第8話 新天地
今年の春、俺は無事に卒業したが、自身は入社に向けての準備と通勤に便利な場所への引っ越し作業、父さん達は医院を閉める事に加えて移住作業諸々で忙しかった結果、実家に出向かなかった。
その代わり、ゴールデンウイークに気晴らしも兼ねて、両親の移住先に出向いてみる事にしたが……。
最寄り駅に、特急が止まるのは良しとしよう。しかし、そこからバスで三十分とか、更にバス停から歩いて十分とかって、一体何の冗談だ。
「還暦前に早期リタイアして、残りの人生は悠々自適の生活って、何なんだよ。しかも、牧歌的な風景に囲まれて過ごしたいだなんて……、物には限度って物があるだろうが!?」
辛うじて舗装されている道を、スーツケースを引きずりながら口から漏れ出るのは、愚痴以外の何物でもない。だが、周囲に家もまばらなこの状況では、誰も俺を責める事は無い筈だ。
「……ただいま」
「太郎、遅かったわね。迷わなかった?」
「連絡が多少悪かったが、バス停からは迷わなかった。一本道だったしな。何を血迷って、こんな何もない所に……」
十分な敷地、と言うか、裏庭から山に繋がっているような立地の家に辿り着き、門から広い庭を抜けて玄関に到達すると、両親が出迎えてくれた。しかしここで思わず愚痴を零すと、父さんがしたり顔で自慢してくる。
「何も無いのが良いんだろうが。裏に畑も作っているぞ。どうだ、羨ましいだろう?」
「言ってろよ。……ところでミミとハナは?」
父さんには、もう何を言っても無駄だと諦めながら、いつもなら迎えてくれる猫達の所在を尋ねると、母さん達は困ったように顔を見合わせてから説明してきた。
「それが……、迷子みたいなの」
「は? 迷子?」
「三日前、母さんが窓を開けていたら、そこから抜け出して戻って来なくてな」
「それまでは時々抜け出していたけど、庭の中だけで遊んでいたし、呼べばすぐに戻って来ていたんだけど……」
最初は呆気に取られていたが、事の次第が分かったと同時に、俺は声を荒げて二人を問い質した。
「ちょっと待て! それじゃあまさか、本当に二匹とも丸三日行方不明なのか!?」
「そういう事になるな」
「どうしようかしら。警察に捜索願でも出す?」
「警察で猫は探さないと思うが。ポスターでも作るか?」
「そんな悠長な事を言っている場合か!?」
「にぎゃあぁ~っ!」
「にゅあぁ~っ!」
緊張感と切迫感が希薄な会話をしている両親に、俺が苛つき始めたその時、家の奥から二匹の鳴き声が聞こえてきた。
「え? ミミとハナか?」
「帰って来た?」
「どこだ!?」
慌てて靴を脱いで上がり込み、両親に続いて奥に進む。先を見据えたのかバリアフリーの廊下を進み、リビングの引き戸を開けると、奥のウッドデッキに繋がる掃き出し窓の向こうに二匹が並んで座り、こちらに向かって「開けてくれ」とでも言うように鳴いているのが目に入った。
「こら、ミミ、ハナ! お前達三日間も、一体どこをほっつき歩いて……」
こちらの家には猫用の出入り口を作らなかったのか、駆け寄った窓のロックを外して室内にミミ達を入れようとした俺は、ロックに手をかけたまま固まった。
「太郎、どうした?」
ミミ達を見下ろしながら動きを止めた俺を不審に思ったのか、後ろからやってきた父さんが声をかけてくる。それで俺は、その理由を告げた。
「……父さん、母さん。どっちも顔が血まみれだ」
「はぁ?」
「血まみれって、怪我してるの!?」
「普通に歩いてるけどな……」
なかなか俺が窓を開けないので、猫達はその前をうろうろ歩き回ったり、窓に寄りかかって足で引っかいたりしている。
「な~う」
「にゅにゃっ!」
二匹はどこからどう見ても元気そのものだが、口の周りや身体の所々に何かの血がこびり付いて固まっている状態に、一体外に出ている間に何があったのかと、俺の顔は強張った。しかし豪快、と言うよりは無頓着と言った方が当てはまる両親は、当初の驚きが過ぎ去ってから、顔を見合わせて平然と頷く。
「怪我はしていないみたいだな。血が付いているのは主に顔だし、返り血みたいだぞ?」
「一体、何と戦って来たの? 凄いわね」
「感心する所じゃないよな!? 余所様の飼い犬や飼い猫相手にバトルして、向こうに大怪我を負わせていたら、どうする気だよ!?」
「取り敢えず洗うか」
「そうね。血が固まって、毛が痛みそう」
「ほら、開けたぞ。ミミ、ハナ、付いて来い」
「そうよ。美人が台無しだわ」
「にゃあ~」
「うなぁ~」
「だから、心配する所が違うよな!?」
いそいそと窓を開けて二匹を招き入れ、風呂場へと先導していく両親を見送った俺は、相変わらずだと呆れると同時に、一気に脱力してソファーに寝転がった。
猫達にとって、環境が良いだと? やりたい放題じゃ無いか!? 飼い主なら、ちゃんと責任を持てよ!
リビングに戻って来たら、色々と言ってならねばと思いながらも、どうやら結構疲れていたらしい俺は、そのままあっさり眠りに落ちてしまった。
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