『日和ちゃんのお願いは絶対』第1話【恋物語】(2)

「――おはよう。あの、返事の件」


 翌日の、朝の教室で。

 のろのろと登校してきた葉群さんにそう声をかけると、


「お……おはよう!」


 彼女はビクリと身を震わせ、謎のテンションで尋ねてくる。


「い、いかがでしたか!? 頃橋くん的には、答えは決まりましたでしょうか!?」

「なんだよその口調、アフィ目的のブログかよ。しかも、ここで話すわけないだろ」


 思わず笑い出してしまう。

 こちらとしても緊張していたから、ちょっと気が楽になってありがたい。


「だ、だよね……そうか、ここで話さないか……」

「うん、だから放課後、ちょっと時間欲しいんだけど」


 ――言いながら、なんとなく卜部の席の方に視線をやった。

 なぜだかあいつには、こういう場面を見られたくなかった。

 気まずいし、恥ずかしいし、なんか色々察されそうな気がする。

 けれど、卜部はこっちの様子なんて全く気にしていないみたいで、


「――あれ、絵莉今日クマヤバくない?」

「マジで? コンシーラしてきたんだけどバレる?」

「割とわかる、どうしたん、寝不足?」

「あー、昨日遅くまでゲームやっててさー」


 いつもの派手系女子数人との会話に夢中みたいだった。

 ……まあ、そうだわな。

 俺のそういうとこ興味ないって言ってたし、別に気にもならないか。

 いつもどおり一緒に登校してくる途中も、告白の話題なんて一切出なかったし。


「ああ、放課後……うん、大丈夫! どこで話す?」

「じゃあ、屋上で。あそこ昼過ぎると人いなくなるし」


 俺達の通う高校は、珍しく生徒の屋上利用が許可されている。

 敷地面積が狭くて自由に使えるスペースが少ないこともあるのだろうし、そこから撮った写真は瀬戸内海、向島がきれいに映って非常に『映(ば)える』ので、学校としても貴重なアピールポイントとして利用したいのもあるんだろう。


