彷徨える誰そ彼。

よだか

「誰そ彼」

 幽霊にもコミュニケーションがあるのだろうか。天木 真あまき まことは近頃そんなことを思う。堤防の上に海を眺めるように配置されたベンチに大儀そうに腰かけて日差しの照り返しを遮るようにジャケットのポケットから出したベージュのサングラスを装着した。サボっているように傍からは見えるだろうが一応仕事中だ。

 ヒュッと不意に冷たい風が前髪を揺らした。サングラスの隙間から背後を見やり、肩を竦めて立ち上がる。迷いのない足取りで歩き出して25分ほどで風景は住宅街へと移る。ワンルームマンションが新旧入り混じっているのは独身者が全体の45%という裏づけか、不安定な雇用で一軒家を持つことが夢物語となっている現状ゆえか。


 「ここか……」


 足を止めたのは年季が入ったアパートだった。1階と2階合せて6部屋。2階は最近増えている各部屋独立型ではなく、鉄階段で繋がる金属床の廊下があるタイプのもの。念のため登れば、カン、カン……と高い音がした。上りきってすぐの部屋のドアを見つめ、雇い主に電話を入れる。


 「天木です。○○町6番地、▲▲▲アパート2階、正面から見て左端、おそらく男性。手配お願いします」


 階段を下りてさっきまでいたベンチへと戻った。海風は少し冷たく、日差しは眩しい。この仕事で毎回落ち込んでいたらやってられない。そもそも、これが仕事になるなんて17年前は想像だにしていなかった。ベンチの背もたれに両手を引っ掛けストレッチをするように上を向く。


 天木には霊感があった。

 高校生の時だった。誰かが泣いている声がして妙に気になっていつもの帰り道を逸れた。小さな古い一軒家。見た途端に理屈じゃなく理解した。ああ、死んでるんだって。面倒事は嫌だったし、うっかり呪われるのも避けたかったから、住所と表札をメモして公衆電話を探して匿名で通報した。 『おばあさんが死んでいるみたいです』と。巷で問題視され始めた孤独死した高齢者。発見が早かったお蔭で親類との対面もできたらしい。

 それから、ちょくちょく誰かが死んでいるとわかった時は匿名で通報するようになった。どちらかったら疎んでいた霊感で求められても説明なんかできない。でも警察が動くのはスリルだった。大学卒業間近、大きな転機が訪れた。


 『孤独死を通報してくれているのは君だね。君の力が借りたいんだ』


 どこかの防犯カメラに映ったのであろう写真を手に笑顔が胡散臭い中年男が会いに来た。『公認第六研究所』、名刺の会社名はそれ以上に胡散臭かったけれど霊感を表沙汰にしたくない身としては交渉に応じるしかなかった。

 研究所はいわゆる人間が持つ第六感について研究し、活用可能なものはどんどん実験、実用化を目指すコンセプトらしい。今までの通報は10件に満たないはずだったが、はずれがなかったことで実用に足ると判断されたという。

 これは社会問題として取り上げられていることもあって周囲からもせっつかれていた。霊感なんてあるかないか定かじゃないものに頼るなどという声は当然あったが、結果的に早い段階で発覚したメリットは大きく天木への接触が決定したという流れを男は一気に話した。


 自分が評価された、特別だという自尊心をくすぐる快感と、報酬の高さ。難航している就活を終わりにできる。もったいぶってみせたけれど結局は提案に乗った形。あっという間の12年間。

 たくさんの“死”に触れた。孤独死の背景は貧困だったり、離婚だったり、病死だったり、単身赴任中の自殺だったり……様々だ。同じ死などひとつだってなくて、泣く人がいても気付かれずに命の時計が止まることもあるんだと思い知らされた。死は、遠いものなんかじゃなかった。


 天木が忘れられない案件がある。3年前、40代の女性の死を通報した時のこと。正確には女性が天木に接触したのだ。リアルに実体を伴って連絡先のメモを渡してきた。そこで初めて生きている女性じゃないと気付いて、追いかけて、狭小住宅の前に立った時、彼女は振り向いて言った。


 『連絡をお願いね。それだけで、いいから』


 バチバチッと爆ぜる音がして、煙の臭いが鼻を掠めた。瞬間、火柱が立った。とんでもない火力で家は通報したにも拘らずあっという間に燃え尽きた。発火の原因は電気ショートとされたがあそこまで燃え上がった理由はわからないまま。焼け跡から骨が見つかって、住人の独身女性だと断定され……天木は初めて直接関係者に会ったのだ。連絡先は彼女の友人だった。取り乱して、泣いて、泣いて、それでも信じがたい天木の言葉を信じてくれた。

 「彼女らしい。片付けも火葬も全部自分でやったんだ」と呟いた。

 彼女も霊感を持っていたという。用意周到な人だったと。きっと、予想外に死んでしまったのだろう。友人に知らせたくて、でも見せたくなかったから……非常識を総動員して連絡を頼んだうえで燃やした。彼女の執念だったのだろう。


 友達を見つけてくれてありがとう。目を真っ赤にして深く頭を下げたあの人は今は元気になっているだろうか。天木に会いに来た幽霊も成仏して生まれ変わっているといい。


 早く、見つけてあげたい。そう思った。火事を起こして後始末をした彼女を思う。きっと日数が経ってしまっていたんじゃないかと思うのだ。他人にとても見せられないって判断するくらい。早く見つけていたらちゃんとお別れができたんじゃないかと思わずにはいられない。酷い状態になっていたら遺族が弁償とか、お詫びとかの対応で真っ直ぐ死者と向き合う機会を逃してしまうのも今では知っている。だから、なるべく早く。

 

 他者に干渉しない社会が生んだ孤独死。霊感という非科学的なものが救済の一手を担っている現実。仲間内で居場所を報せにくる幽霊が増えていると話題になっていた。死んで初めて助けを求められるというなら、そんなに寂しいことはない。

 天木と同じ能力を持った人間は増えつつあるという。それが意味することは一体なんなのか。


 晴れ渡る空の下、また冷たい風が吹く。天木はゆっくり立ちあがる。背後うっすらと視認できる人影に心内で語りかける。


 「貴方は誰ですか。どこに行けばいいですか」

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彷徨える誰そ彼。 よだか @yodaka

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