第20話 今生の別れ?

佳代が実家に、翔が俺の実家に行っている間、久々の独身貴族生活を満喫できると喜んでいたのは最初の半月程で、さすがにひと月過ぎると色々と物足りないと言うか、落ち着かない気持ちになっていた。


「ただいま……」

 玄関のドアを開けて中に足を踏み入れながら、今日も無意識に口から漏れた言葉に、苦笑するしかなかった。


「誰もいないのに……。習慣ってのは変わらんな」

 いつも通り駅からの帰り道で買ってきた物をレンジで温め、缶ビールを飲みながら夕食を食べ始める。つけたテレビの音声を聞き流しながら、今日も特に不満無く食べ終えた俺は、割と早く帰って来た事もあって佳代に電話してみた。


「もしもし、佳代。体調はどうだ?」

「夜中に縁に起こされてちょっと寝不足だけど、経過は良いわよ」

「それなら良かった」

 これまでと大差ない報告に俺が安堵したところで、佳代が実にしみじみとした口調で言い出した。


「はぁ~、やっぱり実家は落ち着くわぁ~。お義父さん達の所で、翔を預かって貰った事も大きいわね。とにかく、縁の面倒だけ見ていれば良いんだし。体力的にはまだまだ厳しいけど、精神的には凄く楽よ~」

「そうか?」

「そうよ。動けるのに目の前でダラダラされないだけでも、精神衛生上すこぶる良いわ」

 それを聞いた俺の顔が、盛大に引き攣った。


「……それは翔じゃなくて、俺の事か?」

「そんなに直接的には言ってないでしょう?」

「殆ど言ったよな?」

 思わず文句を口にしかけたが、すかさず佳代が畳みかけてくる。


「とにかく、きちんと一人分のご飯を作って食べているとは思わないけど、私がそっちに戻った時、コンビニのプラ容器がキッチンの床に転がっているような事態は、回避して欲しいわね」

「……いや、それは無いから」

「何、今の不自然な間は?」

「気のせいだ」

 あれは偶々だ。

 偶々ゴミ箱が一杯になっていて、レジ袋に入れた容器を重ねておいたら、偶々それが崩れて転がっただけだ。

 一応食べた後、容器はすすいでいるしな!


「ゴミはゴミ箱に。ゴミは収集日に集積場所に。洗い物は溜めずにこまめに。私が要求しているのはそれだけよ。他には何も期待していないから。帰った時に違う状況だったら、また実家に一、二ヶ月戻らせて貰うわ。頑張ってね」

「……ああ」

 まるで心の中を読んだように、さり気なく逃げ場を塞ぎながら俺を追い詰めてくる佳代。

 これ以上精神的圧力を受けたく無かった俺は素直に会話を終わらせ、気分直しに実家に電話をかけた。


「もしもし、俺だけど」

「我が家の猫の名前は?」

「ミミとハナ、……いきなり何だよ?」

 反射的に答えたものの、藪から棒な問いかけに呆れ気味に問い返すと、母さんが大真面目に言い聞かせてくる。


「ちゃんと太郎って名乗りなさい。オレオレ詐欺だと思うじゃない」

「分かったから。それで翔の様子はどうかな?」

「凄く元気で、毎日楽しく遊んでいるわ」

「……そうか」

 さすがにそろそろ寂しがっているかもと思ったが、やはり男だからか?

