たてたてヨコヨコ。.

第59話「その日を飛び越えてこいっ！？」

　第五十九話「その日を飛び越えてこいっ！？」

　「みーつけた、見つけたぞ、月華の騎士（グレンツェン・リッター）……」

　暗闇へと続く廊下側の破損した窓から、ゆらりと現れる大きな影。

　二メートル、いや、天井ギリギリの高さを窮屈そうに移動するシルエットは、三メートル以上ある人影？だ……

　ーーガシャッ！メリメリメリ！

　窓枠を拉（ひしゃ）げさせながら無理矢理侵入してくる”そいつ”は、背中に巨大な”どす黒く”脈打つ四本の悪魔の腕を生やした異形の怪物。

　「はははっ！其処（そこ）の女からある”モノ”を手に入れてね……ああ、今は気分が最高に良い！いいんだぁぁーーーっ！」

　ーーそこの……女？

　今は派手に現れた異形に視線を奪われているが……その異形の人物が放った言葉に、俺はすぐにそのことを思い出す。

　ーーこの男が……怪物が俺と羽咲（うさぎ）の前に現れる直前に……乱暴に放り込んだ……”モノ”……

　それは……直ぐ近くで地面に転がっている物体。

　それは……血まみれの女……

　ーー！

　改めてそれを確認した俺は……息をのんだ。

　「…………」

　見知った女が……血のプールから引き上げられた直後のような女が……

　俺の直ぐ横で、冷たい床の上に虫の息で横たわっていた。

　「御前崎（おまえざき）……先生」

　俺は呆然と立ち尽くす。

　その惨状……御前崎（おまえざき） 瑞乃（みずの）の見るに堪えない変わり果てた姿に。

　「ほら、見ろ！”聖剣”だ！月華の騎士（グレンツェン・リッター）の忌忌しい”聖剣”が！その能力（ちから）が！いま！我が手中にあるのだ！」

　背中に生えた巨大な四本の腕が、男の背後に広がる闇の中で圧倒的な存在感と共に蠢きーー

　悪魔の腕ではない男の自前の右手に”ぶらり”と、釣果の様にぶら下げられたものは……

　「うっ……！」

　それをまともに見た俺は、思わず目を逸らす。

　ーー繊細な白い腕

　ひとの上腕部……引きちぎられてズタズタになった筋が、何本かのコードのように無残に、力なく垂れ下がった女の白い腕だった。

　「ううっ……」

　目を逸らした俺は未だそれも、目の前の血まみれの物体も……得意げに仁王立ちする敵にさえ……視線を向けられない。

　ーーくっ……そ……見知った人間のこれは……正直きつい……

　俺の膝は小刻みに震え、そこに突っ立っているのがやっとの状態だ。

　「ははっ！この阿婆擦（あばず）れ！最後まで”コレ”を離さないからこうなった！フフフ、ハハハ！」

　身体（ほんたい）から無残に引きちぎられ、切り離された腕、握った状態のまま硬直した手のひらには、未だ”聖剣”の一部を吸収したはずの羽咲（うさぎ）が俺のために作ってくれた”守護石（アムレット）”がしっかりと握られていた。

　ーー御前崎（おまえざき） 瑞乃（みずの）……そこまでして……それでも……力を欲したのか……

　「…………ぅ……ぁ……」

　瀕死の青い顔……いや血まみれの朱い顔で、虫の息の女は足元で呻く。

　ーー頂上？なんだよ、それ……そんなものにここまでする価値があるのかよ……

　俺は直ぐ足元に転がる女の、虫の息の元担任教師を見下ろして突っ立っていた。

　「盾也（じゅんや）くん……」

　ショック状態の俺は、直ぐ近くに居るはずの羽咲（うさぎ）の声が遠くの方で聞こえた気がした。

　ーー御前崎（おまえざき） 瑞乃（みずの）は味方では無かった

　ーーそれどころか散々騙され、利用され、窮地に立たされたこともあった

　「…………」

　それでも、俺の心の中に何か釈然としないものが……

　ーー俺は……怖い……戦うのが……子どもの頃（むかし）も現在（いま）も……

　だってそうだろ？俺は無力だ……弱っちい……”英雄級（ロワクラス）”になれる才能があった時でさえ、俺は逃げたんだ……ましてや戦闘力皆無で異端（イレギュラー）な”盾（シールド）”なんて能力で……