「わ、わかった……」


 緊張気味にうなずく葉群さん。


「じゃあ、そこで返事は聞く感じで……」

「うん」


 と、彼女は何気ない様子で教室前方に視線をやって――突然目を丸くした。


「え……わ、わたし今日、日直!?」


 言われて振り返ると――確かに黒板の隅、右下の日直欄には『葉群』の名前がある。


「うわ、マジじゃん」

「や、やばい……完全に忘れてた!」

「早く職員室行って、今日のプリントもらってこないと。多分先生待ってるぞ」

「う、うん……! 行ってくる!」


 うなずくと、葉群さんは慌てて鞄を机に置き、教室出口に向かって駆け出した。


「じゃあ頃橋くん、またあとで!」

「お、おう。気を付けて」


 ばたばたと教室を出て行くその背中を、苦笑交じりに眺める。

 本当にそそっかしい人だな……。

 あんなんじゃ無駄に体力浪費して、朝から疲れ果ててしまいそうだ。

 と、乱雑に置かれた彼女の鞄がバランスを崩し、机から落ちそうになる。


「お、うおっと」


 慌てて手を伸ばし、それを空中でキャッチ。

 なんとか落下は免れたけど、ポケットから何かが飛び出し床に転がった。

 ――メモ帳だ。

 手の平に収まるくらいの、どこにでも売っている小さなメモ帳。

 何の気なしに手に取ってみると、その表紙には――彼女の字で、こんな風に書かれている。




 ――お願い帳。




 なんだろう、家族間のやりとりのメモとかだろうか。

 元の場所に戻そうかと考えるけれど、本人がいないところで鞄をごそごそするのもよくない。となると、

「あとで手渡しすればいいか」

 そんな風にひとりごちながら、俺はひとまずそれを制服のポケットにしまった――。







 ――放課後。屋上で一人、葉群さんを待っていた。

 日直の仕事がまだいくつか残っているらしい、ちょっと遅くなっちゃうかも、と彼女には事前に謝られていた。

 ただ、俺にとってはそれも好都合だ。

 今日はこのあと予定もないし、一人で色々考えておきたい。

 俺はフェンスに体重をあずけ、眼下の景色に目をやる――。

 今日も尾道はよく晴れていて、街はこじんまりとしていて、瀬戸内海はキラキラと細かい輝きを放っていた――。

 頬に潮の香る風を感じながら――ひとつため息をつく。




 ――断るつもりだった。

 俺は、彼女の『付き合ってほしい』というお願いを――拒否するつもりだった。




 ……確かに、気持ちはうれしい。俺も彼女には、ぼんやりと好感は覚えている。

 今でも心のどこかに『付き合っちゃってもいいんじゃ?』という気持ちはあるし、他の誰かに相談されていたら『とりあえずOKしとけ』とアドバイスするだろう。

 けれど――いざこの立場になってみると、そんなに気軽な話ではなかった。

 というのも……そもそも、俺はこれまで誰とも付き合ったことがない。

 もしOKすれば、これが初めての男女交際、ということになる。

 だとしたら――その相手は、心から好きでしょうがない人とがよかった。

 葉群さんには申し訳ないけれど、あまりにも潔癖すぎるかもしれないけれど――ちょっとかわいいから、みたいな理由で付き合うのは、なんだか間違っている気がした。


「……はぁ……」


 思わず、ため息が漏れる。

 人を振るのって、苦しいものなんだな……。

 初めての経験だから知らなかったけれど、相手の好意に答えられないって、こんなに辛いことなのか。あの子が悲しむ表情がエンドレスで頭に浮かびつつけて、胸がちくちくと針で刺されるように痛い。

 と、


「……ん?」


 罪悪感に唇を噛んでいると――学ランのポケットに、何か入っているのに気付いた。

 紙の束がリングで留められた、手の平大の何か――。


「ああ、忘れてた……」


 ――葉群さんの『お願い帳』だった。

 朝拾って、色々と考え事に夢中で、すっかり返しそびれていたらしい。

 ……そして、何の気なしに。

 悪気も、ほとんど意思もないままに、俺はそのページを開いてしまった。

 他のことに頭がいっぱいで、プライバシーやデリカシーを気にすることもできなかった。

 そこには――葉群さんの気の抜けた文字で短い文章が箇条書きに書き付けられている。




・お姉にピノ買ってきてとお願いした


・咲恵にカレコイのネタバレ解説をお願いした


・先生に宿題忘れたの怒らないでとお願いした




「……なんだ、これ」


 どうも、葉群さんが日々周囲の人にお願いしたことが綴られてるみたいだ。

『お願い帳』って……そういう意味か。

 多分『お姉』というのは葉群さんの姉。咲恵はクラスの友達で、『カレコイ』はアプリで読める最近人気のマンガだろう。

 ただ、なんでわざわざこんな記録をしているのかがわからない。

 うれしかったから忘れないように、とか?

 そして、気になってページをめくると俺の名前がちらほら見え始める。




・席替えで頃橋くんの隣になれるように先生に協力をお願いした


・頃橋くんにお弁当一緒に食べたいとお願いした


・頃橋くんにデートに行きたいとお願いした




「……えっ?」


 ……先生に協力をお願いした? 席替えで?

 そんなの、先生が受け入れるはずがないと思うけど……どういうことだ?

 なんとなく、胸騒ぎがし始めていた。

 これはただのメモじゃないような、なにか大事なことを記録したもののような、そんな予感――。

 不穏な気配に急かされるようにしてさらにページをめくり、


「――っ!」


 ――俺は息を呑む。

 びっしりと、書き込まれていた。

 沢山の小さな文字が飴に群がる蟻のように、あるいはエスニックな呪いの文様のように、そのページに書き込まれていた。

 一瞬目に入った単語は、




 ――条例――安全――部隊――逃がして


 ――宗派――漏れなく―拒否――指導者




 肌で感じる不穏さに、思わず目をこすった。

 一瞬――ポエムかなにかかとも思う。

 葉群さんが中二病を炸裂させて書き綴った、黒歴史確定のポエム。

 けれど、そのページから香るのはそんな自己陶酔の匂いじゃなくて、追い詰められた、切実な、彼女の内側に滾る『何か』の気配で――。

 きっとここには、とても重大なことが書いてある――。

 ――ほの暗い興味が湧いた。

 真っ黒になったページ、彼女の内面にある『何か』。

 そこには抗いがたい蠱惑的な魅力があって、どうしても目が引きつけられて――、


「――あー!!」


 ――あがった声に、ぎくりとした。

 弾かれたように顔をあげると――屋上入り口の扉の前。

 目を見開いている葉群さんがいた。


「わ、わたしの『お願い帳』!」


 ……しまった! 見られてしまった!

 私物を勝手に拝見しているところを、持ち主に見つかってしまった……。

 今さらになって我に返る。まずいことをした実感がこみ上げる。

 どうしよう、まずは謝るか? それとも、こんなことをした言い訳をするか……!?

