだかんだで、俺はファンデンベルグ帝国資本の”アイゼルスタイン記念病院”を後にした。
ーー俺らしいといえば、俺らしい、なんとも締まらない別れを告げた俺は、ただ一人、手ぶらで歩く
荷物は、この手だから後日配送してもらうよう手配したし、ここから歩いて十分もかからない場所に臨海駅があり、そこから俺のマンションがある最寄り駅は一駅だ。
恩師、
ーー最近、いろいろとゴタゴタしていたからな……
幸い、右手はファンデンベルグが誇る最新医療と手術のおかげで、この後は軽いリハビリに通院すれば元通りになるそうだ。
だから、
「……」
「あ、来た来た!」
「!」
「おーい、
病院の入り口付近で、佇んでいる一人の少女……
プラチナブロンドに輝く長い髪を、整った輪郭の白い顎下ぐらいの位置で左右に纏めてアレンジしたツインテール。
人形のように白い肌とほのかに桜色に染まった慎ましい唇。
身に纏った清楚な淡いグレー色のセーラ服は、襟部分に可憐な白い花の刺繍が施されている。
この界隈では有名な、お嬢様学校である
「もうお馴染みの光景か……」
俺は遠目にその少女を眺めながら、半ば諦めたように呟いていた。
第七十話「男女の別れに涙はいらない?」END
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