第26話 緩やかな変化 

 ミミが死んだ事を告げた後、翔は傍目には特に変わらず過ごし、俺も仕事に忙殺されて数日後にはその事を忘れてしまっていた。

年末年始休暇に入り、実家に出向く時になって漸くその事を思い出したが、翔は勿論、縁も全くいつも通りだった。


「おじいちゃん、おばあちゃん、こんにちは!」

「じぃじ、ばぁば~」

「おう、翔も縁もよく来たな」

「美味しいものを、たくさん用意しておいたわよ?」

いつも通り両親が玄関で出迎えてくれたものの、そこに居るはずのハナがいなかったので、何気なく尋ねる。


「あれ? ハナは? 寝てるのか?」

「リビングにいるわ」

「そうか」

 そのまま幾つかの世間話をしているうちに、翔と縁はさっさと玄関から上がり込み、コートを脱いで奥へと進んだ。


「ハナ、こんにちは! 何してるの?」

「ねこしゃ~!」

「…………」 

 二人が脱ぎ捨てたコートを佳世と一緒に拾い上げてリビングに入ると、掃き出し窓の前に座っているハナに、翔達が話しかけているところだった。しかし二人に呼びかけられても当のハナは微動だにせず、無言で庭を凝視していた。するとその視線を追った翔が、再び動き出す。


「おにわを見てるの? あ、そうだ。ミミにあいさつしにいかなきゃ! 縁、いくよ!」

「うん!」

「おい、こら待て、お前達!」

「上着を脱いだばかりで、そのまま行かないで! ちゃんと着て!」

二人がそのまま外に出て行こうとするのを俺達は慌てて引き止め、再びコートを着せて外に出た。両親も苦笑いしながら一緒に家の外壁を回り込み、家の裏に広がる庭へと向かう。


「おじいちゃん、ここ?」

「ああ。そこにミミを埋めたからな」

「わかった」

 翔は覚えていたらしい栗の木にまっすぐ歩み寄り、父さんに確認を入れると、ここまで慎重に手を引いて連れて来た縁に向かって、真顔で言い聞かせた。


「縁、ここがミミのおはかだよ。わかる? お耳がちょっとペタンとなってたねこ」

「うん、み~」

「じゃあここで、いっしょになむなむしようね?」

「うん、なむなむ~」

 翔が木の根元に向かって両手を合わせて軽く頭を下げると、兄が大好きな縁はその真似をして両手を合わせた。そして再び頭を上げた翔が、縁に説明を続ける。


「縁、ミミはこの木になったからね。秋になったら、おいしいくりをくれるよ?」

「おいしい?」

「そう、おいしいくりごはん」

「わ~い!」

 翔の話を聞いた縁が満面の笑みで万歳をしたが、俺は思わず突っ込みを入れた。


「翔、ちょっと待て。ミミは土葬じゃなくて火葬にしてから埋葬したし、大して木の栄養にはなっていないぞ?」

 その途端翔が背後を振り返り、年には似合わない冷めた視線を俺に向けてくる。


「ぶっしつ的ないみじゃなくて、せいしん的ないみだよ。大人なんだから、それくらいわかって」

「…………分かった」

「よし。じゃあ次は、ハナにちゃんとあいさつするよ」

「うん! は~ちゃ!」

どうやら挨拶をやり直すらしい二人は、再び手を繋いで元気良く家の中に向かった。それを見送りながら、両親が呆れ気味の視線を向けてくる。


「太郎……。お前、幼稚園児に言い負かされるとはな……」

「最近の子供は、難しい言い回しをするのねぇ……」

「…………」 

 もうすっかり立場を無くした俺は、肩身の狭い思いをしながら家の中に入った。


「縁、ハナはおばあちゃんだから、たたいたり引っぱったりしたらダメだよ? やさしくね?」

「なでなで~」

「うん、そうそう」

「うにゃあ~ぅ」

再度リビングに入ると、既に翔と縁がハナの左右に陣取り、構い倒していた。

 とは言っても翔の指導の下、無理に抱き付いたり押し潰したりなどせず、抱っこしたり身体を撫でたりするだけで、ハナも微妙に嫌そうな気配を醸し出しつつも、おとなしく従っている。昔はミミに任せきりで、翔の相手なんかしなかった事を思うと、あいつも相当年を取ったなと少々切なくなった。

その時はハナがおとなしくなったと思っただけだったが、次に春に実家に出向いた時、その姿に衝撃を受ける事となった。


 ※※※


「あれ? おばあちゃん、ハナは何をつけてるの?」

 いつも通りリビングに入ってハナと対面すると、その尻に見慣れない物が付いていた為、翔が不思議そうに尋ねた。すると母さんが苦笑気味に答える。


「ああ、あれね。ハナは翔君達にこの前会った後、トイレの場所が良く分からなくなっちゃったみたいなの。それであちこちでおしっこやうんちをしないように、猫用のオムツをするようになったのよ」

「縁はオムツをしなくても良くなったのに、猫はお年よりになるとオムツをするんだ……」

「猫だけじゃなくて、人間だってそうだぞ?」

「え?」

 父さんの台詞に、翔が目を丸くして二人を見上げる。


「そうねぇ。おばあちゃん達はまだ大丈夫だけど、もっとお年寄りになったら、ハナと同じようにオムツをするようになるかもしれないわね」

「……ほんとうに?」

「そうよ」

 どうやらその話に相当衝撃を受けたらしい翔は、固まったまま何回か瞬きした。しかし少し難しい顔で考え込んでから、両親に向かって深く頷く。


「うん、分かった。小さいときにおせわになったし。こんどは翔が、おじいちゃんとおばあちゃんのオムツをかえてあげる」

 そんな事を真顔で言われた父さん達は、本気で嬉しそうな顔になった。


「あら嬉しいこと。それじゃあ手始めに、もう少ししたらハナのオムツを替えてくれる?」

「できるよ。縁のオムツをかえたことあるし」

「頼もしいわね。じゃあ後から教えるわ」

「本当に翔は、太郎より頼りになるな」

「……悪かったな」

 自分の横で一連のやり取りを見ていた佳代が笑いを堪えているのは分かったが、どうにも弁解しようがないのでそれ以上何も言わなかった。

 それで翔達がハナに構っているのを横目で見ながらソファーに移動し、四人でお茶を飲みながら声を潜めて話し出す。


「ところで、ハナはそんなに悪いのか?」

 その問いかけに、父さんが困惑気味に応じる。

「悪いと言うか……、ミミが死んで一匹になったら、一気にきたという感じだな」

「昼夜構わず家の中を徘徊するし、そうかと思えば丸一日以上寝ていたりするし」

「食事もな。食べた後にすぐ催促してきて、出さないと暴れるし」

「でも食べさせると、後で吐いたりしているから」

「それは大変ですね」

 佳代が思わず口に出すと、両親は苦笑を深めた。


「だが、ハナとは長い付き合いだからな」

「お医者様からも粗相をしても怒ったりしないで、優しく接してあげてくださいと言われているしね」

 俺はそれを聞いた時、こうなると人間と同じだなと思ったが、口には出さなかった。

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