第18話 紳士宣言
佳代が二人目を妊娠し、臨月になるのとほぼ同時に、幼稚園が夏休み前の午前保育期間に突入する事になった。それを幸い翔を早めの夏休みにさせ、佳代が里帰り出産から帰って来るまで預かって貰う為、実家に連れて行った。
「おじーちゃん、おばーちゃん、ミミ、ハナ、きたよー!」
「おう、来たな。翔」
「会う度に大きくなるわね。話すのも、すっかり上手になって」
「にゃ~ん!」
「みゃあ~!」
玄関先で大歓迎を受けた翔は、挨拶に続いて元気よく報告した。
「あのね、あのね! しょー、おにーちゃんだよ!」
「みゃ?」
「なぅ?」
ウキウキで報告した翔だったが、当然ミミ達はその理由が分かる筈も無く、ハイテンションぶりに戸惑っている。しかし父さん達は、笑顔で頷きながら応じた。
「そうだな。良いお兄ちゃんにならないと駄目だぞ?」
「うん! ママ、いってた!」
「あら。加代さんが、何て言っていたの?」
「しんしになるのよって」
「紳士?」
靴を脱ぎながら告げた翔に、父さんが怪訝な顔をする。目線で俺に尋ねてきたが、俺も初耳だった為、無言で首を振った。すると俺達の様子を見て、並んで廊下を歩きながら母さんが尋ねる。
「翔君は、『紳士』はどういう人なのか分かる?」
「うん! おんなのこ、ちいさいこ、やさしくするんだ」
「なるほど」
「それなら確かに紳士ね」
「だからね、ミミとハナ、もっとやさしくする! ママ、おにーちゃんのれんしゅー、いってた!」
翔は満面の笑みでそんな事を言ったが、俺にはいまいち納得できなかった。
「おい、翔。どうしてミミとハナにやさしくするのが、『お兄ちゃん』で『紳士』の練習なんだ?」
「しょー、ミミとハナよりおーきいし、ミミとハナ、おんなのこだよ?」
「猫の年齢で考えると、二匹とも女の子どころかおばさんだぞ? 下手をすると、そろそろばあさんの域に入っているかもしれな」
「パパ」
「うん? どうした?」
「せくはら。いえろーかーど!」
「…………」
急に振り返って俺の話を遮って来たと思ったら、翔は真顔で俺を指さしながら断言した。と同時に一瞬だけ廊下が静まり返ってから、父さんと母さんが笑いを噛み殺しながら感想を述べる。
「あらあら、翔君は本当に女性に優しいわね」
「一発退場のレッドカードで無くて良かったな、太郎」
「女性じゃなくて、雌だよな? それに一体、どこでセクハラなんて言葉を覚えたんだよ……」
うんざりしながら荷物を抱えて廊下を進み、俺達は取り敢えずリビングに落ち着いた。
「じゃあミミ、ハナ。れんしゅー。ここ、すわって」
「うにゃ?」
「みゃおん?」
床に座った翔が、自分のすぐそばを左右の手でトントンと叩くと、これまで季節ごとに付き合いのあった二匹は、言われるまま翔の左右に歩み寄ってうずくまった。すると翔は右手でミミ、左手でハナの背中を優しく撫でながら、調子っぱずれな歌を歌い始める。
「ねぇ~こがぁ~、ねこぉ~ん~で~、ねころぉ~ん~だぁ~。ねぇ~こがぁ~、ねこぉ~ろ~びぃ~、ねぇ~こぉ~まぁあ~ん~まぁあ~」
「にゅあっ?」
「なぁ~ん」
頭上で突如発生した意味不明な怪音に、ミミとハナは反射的に顔を上げて発生源の翔を振り仰いだが、勿論俺も突っ込みを入れた。
「翔、ちょっと待て。今の珍妙過ぎる、歌らしきものは何だ?」
「こもりうた。ミミたちで、れんしゅー。あかちゃんうまれたら、うたう」
ニコニコとそんな事を言われたが、阿呆過ぎるだろ。誰だ、こんな歌とも思えん歌を教え込んだ奴は?