 ――考えているうちに、彼女はスッと息を吸いまっすぐ俺の方を向く。

 そして――妙に耳に届く声で。

 頭に直接語りかけるような響きで――俺にこう言った。





「――か、返して……」





 ――ああ……返そう。

 メモ帳を、彼女に返そう……。


「……はい」


 彼女の前まで歩きつくと、反省の気持ちを込めて頭を下げ、メモ帳を彼女に渡す。

 本当に、ずいぶんと不躾なことをしてしまった。


「ごめん。今朝拾って、どこかで返そうと思ってたんだけど、タイミング見失って」

「そ、そうだったんだ……」


 メモを胸にぎゅっと抱くと、


「ありがとう、拾ってくれて……。中……見た? ――何を見たか教えて?」


 不安げに、上目遣いでこちらを見る。


「色々お願いが書いてあるのは見たよ。でもそれくらいで、あとはよくわからなかった」

「……そう」


 視線を落とし、なにかを考えている葉群さん。

 迷うような表情で、ぶつぶつとなにかをつぶやいていて……どうしたんだろう。

 葉群さん、なにを考えているんだろう。


「……そう、だよね……。好きな人に、秘密にするのは……誠実じゃないよね……よし!」


 彼女は顔をあげ――こちらを見る。

 そして、昨日の告白のときのように意を決した表情で、


「あの……頃橋くん! 実はわたしね……ちょっとみんなに、隠してることがあって……」

「隠してること?」

「うん……あのね……」





「――わたしのお願いは絶対なの」





「……は?」


 お願いが……絶対?

 ……意味がわからない。 どういうことだ?


「あ、あの小さい頃にね! 色々試したの!」


 怪訝そうな俺の表情に気付いたのか、一層慌てた様子で葉群さんは説明する。


「うちの親、厳しいんだけど……なんとか、お願い聞いてもらえないかなって……。そうしてるうちに『あること』をしながらお願いすると、絶対に聞いてもらえることに気付いて……」

「……『あること』?」

「うん……あ! 詳しくは内緒! けど、相手にそれをしながら『○○してください』って頼むと、絶対言うとおりにしてくれるんだ……。家族だけじゃなく、クラスメイトも、知らない人も……言葉さえ通じれば、外国の人も……」

「……へえ」

「今でもわたし、時々それを使って周りの人にお願いしてて……でも本当は、それもあんまりよくない気がするから……自分を戒める意味で、お願いしたらそれをこのメモ帳に記録してるの……」

「なる、ほど」

「わかって、もらえたかな……?」


 ……ああ、よくわかった。

 葉群さんは、人に絶対お願いを聞かせることができる方法を知っている。

 それを使って、時々周りの人を意のままに操っている、と……。

 なるほど……なるほど……。




 ――葉群さん、妄想と現実の区別がつかない、やべえやつだったのか。




 絶対お願いできる方法なんて、あるわけがない。

 仮にそんなものがあるとしたら、それを発見するのはこんな片田舎の女子高生ではなく、世界でも最先端の研究所とか大学病院とか企業とかだろう。

 つまり、葉群さんは自分の妄想を信じ込んでしまっている、ちょっとやばい人ってことだ。危ないところだった、告白うっかりOKしたあとにそのことに気付いてたら、悲惨なことになってたかも……。


