『日和ちゃんのお願いは絶対』第1話【恋物語】(3)

 ――決心さえしてしまえば、待っていたのは割とシンプルな幸福感だった。

 晴れて彼氏彼女になったあと。

 瀬戸内海を隔てた向島に帰る葉群さんを、フェリー乗り場まで送る途中。

 学校前の坂を下り駅へ向かいながら、俺達はとりとめもなくお互いのことを話していた。


「――そっか、葉群さんちはずっと造船なんだな」

「うん、ひいおじいちゃんの代からみたい……。頃橋くんの家は? 東土堂の辺りだよね?」

「ああ、うちは観光客向けの居酒屋やってる。父親が店長で、母親がフロアしきってて。葉群さんの家族も来たことあるんじゃないかな。『酒房ころはし』っていうんだけど……」


 そんな風に話しながら――雲の上を歩いているような、妙にふわふわした気分だった。

 あんなに迷って悩んで苦しんだくせに、それでも彼氏彼女になればあっさり幸せになってしまう。そんな自分の現金さが、なんだかちょっと面白い。

 それに、こうして歩いていると、隣の葉群さんに対する好意が強まっていくのだから不思議だった。大切にしたいな、と思う。俺は初めての彼女になった葉群さんを、できる限り大事にしていきたいと思う。

 と、彼女にちらりと目をやった俺は、葉群さんが微妙な顔をしているのに気付いた。


「どうした?」

「……あの、頃橋くん」

「なんだよ」

「仮にも、彼女になったんだから……」


 と、葉群さんはじとっと俺をにらみ、


「葉群さん、って呼ぶの、やめてほしい……」

「……ああ」


 確かに言われてみれば、彼氏彼女の仲になっておいて『苗字プラスさん』もよそよそしすぎるかもしれない。


「じゃあ、なんて呼べばいい?」


 葉群さんは、くすぐったそうに口元をごにょごにょさせてから、


「……日和、がいい。わたしも、深春くんって呼ぶから……」


 まあ、確かにその辺が妥当なのかもしれない。

 呼び捨てとか下の名前とか、付き合ってるならそれが普通なのかも。

 けれど、


「んー。なんか照れくさいな。苗字呼び捨てとか、やっぱり葉群さんのままとかじゃダメか?」

「えー! そんなんじゃクラスメイトと変わらないよー!」

「けど、いきなり変えろって言われても……」

「――わたしのことは、日和と呼んでください」

「そうは言ってもな。日和の方だけ俺のこと深春って呼べばいいから、俺はこれまでどおり――ってあれ!? 今俺、日和のこと日和って……。ん!? んん……!? もしかして日和……今お願い使った!?」

「だって、深春くん強情なんだもん!」

「マジかよ。日和……日和……。マジだ! もう前の呼び方で呼べない!」


 こんなにがっつり強制力あるのかよ!

