第17話 とある事実
昼寝から起き出してからも翔の機嫌はすこぶる良く、飽きずにミミと遊んでいた。
「にゃ~にゃ!」
「ふみゃっ! うみゃっ!」
背中を向けて座っているミミの尻尾を捕まえようと、一生懸命目線で追って手を伸ばす翔。しかし身体を捻って背後の様子を窺いながら右に左に尻尾をくねらせ、その手から逃れるミミ。
どうやらこの勝負は、ミミに一日の長があるらしかった。
「翔君とミミは、すっかり仲良しになったわね」
母さんが苦笑しながら述べた感想に、俺は控え目に反論してみる。
「いや、仲良しと言うか……。単にミミが色々諦めて、辛抱強く翔に付き合っているだけじゃないのか?」
そんな事を言っていると、なかなか尻尾を捕まえられない翔が、暴挙に出た。
「にゃ~にゃ、ぎゅ~!」
「ふぎゃっ! なぅ~っ!」
片手で捕まえられないなら両手を使えば良いとばかりに、左手で尻尾の根元を握り込み、右手で動きの鈍った尻尾の先を掴んで力任せに引っ張ったのだ。
本音を言えば「頭を使ったな。えらいえらい」と誉めたいところだが、ミミの悲鳴じみた泣き声を聞いた俺と佳代とても傍観できず、すぐさま翔を叱った。
「あ、こら! 止めろ、翔!」
「翔、駄目よ! パーしなさい、パー!」
「ぱぁ~」
「みゅうぅ~」
キョトンとしながら佳代の手の真似をして、両手を開く翔。それで拘束から解放されたミミは、すかさず佳代の背後に隠れる。
「翔。にゃんにゃんはギューッじゃなくて、にぎにぎ、なでなでよ?」
「にぃ~に?」
「そう。やさしくするの。ミミ、ちょっと付き合ってね」
「うぎゃっ!?」
大真面目に手の動きを見せながら言い聞かせる佳代を見て、翔が小首を傾げる。すると佳代は自分の後ろに隠れたミミを抱え上げ、再び翔の前に持ってきた。そしてそのままミミの身体を押さえつつ、翔に指示する。
「はい、尻尾をにぎにぎして」
「にぃ~にぃ~」
「みゃうぅ~」
「はい、今度は背中をなでなで」
「な~でな~で」
「なぅ~」
どこか怯えた様子のミミの尻尾を、翔は軽く握ってすぐ離し、続いて背中を撫でた。その様子を確認して、佳代が笑顔で大きく頷く。
「はい、良くできました」
「うきゃ~っ!」
「……にゅぅ」
褒められた翔は満面の笑みで万歳し、佳代からの拘束を解かれたミミは、安堵したように溜め息の様な鳴き声を漏らす。
「佳代が、調教師に見える……」
「言葉が通じない子供が相手だからな。間違ってはいないだろう」
「あなた。翔君は動物じゃありませんよ?」
そんな大人達の感想など全く意に介する事も無く、翔とミミは再び遊び始めた。
「にゅあっ!」
「とうっ!」
「にゃうっ!」
「ころ~ん! きゃははははっ!」
「翔はすっかり、ミミと仲良しになったな」
「本当に、飽きずに遊んでいるわね」
今度はミミ達の遊び道具の小さなボールを持ち出し、翔達が手と顔で転がし合っていると、翔の昼寝が済んだ後は再び姿を消していたハナが、どこからともなく現れた。
「なぁ~ご」
「あら、ハナが来たわ」
「今まで姿を消していたのに、どうしたんだ?」
「にゃんにゃ~?」
「……なぅ」
「ころ~ん!」
「うなっ!」
翔もちょっと戸惑った表情になったが、ミミの隣に座ったハナが小さく一声鳴くと、すぐにハナに向かって手元のボールを転がした。それに嬉々として反応したハナを見て、俺達は思わず笑った。
「どうやら、自分だけ仲間外れにされるのは、嫌だったらしいな」
「それはやっぱり嫌よね」
「みゃう!」
「にゅぁ~」
「にゃんにゃ!」
「にゃっ!」
「にゃんっ!」
「にゅあっ!」
「うにゃんっ!」
そして夢中になって遊び始めた一人と二匹を見て、俺達は苦笑を深めた。