「……んー?」


 と、葉群さんは俺の顔を覗き込み、


「もしかして、頃橋くん信じてない……?」

「いや、信じてないこともないよ。人はそれぞれ違う現実を見ているからな。葉群さんにとってはそれが現実なのは、間違いないんだろ」

「……信じてないじゃん」


 不満げに口を尖らせる葉群さん。そして彼女は――、


「いいもん、じゃあ実力行使でわかってもらうから」


 ふうと息をつき、俺に向き直った。


「頃橋くん――踊ってください」

「ああ、わかった」


 ……踊りか。

 知ってる振り付けなんてほとんどない。となればしかたない。中学の頃、文化祭のクラスの出し物で覚えさせられた半分体操みたいなダンスを踊ってみせよう――。


「……ありがとう。なんか変な踊りだけど、それはそれでかわいいね。じゃあ次は――ミュージカルやって」

「OK」


 ミュージカル……知っているのは、劇団四季の有名なやつがあるな。

 ひとまずそれを、校庭に響くくらいの大声で熱唱する。

 葉群さんはそれを聞いて爆笑し、


「あはは! 割と上手い! 頃橋くん……歌が得意なんだね、知らなかった。じゃあ最後に――有名人の物まねして」

「……ちょ、待てよ! おい、ちょ、待てよマジで!」

「これも結構似てる……! こういうの、苦手そうなイメージだったけど、意外と器用なんだね。……ということで頃橋くん」


 葉群さんはうっすらとほほえむと、その首を小さく傾げ、


「『お願い』、実際聞いてもらったけど……どうかな? これなら、信じてもらえる?」

「……え?」


 ――そこで初めて。

 そう尋ねられて初めて――自分の行動のおかしさに気付いた。


「……マ、マジ、か!」


 ――ダンス、ミュージカル、物まね。

 普段の俺だったら、どれだけ頼み込まれたって絶対やらない、恥ずかしいことばかりだ。

 それを俺は――なんの疑いもなく、葉群さんにお願いされたというそれだけで全力でやっていた……。

 ――愕然としてしまった。

 恥ずかしさもあったけれど、それを遙かに上回る驚き。

 本当に――言いなりになってしまった。

 彼女のお願いに、当たり前のように従ってしまった。


「嘘、だろ……? でも、実際俺……」


 考えてみれば、これまでもそうだった。

 昼休み、お話をしようと誘われてなんの疑問もなくそのとおりにした。二人で出かけたいと言われ、躊躇もなく同意した。

 今考えれば微妙に不自然なそれらのことも、『お願い』に操られてだとしたら納得が行く……。


「けど、本当にそんなことありえるか? そんな、超能力マンガみたいな……」

「んもー! まだ疑うの? 頃橋くん、まさかさっきのダンスも歌も物まねも、自分の意思だったと思うの?」

「確かに……確かにそれはありえない」


 となると――もう、信じるしかないだろう。





 ――葉群さんのお願いは、絶対なんだ。





「……ん? でも、ということは」


 そこまで考えて――ふと俺は気付いてしまう。

 彼女の能力を考えれば、当然取ることのできた選択肢――。

 その強力さを思えば、当たり前に出てくる可能性――。


「昨日の告白も――『お願い』を使って、絶対OKをもらうことだってできたのか……」


 そうだ、そういうことになる。

 彼女は人の意思を変える方法を持っていて、その上で俺に告白してきた。

 なら、絶対に返事をOKにさせることだってできたはずだ。

 なのに、


「そ、そんなことはしないよ……!」


 必死の表情で――無実を訴えるような声で、葉群さんは主張する。


「好きな人の気持ちなんて……歪めたくないもん。そんなことしたって、うれしくないもん……! だから、頃橋くんに告白したときは、『お願い』使ってない!」


 ――その言葉は、間違いなく本当だ。

 だって俺は――告白を断るつもりだったんだから。

 本当に大切な場面で、葉群さんは『お願い』を使わなかった――。

 その事実に……俺は自分が思い違いをしていたことに気付く。

 ぼんやりした子なんだと思っていた。気弱で、どちらかというと意志が弱くて、緩やかに柔らかに生きているのがこの葉群さんなんだと思っていた。実際今も、そういうところがあるんだろうと感じる。

 けれど――それだけじゃない。

 この子は、大切な場面では自分を強く律することができる。

 強い意志で、自分自身に厳しくすることもできる子なんだ――。


「だ、だから……もう一度言います!」


 ――今にも泣き出しそうな顔で。

 はち切れそうな声で、彼女は俺に『お願い』した。




「――好きです! わたしと付き合ってえええええ!」



 

「……あはは」


 なんだか、笑い出してしまう。

 そうか。今さらになって、ようやくちょっとわかった気がする。

 葉群さんという女の子の、その内面を。気弱そうな彼女の、強い気持ちを――。

 そして――もう一つ気付く。

 手をぎゅっと握り、唇を噛み、目に涙を浮かべじっとこちらを見ている葉群さん。

 酷く不安げで、気持ちが大きく揺れているのが丸わかりな、無防備な彼女。

 この子のことを――もっと知りたいと感じている自分に。

 この子のそばで、この子の気持ちを、喜びも怒りも哀しみも楽しさも、一緒に経験してみたいと感じている自分に――。

 だとしたら、そうだな。

 一度決めたことだけど、考え直してもいいかもしれない。

 決心を覆すことはあまり好きじゃないのだけど……今回は、その枠から踏み出してみてもいいかもしれない。


「……うん、わかった」


 俺は――そう言って彼女にうなずいてみせた。


「付き合おう。よろしくお願いします――」




 ――彼女の目から、ついに大粒の涙があふれ出した。



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