 おいおい怖えーよ『お願い』……。日和のご機嫌損ねたら、なにされるかわかんないじゃないか……。


「……あんまり、乱用しないでくれよ、『お願い』は」

「ま、まあわたしも、頼りすぎたくないなあとは思ってるけど……」


 叱られた子供みたいに、唇を尖らせている日和。

 罪悪感はあるようなのだけど、そのおいしさを手放すのはやっぱり惜しいらしい。


「じゃあ、例えば……」


 と日和は探るような表情で、


「車持ってるお姉に……お菓子買ってきてってお願いするくらいはいいよね?」

「まあ、それくらいはな。毎日とかじゃなければ」


 頼まれる側だと考えれば地味に嫌だけど、自分の買い物ついでかもしれないしそれくらいはセーフじゃなかろうか。


「お母さんに、夕飯自分の好きなメニューにしてってお願いするのは?」

「それも頻度によるけど、まあありかな」


 それくらいなら俺も頼んだりするし。


「じゃ、じゃあ!」


 と、ちょっと勢いづいた様子で日和は目を輝かせ、


「先生に、次のテストで出る問題教えてもらうのは!?」

「それはダメだよ! 完全アウトだよ!」

「えー……じゃあヒント! ヒントもらうくらい!」

「それもダメ! 試験は成績にも関わるし、成績は将来にも関わるんだからそういうとこでズルしちゃダメだって!」

「じゃあ試験範囲! 試験範囲を事前に教わるのは!?」

「……いやそれはもともと公開されてるだろ!」

「……そ、そうだった……!」


 初めて気付いたような顔で、愕然としている日和。

 どれだけ天然なんだよ。こんな子が『お願い』を使えてしまうんだから、考えてみれば恐ろしい話だ……。

 そんな風に話すうちに――フェリー乗り場に着いた。

 この尾道には、瀬戸内海を隔てた向こうにある向島への渡し船の船着き場が、三箇所ほどある。海を隔てる、というとずいぶん距離があるように思われるかもしれないけれど、実際こっち岸と向こう岸では200メートルほどしか離れていない。昔は潮流のない時間に泳いで渡る人もいたという話だし、実際フェリーも五分ほどであちらの発着場へ到着してしまう。

 そもそも――そのフェリー自体も、おそらくよその人が想像するような『豪華な船』ではない。車数台と人が数十人乗ればいっぱいになるような小型船だ。ちなみに料金は片道60円。

 そしてちょうど、渡し場には次の船が来るところで、


「じゃ、じゃあまた明日ね、深春くん!」

「うん、またな、日和……」


 その呼び方の恥ずかしさにあいかわらず照れていると――日和はごく自然に、それまでと同じ表情のまま、


「……そうだ、最後にもう一個質問!」


 そう前置きして――俺にこう尋ねた。




「――例えば、一人の罪のない人質を助けるため、五人の誘拐犯に死んでもらうのはありだと思う?」




 面食らった。

 それまでの質問とは大きく毛色の違う――日和が口にしたとは思えない、深刻な問い。

 一瞬、冗談じゃないかと思う。

 日和なりのずれたジョークなんじゃないかと思う。

 けれど――彼女はそれまでどおりの、彼女らしいどこかのんきな表情をしていて……だから俺は、それが冗談でもなんでもないことを理解する。


「……ありだろ」


 短く考えて、俺ははっきりとそう答えた。


「むしろ、それが可能ならそうするべきだろ。今は人質は一人でも、その数は増えるかもしれない。それに、罪のない人一人の命の方が、誘拐犯五人の命なんかよりもずっと大事だろ」


 本心から、そう思う。

 確かに、短期的な人数だけ見れば、より多くの人が死んでしまう結果になるかもしれない。

 けれど、最近ニュースを見ていても思うのだ。この世界では罪のない人が犠牲になりすぎているし、悪人が軽い罰で許されすぎていると。

 だからこそ――俺は、その人質一人が助かるべきだと思う。

 そう願うのは、間違いないと思う――。


「……そっか、うん。ありがとう!」


 あいかわらず、いつもの調子で日和は笑った。


「さすが頃橋くんだね! なんかすっきりしたよ!」


 そのあまりの『普段どおり』さに。彼女の表情に揺らぎがないことに、俺ははっきりと違和感を覚える。

 けれど、


「じゃあ、今度こそまた明日!」


 それだけ言って、フェリーの方に駆け出す日和。

 その背中があっという間に桟橋の向こうへ遠ざかって――俺はその質問の意味を、彼女に尋ねることができなかった。







【速報】国連軍、■■拠点に空爆。死者百五十名。



 7日(水曜日)の日本時間未明。■■にある過激派グループ■■の拠点に、国連軍による空爆が行われました。

 この攻撃で■■の構成員少なくとも百五十人が死亡、指導者である■■・■■■■氏も殺害されたものと見られています。

 なお、民間人にも一部被害が出ていると見られておりますが、人質となっていた三十四人の学生は全員無事解放されたとのことです。

 この攻撃で■■は大幅な弱体化が確実となり、関与したとみられている〈天命評議会〉の正式な声明が待たれています。



■■■■年■月■■日 ■■時■■分(■■通信)






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