　そんな巫山戯たものでこんな怪物相手に……

　何時しか俺は拳を強く握っていた。

　ーー怖い……長年の負い目を払拭するため……そんな俺を必要だと言ってくれた羽咲（うさぎ）のため……一度はなけなしの勇気を振り絞って立ち向かったが殺された

　ーーいや、殺されかけた……

　ーーいやだ……あんな痛い思いも、怖い思いも……二度とご免だ……

　だが俺の握った拳は……無意識の拳は……緩むことが無い。

　「…………」

　なにかの……感情が頭を擡（もた）げてくる。

　そして俺は呻く女を見下ろしたまま、情けなくも震える唇であったが、案山子のように硬直した足であったが……それでも言葉を絞り出す。

　「羽咲（うさぎ）……おまえは……」

　「ひとりでは逃げないわ……盾也（じゅんや）くん」

　「っ！」

　俺の言葉を待たずに、プラチナブロンドの美少女は即答する。

　「い、いや、だって……」

　彼女は……羽咲（うさぎ）は……俺自身でさえ理解できない俺の意図を……湧き上がる何かを……全てお見通しだと言うのか？

　俺は狼狽し、”呻く女”から隣に立つプラチナブロンドの美少女に視線を向ける。

　「じゃあ逆に聞くけど、どうして盾也（あなた）は残ろうとするの？」

　「！」

　そこには、翠玉石（エメラルド）の瞳……

　いつからか、怪物が現れて、俺が足元の女に気づいた時からだろうか……

　真っ正面から俺の目を捕らえて放さない、羽咲（うさぎ）の”翠玉石の瞳（トレードマーク）”があった。

　「けど……羽咲（うさぎ）、お前にとって”御前崎 瑞乃（かのじょ）”は敵……」

　「それが？……盾也（じゅんや）くんは残るのでしょう？なら相棒（パートナー）のわたしも戦うだけだわ！」

　先ほどまでとは明らかに違う自信に溢れたハキハキした態度。

　何故か表情に希望が戻ったような……覇気さえ感じる佇まい。

　いや、どちらかというとこれが、これこそが普段の羽咲（うさぎ）・ヨーコ・クイーゼルだったはずだが……

　「…………」

　「……に、逃げな……さい……ほこの……くん……」

　そして、見つめ合う俺と羽咲（うさぎ）の足元から途切れ途切れの弱々しい声が聞こえた。

　ーー御前崎（おまえざき） 瑞乃（みずの）……

　「ああ、本当だ、本来ならこんな化け物相手に言われなくてもそうする……」

　ーーそうしたいけど……な

　この時、俺はどんな顔をしていただろうか？

　もしかしたら、呆れ顔で笑っていたのかも知れない。

　一応言っておくが、俺が呆れたのは散々利用しておいて、何故か俺達の窮地に現れたという瑞乃（みずの）にでは無いし、勿論この期に及んで自身の”聖剣”を奪った敵を庇おうとする俺と一緒に残ろうとする羽咲（うさぎ）でもない。