「翔、それを誰に教わったんだ? 幼稚園の先生か?」
「ううん、ゆーちゅーぶ」
「…………」
幼稚園でなら断固抗議してやると勢い込んで聞いた俺は、翔の台詞を聞いて項垂れた。
佳代の奴、一体何を見せてるんだ……。父さん達も、微妙な顔になってるぞ。
そして最後まで通して歌った翔は、一回歌ったら気が済んだのか、早速ミミ達とじゃれ始めた。そこで何とか気を取り直し、父さん達に向き直って頭を下げる。
「ともかく、暫く翔の事を宜しく頼む」
「二ヶ月近いから少し期間が長くて心配だけど、翔が寂しがるようなら、私達が家に連れて行くから」
「任せておけ。それで加代さんの方は、経過は順調か?」
「ああ。先週実家の方に移って、地元の産婦人科で検診を受けた。何も異常は無いそうだ」
「それなら良かったわ」
そんなやり取りをしてから、父さんは思い出した様に翔に声をかけた。
「翔、幼稚園ではどんな遊びをしているんだ? 近くに公園とかは無いが、車で行けばすぐの所があるから、連れて行くからな」
「ううん、ミミとハナとあそぶ。とおく、いかなくていいよ」
「そうか? 何をして遊ぶんだ?」
「ままごと」
「…………」
遊びの手を止めて翔が大真面目に口にした内容を聞いて、父さんが無言になった。その代わりに、母さんが詳細を尋ねる。
「ええと、翔君? おままごとが幼稚園で流行っているの?」
「おんなのこ、やさしくすると、いっしょにあそぼう、いうの」
「そうかそうか。翔は幼稚園で、女の子達にモテモテなんだな!」
「じゃあ翔君はままごとで、お父さん役なのね?」
「ううん、パパじゃない。ねこ」
「……え?」
「ミミとハナのまね、みんな、じょうずって」
豪快に笑いかけた父さんだったが、その笑顔が固まった。母さんも微妙に顔を引き攣らせながら、質問を続ける。
「あの、ええと……。翔君は、パパをやりたいとか言わないの? それに女の子達から、パパをやってと言われたりとかは……」
「だってパパ、ゴロゴロだけ。つまんない」
「…………」
そんな事を素っ気なく言われた俺に、両親の呆れを含んだ、責める視線が突き刺さる。
いや、確かに休日は疲れてゆっくりしたいとは思っているが、そんなに家の中でゴロゴロしているわけでは……。しているかもしれないが……。
「それに、パパおねがいって、いわれない。ゆきちゃん、かえってこなくていいって。りっちゃん、パパおいておでかけ。みやちゃんねてから、パパかえるって」
翔の真顔での訴えは続き、父さんと母さんは顔を見合わせて溜め息を吐いた。
「幼稚園児のままごとと、馬鹿にできんな。父親不在、もしくは存在感の無い家庭か……」
「本当に、侮れないわね……。見事に世相を表しているわ。今の若い人は、本当に大変ね」
「だから! しょー、ねこ、きわめる! ミミ、ハナ、ごしどーよろしく!」
「にゃうっ!」
「にゃあぁ~!」
それで良いのか!? いや、良くないだろ!?
世の父親達よ、立ち上がれ!! 家庭内復権を目指すんだ!!
あ……、なんだか無性に悲しくなってきた。
「翔君、凄いわね。『極める』なんて難しい言葉を知っているなんて」
「翔なら、日本一の猫役ができるぞ?」
「うん! がんばる!」
「にゃお~ん」
「みゃあぁ~」
俺が哀愁に浸っているっていうのに、あっさり気持ちを切り替えて翔を褒めまくる、ジジ馬鹿ババ馬鹿二人。
翔、偶にはパパ役をやって貰いたいな……。あまり、ダラダラしないようにするからさ。
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