第16話 奇跡の一枚

「みゃっ? うなぁぁ~っ! にゅにゃ~ん!」

 何やらソファーの向こうで、ミミが常には聞かれないような、切羽詰まった鳴き声を上げたのを耳にした両親は、背後に向き直って背もたれの後ろを覗き込んだ。


「うん?」

「ミミ、どうかしたの?」

 しかし次の瞬間、二人が血相を変えて勢い良く立ち上がり、慌ててソファーを回り込んだのを見て、俺と佳代も腰を浮かせた。


「翔! 大丈夫か!?」

「翔君、どうしたの!?」

「え?」

「翔がどうかしましたか?」

「佳代さん、大変! 何があったのかは分からないけど、翔君が倒れているわ!」

「さっき変な鈍い音がしたが、何かにぶつかって脳震盪でもおこしたのか!?」

「何だって!? だがそんな所にぶつかる物なんて、何も無いだろ!?」

 俺も慌てて駆け寄ると、確かに狼狽えているミミの横で、翔が突っ伏して微動だにしていない。さすがに俺も血の気が引いたが、俺の横から進み出た佳代が、しゃがみ込んで翔を抱き起こしつつ、しげしげと眺め下ろしながら口を開いた。


「これは……。すみません。翔は単に、お昼寝をしています」

「……はい?」

 もの凄く間抜けな顔で、間抜けな声を上げた母さんを、父さんも俺も笑ったりしなかった。その戸惑いは、全く自分と同じ物であったから。

 そんな俺達に対して、佳代は真剣そのものの表情で説明を続けた。


「翔はオン、オフの切り替えが極端で、寝る直前まで元気良く遊んでいるタイプなので。多分、夢中になってミミを追いかけ回しているうちに体力が尽きて、突っ伏した拍子に床におでこか肩でもぶつけて、そのまま熟睡したのだと思います」

 何だそれは……。力尽きるまで遊んだ挙げ句に、いきなり爆睡するってアホだろ。


「本当か? そんな所、俺は今までに見た事が無いが」

 疑わしげに俺が尋ねると、佳代からは冷気すら漂う眼差しを向けられた。


「太郎は今まで、力一杯翔を遊ばせた事が無いのよ。せいぜい気が向いた時に、三十分位相手をするだけで。後はほったらかしだし」

「…………」

 途端に両親から、若干責めるような眼差しを向けられ、俺は閉口した。

 すると何か? 翔はいつもこんな感じで全力で遊んだ後は、いきなり事切れた状態になるのかよ? 

 確かによくよく見ると翔の奴、何とも緊張感の無い顔で、すぴーすぴーと規則正しい呼吸をしているよな……。


「あの……、佳代さん。本当に大丈夫?」

「はい。完全に熟睡モードですし、呼吸にも異常はありませんから」

「言われてみればそうね……。それなら急いで隣の和室にお布団を敷くわ」

「お願いします」

 母さんと佳代の間でそんな会話が交わされ、翔を抱えたまま佳代と母さんが移動すると、父さんが豪快に笑った。


「あっはははは! いやぁ、これは参った! 翔は遊ぶのも寝るのも豪快だな! これは将来、絶対大物になるぞ!」

「さり気なくジジ馬鹿を発揮するのは止めてくれ」

 この間、困ったようにリビング内をうろうろしていたミミは、母さん達を追って隣室に向かった。何となく俺と父さんも、その後を追って移動する。


「なぅ~ん?」

「あ、ミミ。いきなり倒れて、驚かせちゃったわね。ごめんなさいね?」

「心配しなくても、翔君は大丈夫よ?」

 敷いた布団の上に翔を寝かせた佳代と母さんが、眠っている翔の顔を覗き込むようにしているミミに、苦笑気味に声をかける。それでもまだ納得していないのか、ミミは布団の周りをうろうろしていた。


「翔君は本当に、気持ちよさそうに寝ているわね。見事なWM体型」

「ちょっと羨ましい位ですね」

「なぅ~ん」

 そんな事を母さん達が話していると、寝ている翔の様子を窺いながら、そのすぐ横にミミがうずくまった。それを目にした途端、佳代が鋭い声で指示を出す。


「太郎! カメラ! 大至急!」

「何だよ? 翔が起きるだろう? 静かにしろよ」

「何を言ってるの! 奇跡のツーショットじゃない! これを撮らずして何を撮るの!?」

 勢い良く翔とミミを指さしながら吠えた佳代に、何を言っているんだと呆れたのは俺だけだったらしく、母さんが弾んだ声で佳代に更なる提案をする。


「佳代さん! どうせならここにハナも一緒に並べたら、もっと可愛くなると思わない!?」

「そうしましょう!」

「あなた! 大至急ハナを連れて来て!」

「ああ、分かった!」

 父さんまでいそいそとどこかに消えたと思ったら、すぐにハナを抱えて戻り、その間に俺は佳代にせっつかれ、デジタルカメラを荷物の中から取り出した。


「にゃ? ふぎゃ?」

 全く状況が分かっていないハナを、ミミとは翔を挟んで反対側の布団に下ろし、父さんが頭を撫でながら言い聞かせる。


「ハナ。良い子だから、ここで少し大人しくしていろよ?」

「なぅ……」

 ハナは戸惑いながらも、ミミと同様に布団にうずくまり、翔の顔を覗き込んだり、俺達を不思議そうに見上げたりした。

 その様子を見た佳代が、身悶えしながら感嘆の声を上げる。


「くぅうぅぅっ、やっぱり可愛いっ! 奇跡のスリーショット! 何かのフォトコンテストに出しちゃおうかしら!」

「佳代さん、うちにもデータと焼き増しをお願いね?」

「お任せください。太郎、宜しくね!」

「……ああ」

 結局、撮るのは俺かよ……。

 周りの三人から期待の籠もった視線を向けられながら、俺は川の字になった一人と二匹の写真を、何枚も撮る羽目になった。


 その中でも佳代お気に入りの一枚は、今でも自宅リビングのデジタルフォトフレームの中に、データとして残されている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る