第27話 反省
「おじいちゃん、おばあちゃん、こんにちは!」
「こんにちは~!」
夏になり、また一家揃って実家を訪れると、やはり玄関で出迎えてくれたのは両親だけだった。
「おい、二人ともまた大きくなったな」
「いらっしゃい、縁ちゃんもお喋りが上手になったわね」
「ハナはどこ?」
「自分の寝床にいるぞ。寝ていたら起こさないようにな」
「うん。じゃあ縁、行くよ?」
「うん、いこ~!」
元気一杯で上がり込み、奥に向かって突進していった翔達だったが、この間でハナに無茶な事はしない事は分かっていた為、俺は上がり口に荷物を下ろしながら見送った。
「毎日暑くて堪らないな。二人とも、熱中症には気を付けろよ?」
「それは十分、気を付けているわ」
「ハナは室内で生活していると思いますけど、それでも辛そうですか?」
「あまり寒暖差は感じていないのかもしれないな。勿論、エアコンで室内の温度は完璧に調節してはいるが」
「そもそも、最近は寝ている事の方が多くてね」
「そうか」
そんな会話をしながら、何とも言えない顔でリビングに向かうと、その片隅に置いてあるハナの寝床を覗き込みながら、翔が縁に言い聞かせていた。
「縁、やさしくなでなでだよ? オムツしてるから、赤ちゃんと同じ。パンツの縁のほうが、おねえさんだからね?」
「うん、ゆかり、おねーちゃん! パンツ!」
「なぉ~ぅ」
どうやらハナは起きていたらしく、上機嫌に自分の頭を撫でている縁を邪険にする事無く、うずくまったままだったが相手をしてくれているらしかった。
この時は三日を過ごしたが終始ハナは動かず、翔と縁は一方的に話しかけたり、抱っこしたり撫でたりして、穏やかに時間が過ぎていった。
※※※
厳しい残暑が漸く治まり、過ごしやすい時期になった頃、夕食を食べ終えたタイミングで俺は佳代から声をかけられた。
「太郎。お義母さんから電話だけど」
「ああ、分かった」
固定電話にかかってきたそれを佳代から引き継ぎ、こちらは殆ど黙って話を聞き終えると、佳代が幾分心配そうに尋ねてきた。
「お義母さんの話は何だったの?」
「ハナが死んだそうだ」
端的に告げたが、夏に訪れた時の様子を見て、佳代はある程度予想はしていたらしい。
「そう……。去年ミミが死んだ時期と、殆ど変わらないわね。それでどうするの?」
「翔と縁に話してくる」
「お願いね」
どこかほっとした様子の佳代に背を向け、俺は子供部屋へと向かった。
ミミの時も気は進まなかったが、やはり俺が伝えるべきだろうと思ったからだ。
「翔、縁。ちょっといいか?」
「いいよ」
「なに、パパ?」
子供達と向かい合ってカーペットの上に座り込んだが、咄嗟に旨い言葉が出てこない。
「あのな……。お前達に、知らせる事があるんだが……」
「だから何?」
「なに~?」
「その……、夏におじいちゃん達の家に行った時、ハナがおばあちゃんになってただろう?」
「…………」
「ゆかり、おねーちゃん」
どう説明したものかと悩みながらそう口にした瞬間、不思議そうな顔をしていた翔が表情を消し、縁が嬉々として応じた。
「……うん、そうだな。それでだな、今度おじいちゃんの家に行っても、そのハナに会えなくなったんだ」
「おでかけ?」
「ええと…、まあ、そうなんだが……」
不思議そうに首を傾げた縁を見て、俺は進退窮まった思いだった。しかしここで、翔が冷静に口を挟んでくる。
「縁。ハナはてんごくに、お出かけしたんだよ」
「てんごく?」
「そう。ミミ、あのくりの木の下、はいったよね?」
「うん」
「だから、ミミとおなじ。あそこに、てんごくへの道があるんだ」
「…………」
翔! お前、いきなり何を言い出す!?