 いや、別に残念がっているわけではないが。


「翔君、パパから電話よ!」

「は~い」

 母さんがどこかに向かって呼びかける声に続いて、かすかに翔の声が伝わってきたと思ったら、挨拶抜きの第一声が耳に届いた。


「パパ! あのね、、きょう、ムシとりにいった!」

「そうか。カブトムシとか?」

「カブトムシもいたけど、セミ。そしたらね! ハナ、パクッ、モシャモシャって、たべちゃった! すごいよね! しょー、ムシたべられない!」

「人間は、セミを食べなくても良いから……」

 ミミとハナの奴……。最近は比較的おとなしくしていると思っていたら、相変わらず結構ワイルドな生活を送っているらしい。

 興奮状態で訴えてくる翔を俺は半ばうんざりしながら宥めたが、聞く耳持たない翔は、同じテンションのまま喋り続ける。


「でも、ネコきわめるなら、たべないと! あきに、たべるムシをくれるって!」

「は? どういう事だ?」

「おばーちゃん、なに?」

 俺が本気で戸惑っていると、電話の向こうで何やら翔の戸惑った声が聞こえた。それに続いて、母さんの声が聞こえてくる。


「もしもし、太郎? 今日はお父さん、太郎とミミ達を連れて、森に行ったその足で、お隣の上林さんのお宅に行ったのよ」

 どうやら事情を説明する為に、翔と変わったらしい。しかし明らかに「隣近所」の認識に、大きな相違がある。


「隣って言っても、田んぼ道を歩いて何分か必要な所だろうが」

「そこで翔が、自分もハナみたいに虫を食べたいと言ったら、じゃあ秋になったらイナゴの佃煮を送ってやるからと言われたのよ」

「その話に、嬉々として翔が食い付いたと」

「そういう事よ。ちゃんと食べられる物だから安心して」

「佳代に怒られそうだ……」

 イナゴって、あれだよな? バッタみたいな、かなり小さい奴。

 あれの佃煮って何なんだ? 見た瞬間、佳代が卒倒しなければ良いが。

 そんな事を真剣に悩んでいると、唐突に再び翔の声が聞こえてきた。


「もしもし、パパ?」

「あ、ああ。翔、どうした?」

「あのね、おとなりのおねーちゃん、おにーちゃんとあそんだ! たべるはなや、たべるくさ、いっぱいある! すごーい!」

「……凄いな」

「しょー、がんばってる! りっぱなおにーちゃん、なるね! じゃあね! おやすみー!」

「あ、おい、翔!?」

 翔は言いたい事だけ言って、あっさり通話を終わらせた。翔が寂しがっていなくてなによりだが、なんだかちょっと泣けてきた……。

 それから俺は自分自身を叱咤しながら、ゴミをきれいにまとめ直し、洗い物を全部片付けてから眠りに就いた。



 ※※※



 出産後一ヶ月で、佳代が出産した縁を連れて自宅に戻り、俺は実家まで翔を迎えに行った。


「翔、そろそろ行くぞ」

「……うん」

「にゅあ~ん」

「みぎゃあぁ~」

 俺が迎えに来た時から翔のテンションは低かったが、荷物を纏めて玄関で靴を履いている時も、俯き加減だった。そんな翔に、ミミとハナが側に寄りながら、明るく呼びかけるように鳴く。


「それじゃあ父さん、母さん。翔が長々と世話になった。本当に助かったよ」

「俺達は楽しい思いをさせて貰ったが、これから佳代さんの手伝いをしろよ?」

「そうね。翔は自分の事は自分でできるし。親が負けるわけにはいかないわよね?」

「……努力する」

 長々と話していると説教が始まりかねないと思った俺は、さり気なく翔を急かした。


「ほら、翔。ちゃんと挨拶しろ」

 すると靴を履き終えた翔が立ち上がり、くるりと向き直って両親に頭を下げる。


「おじーちゃん、おばーちゃん。ありがとう」

「おう、また休みになったら来い」

「今度は佳代さんと縁ちゃんと一緒にね」

「うん」

 翔は続けて、下に目を向けた。


「ミミ、ハナ……。おせわさま」

「にゃうっ!」

「にゅあっ!」

「……ふぇっ」

「うん? 翔、今何か言ったか?」

 何か変な声が聞こえたと思い、何気なく尋ねた次の瞬間、翔が玄関に膝を付き、勢い良くミミとハナを纏めて抱き込んだ。そして盛大に泣き喚く。


「ミッ、ミミ~! ハナ~! しょーのこと、わすれちゃやだぁあぁぁーーっ!!」

「みゃっ!?」

「うにゃっ!?」

「うわあぁぁーーーーっ!!」

「にぎゃっ!?」

「うにょあっ!?」

「おい、翔! いきなり号泣するな! 手を離せ!!」

 俺はその泣きっぷりに度肝を抜かれたが、抱き潰されそうなミミ達も狼狽した声を上げた。しかしそれを見た両親は、のんびりとした声で感想を述べる。


「凄いな。まるで今生の別れみたいだ」

「翔君、お別れするのがそんなに寂しいなんて、ミミ達とすっかり仲良しになったわねぇ」

「ふぅ、うえっ。うっ、ぐぅっ。えぅっ」

 半ば力尽くで翔の腕を剥がし、ミミ達を救出した俺は、まだぐずっている翔に言い聞かせた。


「翔、いい加減に泣き止め。また休みの時に、連れて来てやるから。いつまでも泣いていたら、佳代が心配する。それに、強くて頼れるお兄ちゃんが台無しだ。分かるな?」

「うん……。うち、かえるまえに、やめっ……、うえぇぇえっ!」

「そうしてくれ……」

 結局、タクシーに続き電車に乗っても翔はべそべそし続けていたが、宣言通り家に着くまでには何とか平常心を取り戻し、妹とは笑顔で初対面を済ませた。

 俺とはあっさり別れたのに、この差は何なんだと密かに思ったが、それについて深く考える事は止めておいた。

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