第32話「先生はね、心配なのよ?」

 第三十二話「先生はね、心配なのよ?」


 「先生はね、心配なのよ……あなた達が」


 ーー夕日が空を紅く染める時間帯


 クラブ活動に精を出す生徒達もそろそろ帰り支度を始める頃に俺はそこに居た。


 「…………」


 「…………」


 職員室に呼び出された生徒は俺ともう一人、同じクラスらしい眼鏡の目立たない男だ。


 問題児ではあるが不良というには多分普通すぎる俺ともう一人。


 俺は遅刻、欠席、早退の常習犯、隣の男も似たようなものだ。


 「穂邑ほむらくんも鉾木ほこのきくんも、出席日数ギリギリなのよ……特に鉾木ほこのきくんは成績も……」


 もとい、俺の方は成績もピンチらしい。


 「……あなた達、もしかしてクラスに馴染めてないから……その、えっと」


 「…………」


 「…………」


 ーー心配無用だ美人の先生


 クラスに馴染めてないのは当たりだが”いじめ”とかではないぞ、ていうかクラスの奴らにはクラスメイトと認識されているかも疑問だ。


 ーー影が薄いからなぁ、俺もこの眼鏡ほむらくんとやらも……


 「あのね、あなた達、悩みがあるなら先生が……」


 ーー

 ー


 それから俺は(たぶんあの穂邑ほむらという男も)何度も職員室に呼び出された、何て言うか今時珍しい熱心な先生だ。


 ことあるごとに気にかけてくれ、さりげないフォローもしてくれる……


 俺は俺のしたいようにしているだけだったのだが、まぁ、それからは出来るだけ他人には迷惑をかけないように気をつけるようにはなった。


 当時の俺にしては、それは結構な進歩だった。



 「鉾木ほこのきくん、私ね……昔は虐められていたのよ」


 一年の三学期、進級を目前に控えたある日、俺は呼び出された職員室でそう切りだされていた。


 「は、はぁ……」


 いきなりヘビーな告白に、俺はと言うとなんと返して良いか解らない。


 というか、美人で何でもそつなくこなし、生徒にも他の職員にも、父兄にも絶大な人気を誇る、この御前崎おまえざき 瑞乃みずのという完璧超人が?


 俺はつい訝しげな表情になっていたのだろう、彼女は補足して話を続けた。


 「頑張ったのよ……自分で言うのも何だけど、かなりね……」


 「……」


 「私はね、小さい頃に実施されたIQ検査の結果がかなり高くてね、その後も飛び級したり、色々とね……」


 なるほど、異質なモノは集団には虐げられる対象になるからな……極端に頭が良すぎるのも考えものだ。


 「それで”そんな人達”、そんなレベルの低い人間達なんてどうでも良いって振る舞っていたら、益々孤立して……ある日、もの凄く非道いことをされたの……」


 その時の御前崎おまえざき 瑞乃みずのの表情は今でも鮮明に憶えている。


 美しく整った顔に浮かべた非道く辛そうで、非道く自嘲的な笑み……


 「……」


 「あ、ごめんごめん、突然こんな告白されたら引くわよね」


 彼女は暗くなった雰囲気を切り替えるため、何事も無かったかのように笑った。


 ーー俺は……


 俺は引いたりしていない……


 多分、彼女は……不真面目なうえ、友達も無く、何かと孤立しがちな俺を気遣って自身の嫌な過去を話そうとしてくれているのだから。


 「えっとね、鉾木ほこのきくん、私はそう言うことを言いたいわけじゃ無くてね、つまり孤立した私は自らの壁で更に孤立していったの……」


 今度は若干明るめに、意識して話す瑞乃みずのの話を、俺は珍しく真面目に聞いていた。


 「それである日ね、何もかもイヤになって、当時、子供には立ち入り禁止だった近くの山を登ったわ……それこそ、ひたすらに、遮二無二ね」


 「は、はぁ……」


 ーーなんで山?そこに山があるからか?


 真剣に聞いていた俺は、何がどうそこに繋がるのか、意味不明な急展開に生返事を返していた。


 「その山はそこそこ険しかったのかも知れないけど、高々、標高二百メートルほどのありふれた山、でも子供の足では、まるでチョモランマに挑む登山家の覚悟だった!」


 「えっと……せんせい?」


 「私は登ったわ!ええ!登りますともっ!人の背丈ほどの岩も子供の私には行く手を遮る絶壁!小さな溝も絶望的な峡谷としてそれらは小さい侵入者を阻んだのっ!」


 「あ、あのーー」


 駄目だ……普段、生徒達を惑わす先生の少し下がり気味の色っぽい瞳も……今はメラメラと天を焦がすほどの炎を宿して煌めいている!