本気で動揺した俺が言葉を失っている間に、翔は冷静に説明を続けた。
そして絵本か何かで「天国」という言葉を知っていたらしい縁は、一瞬きょとんとした顔になってから、みるみる涙目になってくる。
「……いつ、くる?」
「もう、もどらないよ」
「なでなで……」
「できないよ。むり」
「あ、あのな、縁」
「やだぁ――――っ! だっこぉ――! なでなでぇ――っ! うわぁあぁ――!」
「うわ! ちょっと待て! 縁、落ち着け!」
「……ママ、よんでくる」
きっぱりと断言された縁はその途端に号泣し、それを見て俺が狼狽するのをよそに、翔が立ち上がってドアに向かった。しかし翔が呼びに行くまでもなく、騒ぎを聞きつけた佳代が部屋に飛び込んで来る。
「ちょっと太郎! どうしてこんなに縁を泣かせてるのよ!?」
「俺は泣かせてないぞ!」
俺は慎重に言葉を選んでいたのに、理不尽過ぎる!
しかも翔は、さっさと一人だけ部屋を離れるし!
挙句の果て、佳代から「ちょっと部屋から出て行って」と追い払われるわで、俺は向かっ腹を立てながら風呂に入った。
風呂で身体はさっぱりしたものの、まだ多少ムカムカしながらリビングに顔を出すと、佳代が心なしかぐったりした様子で、ソファーに座って珈琲を飲んでいた。
「佳代、縁はもう寝たのか?」
「何とか落ち着かせたわ。翔も一緒に寝たし。一晩位、お風呂に入らなくても大丈夫よ」
「そうか。それにしても、翔は随分無神経な奴だな。ハナが死んだって事を教える為に、あんな冷たい言い方をしなくてもいいだろうが。本当に、何も考えていないらしいな。まあ、ガキだから仕方が無いんだろうが」
佳代の向かい側に乱暴に腰を下ろしながら悪態を吐くと、佳代は俺に賛同するどころか睨み付けるようにして言い返してきた。
「ちょっと太郎。翔に面と向かって、そんな事を言わないでよ?」
「あ? 何でだよ?」
「太郎は気が付いていないだろうけど、翔はミミが死んだって聞いて少し経ってから、出かける時と帰って来た時、ミミ達と一緒に写った写真に向かって『いってきます』と『ただいま』って言ってるのよ」
怖い位真剣な顔でそんな事を言われたが、咄嗟に意味が分からなかった俺は本気で面食らった。
「は? どうして翔はそんな事をしてるんだ?」
「それまではそんな事をしていなかったから、私も不思議に思って翔に聞いてみたの。そうしたら『もうおじいちゃんのいえに行っても、ミミに「こんにちは」と「さようなら」が言えないから、ここで「いってきます」と「ただいま」を言うことにした』って」
「……意味が良く分からんが」
「私達とは違う捉え方で、あの子は死ぬという事がどんな事かを考えて、自分なりに理解しているのよ。とにかく、考えなしって事じゃないんですからね! いい? 分かった? 間違っても、さっき言っていたような無神経な事を言わないでよ!?」
「…………ああ」
どうして俺が怒られる羽目になるのかと、理不尽な思いに駆られたものの、翔が自分なりに色々考えているらしい事は分かったので、余計な事は言わずに頷いておいた。
それから数日後、偶々営業先に直接出向く為、家を出る時間がいつもより遅くなった朝に、俺は注意深く翔を観察してみた。
「翔、幼稚園のバスに遅れるわよ!」
「いまいく!」
通園バッグを斜め掛けにした翔が、先に縁を連れて玄関に向かった佳代に声をかけてから、リビングの壁に設置してある棚に向かう。そしてそこに飾ってあるデジタルフォトフレームを少し触ってから、何事も無かったかのように部屋を出て行った。
「これか……」
正直、俺に背中を向けていた翔が何をしていたのか、何を喋っていたのかは分からない。
だがかかった時間から推察して、普段トップにしている一家四人の家族写真を変更させ、一度赤ん坊だった頃の自分とミミとハナのスリーショットに変更してから、再び元の画像に戻していたのだろう。
確かに俺は、息子よりも考えなしな所があるらしいと、密かに反省しながらその日出勤した。
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