　そして俺は、遅ればせながら羽咲（うさぎ）に答えていた。

　ーー”じゃあ逆に聞くけど、どうして盾也（あなた）は残ろうとするの？”……か

　俺は一度目を閉じてから、纏まらない考えを無理矢理落ち着けて、羽咲（うさぎ）を再び見た。

　「……この女には感謝する事もあるからだ」

　「……」

　月光が差す廃墟の教室で、無言で俺を見つめるプラチナブロンドの美少女。

　「……私は……あ、なたを利用していたのよ……感謝することなんて……かはっ！」

　そして俺の言葉に、少し血を吐きながら弱々しく反論する、普段の不適さを微塵も感じることが出来ない瀕死の女。

　「…………」

　……やっぱりだ、俺はやはり笑っていた。

　足下の血まみれ女を見て諦めたように。

　その足元は依然ガクガクと震えたみっともない状態のままで……

　それでも……俺は……確かに笑っていた。

　目の前の怪物といい、足下の瀕死の女といい、笑い事では無い状況なのだが、自然とそう言う表情になってしまったのだ。

　「……御前崎（おまえざき）先生、俺の留年を何とかしてくれただろ？」

　「！」

　俺はもうなんだか……なんというか、いつもの口調だ。

　足元は相変わらず竦んだままだったが、多少、いつもの口調が戻っていた。

　血まみれの御前崎（おまえざき） 瑞乃（みずの）は這い蹲った状態で瞳を見開き驚いた表情を見せる。

　「……変わらないね、やっぱり盾也（あなた）なんだ……ふふっ」

　そして何事か小声で呟いた傍らのプラチナブロンドが眩しい美少女は、剣を構えたままで、こちらを見て口元を綻ばせていた。

　ーーなんだ？留年か？留年って単語に反応してんのかよ！……そこ！笑うところじゃないから！

　俺としてはそれなりにカッコいい事を言ったつもりだったが、隣の美少女、羽咲（うさぎ）・ヨーコ・クイーゼルには通じなかったのか？

　本来ならその美しい翠玉石（エメラルド）の瞳を”うるうる”させて”盾也（じゅんや）くん素敵”ってな具合に惚れ直す……いや、妄想は止めよう……惚れ直すも何も、そもそも惚れられて無いのだから……

　「えーゴホンッ！」

　俺は情けなくなる気持ちを切り替え、そして少女にもう一度、念を押すことにする。

　「俺には、最後の最後の最後の”手段（きりふだ）”がある……だから、羽咲（うさぎ）は……」

　ーーシャラン！

　ーーダダッ！

　俺がその台詞を言い終えるより早く、羽咲（うさぎ）は剣を片手に異形の怪物、ジャンジャック・ド・クーベルタンに突撃していた！

　「ばっ！馬鹿！なにやって……」

　グォォォォーー！

　ーーザジュッ！

　ーーシュバッ！

　大人の腰ほどもある悪魔の腕が縦横無尽に振り回されるが、彼女はそれを器用にかいくぐり、二度、三度斬りつけた！

　「ぐっ！！小賢しいっ小娘めっ！！」

　飛び散る黒い血！

　そして、不意を突かれ、かすり傷とはいえ、ダメージを受けたクーベルタンは忌々し気に吠えた！

　ーーストンッ！

　「……」

　そんな相手を一瞥しただけで、俺から”クーベルタン（かいぶつ）”を挟んで向こう側に着地する羽咲（うさぎ）・ヨーコ・クイーゼル。

　「おまえ……なんて無茶を……」

　羽咲（うさぎ）とクーベルタンの攻防に、完全置いてきぼりの俺は、ようやくそれだけ言葉を発するがーー

　ーーヒュンヒュン！

　「ごめんなさい、盾也（じゅんや）くん……わたしね、あなたの過去を聞いても、本当の意味であなたを理解してあげられない！」

　刀身に付着した血糊を振り払った、翠玉石（エメラルド）の瞳が美しい美少女の可憐な唇から発せられたのは、別の事に応える言葉……

　「！？」

　ーーおまえ……まだ俺のくだらない過去話を……

　「でもそれは仕方ないことでしょう？だって、”羽咲（わたし）”と”盾也（あなた）”は別の人生を歩んだ、別の才能と別の経験を経た違う”人間”なんだもの」

　ーー羽咲（うさぎ）……？

　「ご両親のこと、その後のこと、なんていうか……言葉にならない……でも同情が欲しいわけじゃ無いよね、盾也（あなた）は……」

　「…………」

　「わたしは解らない、だってわたしは今まで、戦いを怖いと思ったことが無いから、わたしより強い相手に遭ったことが無いから……」

　「…………」

　「だから本当の意味で理解してあげられない……あなたのこと……それが……すごく……もどかしい……盾也（じゅんや）くんはいつも、苦しいときでも……ううん、苦しくて、怖いときこそ……軽口を言って、冗談を言って……誤魔化してた……」

　羽咲（うさぎ）の声は少したどたどしい……抑えきれない感情が見え隠れした……涙声だった。

　「羽咲（うさぎ）……俺は……」

　「わたしの無理強いした依頼に……身体（からだ）をボロボロにして訓練してた時も冗談めかして笑ってた……討魔競争（バトルラリー）でも、”九尾の狐（おばあさま）”が突然現れて混乱したわたしを、からかうように元気づけて一緒に戦ってくれた……プールでも、ホントは気づいてたよ、わたしが来る前に……わたしのために……”怪物（アレ）”となにかあったって……その他にも……いつも、いつも……」