 「……でも諦めない私はやがて……そこに立った……疲れ果てて軽く痙攣する足と擦り傷と泥だらけの全身で、そこから、その大した事の無いいただきから、めい一杯に子供の小さい身長を伸ばして下界を見下ろしてやったわ!」


 「そ、そうですか……」


 「そしたら、なんということでしょう!」


 御前崎おまえざき 瑞乃みずのはババッと華奢な腕を振りかざす!


 「…………」


 ーーでしょう!って……”なんとかアフター”かよ……


 その時、俺と先生の温度差は尋常では無かった。


 「大人も子供も男も女も、みんな同じ、まるで同じ米粒のようなただの小さい塊……」


 「……」


 「わかる?鉾木ほこのきくん、大人も子供も男も女も……私を虐めていた同級生達も、それを見て見ぬ振りする先生や、大人たちも……私を乱ぼ……!と、とにかく、みんな等しく価値の無い、ただの小さい塊だったのよ」


 「…………」


 語りきった感の美女を前にして、俺は内心動揺していた。


 ーーえっと……つまり先生は……何が言いたいんだ?それに、乱ぼ……?


 意図を測りかねる俺に向け、意外と熱血な一面をみせる美人先生はコホンと場を仕切り直す。


 「ごめんね、鉾木ほこのきくん……私、教育者らしくないことを言うけど、あなたはそのままで良いわ、うん、良いと思う」


 「……ええ……と?」


 「ふふ、別に友達がいるとか、いないとか、クラブ活動や仲間内で学生生活を充実させるとか、そんなのはやりたい人だけがすれば良いの……別にそれから外れたって人としてなにかおかしいわけじゃ無い、貴方のやりたいことはそうじゃ無いって事なだけだから」


 「…………」


 俺は……


 前段の話はよく解らなかったけど……


 夕日をバックに黄金に透ける黒髪と白い肌で……本当に……ほんとうに……俺のために穏やかに微笑む彼女を見て……見蕩れてしまった俺は……


 言われなくてもそうしてきたし、そうしていくつもりだったけど……


 「……ありがとうございます」


 そうとだけ答えた俺の胸は……何故だろう?……懐かしい想いでどうしようも無く熱くなっていた。


 「…………」


 「…………」


 「せ……先生……俺……先生と何処かで……?」


 俺自身も意図しない言葉が零れたとき、彼女は再び微笑んでいた。


 「そうよ、たとえ、成績が駄目でも、スポーツがいまいちでも、見た目がちょっと……でも、大丈夫なの!」


 「…………っておいおい!」


 良い雰囲気を急に茶化すお茶目な美女せんせい


 ーーなんか誤魔化されたような気がしないでも無いが……


 「ふふ、でもね、鉾木ほこのきくん、だからこそ、その人達につけいる隙を与えては駄目よ」


 「?」


 なんだ?またすこし雰囲気が変わったような?


 「最低限、進級して、卒業できるだけのことはしていかないと……誰かにつけいられるような事はしないで、そのうえで自身の好きな様に生きていけばいいの」


 「…………つまり、最低限ちゃんとしないと進級できないと?」


 俺はクルクルと変わる彼女に若干戸惑いながらも、現在いま、彼女の最も言いたいことを解釈して答える。


 「ふふふ、そういうこと」


 そして、御前崎おまえざき 瑞乃みずのは満足したように笑った。


 それは、いつものような大人の艶のある笑みでは無く。


 彼女には珍しい、なんだか子供のような無邪気な笑みだった。




 ーーそういうことがあったのが去年の冬のこと。


 彼女のフォローもあり、当時の俺は無事二年に進級できた。

 つい最近も留年を免れた訳だし……


 正直良い先生だと思う。


 他の生徒達は勿論、俺のような勝手な輩にまで、ここまで考えて接してくれる……


 ちょっとだけ親しくなってみると、少し浮き世離れしたところがあるのがわかるが、そこがまた何とも言えないミステリアスな大人の魅力を感じる所だ。


 ーー御前崎おまえざき 瑞乃みずのは良い指導者だ


 俺は、こんな俺でさえ、二年の担任がまた彼女だとわかったとき、内心ホッとしたのだから……


 その御前崎おまえざき 瑞乃みずのが……


 俺が唯一、信じられると思った教師が……



 「せ、先生?」


 「ああ……こんな好機チャンスが、あふぅ……こんな心躍る瞬間が訪れるなんて……」


 御前崎おまえざき 瑞乃みずのは豊満な身体からだをくねらせて、およそ教育者とは思えないような快感に溺れたような状態で、愛おしそうに両腕で自身を抱きしめていた。


 「御前崎おまえざき先生?いったい……?」


 俺は背後の女性の方を振り返り、どういうことなのか理解できず大いに混乱していた。


 「……始まりに言ったでは無いか鉾木ほこのきよ、お主は何か勘違いしておるようじゃな……と、羽咲うさぎの事といい……もうひとつ、そこな”女”の事といい……」


 「なっ?」


 俺はヨーコの冷たい声に再び正面に視線を戻していた。


 ーーブワァァ!