「大盛り上がりだな」
「本当。太郎と遊んでいる時だって、あんなに楽しそうにはならないわ」
「悪かったな。それにしても……、ミミ達はどこまですれば良いのか、ちゃんと加減は分かっているみたいだな。取っ組み合いになっても、翔が痛がってないし」
「そうね。そこら辺はやっぱり、野生の勘かしら?」
「これは、翔が外に出て遊び始めたら大変だぞ?」
「本当ね。ミミ達を引き連れて、森で大暴れしそう」
そんな調子で、終始賑やかに一泊二日の帰省が終了した。
「それじゃあ、また来るから」
「お世話になりました」
「いや、こちらも楽しかったからな」
「またいらっしゃい」
「じ~じ、ば~ば、ばいば~い」
「ほら、翔。ミミとハナにもバイバイしなさい」
「にゃんにゃ~、ばいば~い」
「うにゃ~ん」
「みゃあぁ~」
門の前で両親と二匹に見送られ、俺達は翔を連れて迎えに来たタクシーに乗り込んだ。そして家が見えなくなってから、俺は実家に滞在中に考えていた事を口にしてみる。
「翔は、すっかりミミ達と仲良くなったな。俺達も猫を飼わないか? あのマンションは申請すれば、小型のペットなら飼育可だし」
しかしその提案は、後部座席で翔を抱えつつ隣に座っていた佳代から、一刀両断された。
「はぁ? 何を言ってるわけ?」
「何でそこまで、嫌そうな顔をするんだよ。お前だって、あいつらとノリノリで遊んでいただろうが」
ちょっとムキになって言い返すと、鋭い睨みが返ってくる。
「一体誰が、猫の世話をするのよ? 完全ワンオペの私にしろって?」
「いや……、それは俺がするが。それに猫の世話なんて、大した事は」
「トイレの管理、抜け毛の処理、餌やシートの買い出し。全部するって? それにどこで飼う気よ?」
「どこって……、そりゃあリビングで」
「ただでさえ太郎の物が部屋から溢れて、リビングに放置してある状態で? そんなに猫を飼いたいのなら、リビングから自分の物を撤去した上で、床に文字通り山積みになっている雑誌やDVDを整理整頓してから、自分の部屋で飼うのね」
「…………」
形勢不利以前に、全く反論できないのを悟った俺は、それ以上余計な事は言わずに口を噤んだ。
すると佳代が、独り言のようにボソッと口にする。
「それに……、生き物を飼うって事は、その一生に責任を持って、最期まで面倒をみるって事よ。どう考えても、私達より先に逝くんですからね。確かに可愛いし癒されるけど、タローの後に何かを飼う気にはなれなかったわ」
「は?」
「え? あ……」
「…………」
今なんか、聞き違いで無ければ、変な事を聞いた気がする。
俺が無意識に漏らした声を聞いて、我に返ったらしい佳代。どうやら考えていた事が、無意識に口に出ていたらしい。
そこで微妙に気まずい沈黙が車内に漂ってから、佳代が微妙に俺から視線を逸らしつつ、ある事実を口にした。
「今まで言ってなかったけど……。実家で昔飼っていた秋田犬の名前が、タローだったのよ」
「だからこれまで、お前の実家に行って話をしている時に、周りから妙な顔をされていたのか?」
「別に太郎の事を名前で呼んでも、それほど妙な顔はしていないわよ。人聞きが悪いわね」
いや、今思い返すと、確実に佳代が俺を「太郎」と呼ぶたびに、佳代の家族が微妙に困った様な、笑いを堪える様な表情をしていた。そうか……、ペットと名前が被っていたか……。
大学時代に佳代と出会って、付き合い始めて早八年。今の今まで知らなかったその事実に俺は魂が抜けたようになり、猫を飼おうという提案はそのままうやむやになってしまった。
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