　「だから羽咲（うさぎ）！考えすぎだって……俺は……」

　ーー駄目だ俺……ダメダメだ……全部バレてるじゃないか……

　「なのに……なのにわたしは……解ってあげられない……盾也（あなた）の本当の心を……」

　「羽咲（うさぎ）……」

　ーー大丈夫だ羽咲（うさぎ）……俺はそうして欲しいんじゃない……だから……

　「……だから……だからわたしは……」

　「…………」

　「いっしょに泣こう……」

　「！？」

　プラチナブロンドの美少女の透き通るような白い頬には……

　頬に……とうとう溢れて零れる大粒の涙……

　「羽咲（わたし）は本当の盾也（あなた）を理解できたわけじゃ無い……けど、たとえ上辺だけだと言われても……」

　もう堪えることも無い……次々と溢れ出る、翠玉石の瞳（ほうせき）から溢れる宝石のような涙……

　「それでも、きっと盾也（あなた）が羽咲（わたし）を想って戦ってくれたように……羽咲（わたし）が盾也（あなた）を想って流す涙は本物だもの！」

　「羽咲（うさぎ）……俺は……」

　ーー俺は止めたんだ……

　ーー俺は弱いから……

　ーー俺は卑怯だから……

　ーー俺は度胸が無いから……

　だから……

　せめて泣くのは止めた……

　ーー怖いことも、痛いことも、辛いことも、嫌な自分も……

　ーー泣くのは止めて、嗤（わら）って……茶化して……誤魔化して生きることに決めたんだ……

　それは羽咲（うさぎ）が言うようなご立派な事じゃ無い……それは寧ろ……

　ーーだから……だから羽咲（うさぎ）、お前はこんな俺なんかのために泣く必要は……

　「キミは泣いていいんだよ盾也（じゅんや）くん、泣くのは……多分弱いことじゃない……けど……それでも……それでもキミが男の子で、それが恥ずかしいというのなら……」

　「うさ……」

　「一緒に泣こう！」

　「っ！」

　ーーくそっ！

　俺は駆け出していた！

　さっきまで竦んでいた足が嘘のように……動いた！

　「させるとおもうか？雑魚がっ！！」

　再び異形の怪物が吠え、俺の行動を阻むように一本の悪魔の腕が迫る！

　ーーギィィィーーン！

　「ぬっ！？」

　俺はその敵の攻撃を、俺の唯一の武器……異端（イレギュラー）な”盾（のうりょく）”で弾いて……

　ーー

　ー

　「おまえ……無茶言うなぁ……」

　完全に復活した俺は怪物を挟んだまま、一歩彼女に近づき……いつものように軽口を言う。

　そしてーー

　彼女は涙に濡れた翠玉石（エメラルド）の瞳のまま、微笑（わら）った。

　「だって……わたしの胸、興味あるのでしょう？」

　青白い月光を浴びる彫像のように整った容姿の少女は、涙に濡れた瞳、輝く翠玉石の瞳とそれが乾かぬ白い頬のまま、いつもより紅みが増して見える唇の端を僅かにあげていた。

　ーーぞくりっ！

　瞬間、俺の背筋に悪寒よりももっと特殊な感覚が走り抜ける。

　ーーなんて……綺麗な顔で微笑（わら）うんだ……この少女は……

　咄嗟に言葉が出なかった俺は、暫く彼女を見たままだったが、ようやく言葉を返す。

　「おい……それって今言うことか？羽咲（うさぎ）？」

　「…………」

　ーーみっともない……

　ーーキョドってますと言っているような、みっともない有りふれた返しだ

　ーークスッ

　そして怪物の向こう側の美少女は、そんな俺に薄く微笑（わら）う。

　「……だったら！」

　そしてーー

　プラチナブロンドの美少女は。

　「わたしに触れたいなら……」

　涙と微笑の混在した美しい少女は。

　「私が欲しいなら……鉾木（ほこのき） 盾也（じゅんや）」

　まるで、自分の中で何かを確認するかのように丁寧に俺の名を呼んで、怪物越しのこちらにボロボロの剣先をゆっくりと向けた。

　「その日を飛び越えて来いっ！」

　暗闇でさえ映える翠玉石（エメラルド）の瞳、プラチナブロンドの髪と、銀色の刃こぼれした刀身を廃墟に漏れ入る月光に輝かせる少女。

　神秘的な微笑みを浮かべて立つ美少女……羽咲（うさぎ）・ヨーコ・クイーゼル……

　ーー俺はその少女を……身震いするほど綺麗だと思った。

　第五十九話「その日を飛び越えて来い？」END