 ヨーコの前に複数個の狐火が出現し、勢いよく燃えさかりグルグルと廻る!


 「ちょっちょっと待て!俺達は別に戦いに来た訳じゃ!!」


 「そこな女にも同じ事が言えるのかえ!」


 ーーシャラララーー!


 俺の背後では、既に九個もの魔法珠まほうじゅが展開され、それがヨーコに指摘された女の眼前で、正円上をグルグルと回転していた。


 「お、御前崎おまえざき先生ーーー!」


 「あはははははっ!手に入れるわっ!伝説の陰陽師おんみょうじの力を!”聖剣”の力を!」


 ワンレングスの黒髪を振り乱して女は狂ったようにわらっていた。


 「御前崎おまえざき 瑞乃みずのは仮の姿……実際は内閣安全保障局、諜報機関”闇刀やみかたな”の構成員メンバー、国家の犬畜生でがすよ」


 それまで全く会話に不参加であった、黒頭巾少女が楽しそうにケラケラ笑いながら言葉を発する。


 「幾万いくま……目貫めぬき……?」


 俺はその時、その奇異な少女の方を最高に間抜け面で見ていたことだろう。


 「なんでがすか?盾也たてなりさん?っていたとですよ、ええ、幾万いくま 目貫めぬきは何でもどんなことでも、良く存じておりましたでがすよーーー」


 「ファンデンベルグ帝国どうめいこくとはいえ、その国の最強の騎士が、何の理由も無く自国に足を踏み入れたとなれば、日本くにとしては何らかの対応をするのは当然、当たり前田のクラッカーでありますにゃー」


 最早なんのキャラ付けかも不明な幾万いくま 目貫めぬき、妹バージョンは、これ以上ないほど楽しげに笑い転げながら説明する。


 「しかし……案山子かかしでがすよ?監視は兎も角、……その”聖剣”を直接どうこうしようとは、少しばかり、越権行為が過ぎるのでは?」


 幾万いくま 目貫めぬきは黒頭巾から露出した双眸を光らせて、臨戦態勢の御前崎おまえざき 瑞乃みずのに視線を送った。


 「……ふふふ、黒頭巾ちゃん、あなた不思議なね……でも、何でもっているって豪語する割には、私のことはまだまだ勉強不足みたいね」


 「……」


 御前崎おまえざき 瑞乃みずのは怪しく笑い、幾万いくま 目貫めぬきは、キョトンと純粋な瞳でその女を見る。


 「諜報機関”闇刀やみかたな”の御前崎おまえざき 瑞乃みずのも仮の姿!私にとっては仮初めのまやかし!」


 「ほほう……では本当のあなたはとやらは?」


 幾万いくま 目貫めぬきは特に慌てた様子でも無く問いかける。


 「あらゆる存在のいただきに立つ者……ただそれだけを目指すひとりの女……それが私という存在そのものよ!」


 とんでもないことを高らかに名乗る、御前崎おまえざきせんせ……いや、そうじゃ無いのか……


 「カフカフカフッ!アッシを黒頭巾ちゃん?そう呼びましたねぇぇ!おお可笑しいーー!可笑しな女が居やがるですよ!ね、ね?盾也たてなりさん?あなたの様な愚か者と同類?かもでがすよーーー!」


 再びゲラゲラと椅子の上で笑い転げ、足をバタバタ振り回す黒頭巾は、この上なく愉しそうに俺の方を見ていた。


 ーー相変わらず卑屈で卑怯だね、鉾木ほこのきくんは


 ーー鉾木ほこのき 盾也じゅんや!おまえは、知った風な顔でこれ以上、羽咲かのじょに関わるな!それが彼女の為……いや、おまえの矮小な人生を生きていくうえでの為でもある


 この間の幾万いくま 目貫めぬきの言葉が再び頭をよぎった。


 俺は……騙されたのか?……御前崎おまえざき 瑞乃みずのに……信じようと思った相手に……


 ーーそして……


 そして俺はまた……昔と同じ……全く同じ……


 …………浅はかな行動で取り返しのつかない失敗を犯すの……か?


 絶望に染まる心と困惑する頭……


 俺の両の拳は、震えるほど強く握られていた。


 第三十二話「先生はね、心配なのよ?」END


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