主様

 私は主様に「視覚センサーが感知した情報をお伝えするため」に存在する。

 主様は、お小さい。

 私よりもひとまわりも、ふたまわりも、お小さくおられる。

 たくさん笑ってたくさん泣いてたくさん学ぶ。主様は、とても努力家でいらっしゃいます。

 私は、主様の横で主様を、ずっと見てきておりました。


 主様は他の人間たちと比べても、ベッドの中に居ることが多くありました。

 体と比べてとても大きなベッドの中から、私を呼ぶのです。

 努めて明るい声で、私を呼ぶのです。


 主様には「色」が判別しにくいようでした。故障ではなく、もともとそのような見え方をしていると、教えてくださいました。明暗を感じることはできても、色を見ることはできない。

 主様が、私と同じ機械ならばよかったのに。

 そうすれば私と同じ視覚センサーを搭載し、色彩を見ることも容易でありましたのに。

 そうすれば私と同じように体を壊すこともなく苦い薬剤を摂取する必要もありませんのに。


 主様にそう申し上げると、困ったように笑いながら

「だめだよ。生きていなければ意味がないからね」とおっしゃった。


 主様を車椅子に載せて、屋敷1大きなバルコニーへ出る。

 少しばかり小高い場所に屋敷が建っているので、そこから見える景色はとても情報量が多い。

 私がはじめて主様の元に来たときと同じように、私が主様に話しかける。


「主様、今日はとても天気がよく、遠くまで空の青を視認することができます。西の空に太陽が沈み、わずかながら星が見えて参りました。

雲ひとつ無く、遮るものもない。主様、あなたにも見えているでしょうか」

 主様は、遥か遠くを眺めているだけで、一言も話しては下さらなかった。

 胸のうちの心臓に替わる、半永久的に駆動する出力の大きなモーターが唸る音が耳元で聴こえた。


「主様、本日のおやすみ前はなにをごらんになりますか」

 主様をベッドに戻し、ふかふかの毛布でくるむ。主様はこれがお好きだ。

 ベッド横の丸椅子に腰掛け、主様の目の前へ手のひらを差し出す。

 手のひらの上に簡易的な電子スクリーンを発生させて、お見せする。両手の第1指の根元に、超小型のプロジェクターがうめこまれている。


「主様……?」

 主様は、眠っていらっしゃるようだった。

 私はゆっくりと立ち上がり、ごとりと、何かが落下する音を聴覚センサーが感知した。

「主様、こちらを落とされましたね」

 私はそちらを拾い上げ、ことさら丁寧に主様の体の脇にそっと置いた。

 人間は私たち機械に比べると、ひどく脆く、すぐに活動を停止してしまう。

 主様が、壊れてしまわないように私は細心の注意を払っている。


 私は眠ってしまわれた主様の毛布をもう一度整えて、寝室を出た。私たち機械は、ほとんど眠る必要がない。その代わり、再起動する必要があるため、この寝室の隣の部屋の専用格納庫へ横たわった。

 主様が昔言っていた。吸血鬼の棺みたいで、かっこいいよね。主様がそう思われるのでしたら棺のような格納庫でも、私は喜んで入ります。

 専用格納庫にはふわふわとしたブランケットを主様が置いてくださいました。その小さな布に、すがるように私は再起動のため少しの間目を閉じました。














 主様が、私と同じ機械ならばよかったのに。

 そうすれば眠る必要がないので、眠れぬ夜もありませんのに。

 そうすれば臥せることもありませんので、朽ち果てるまで共におれますのに。




 主様が、私と同じ機械ならばよかったのに。

 そうすれば、朽ちることも腐ることもなく永遠に美しいままでいらっしゃえますのに。

 先ほど拾い上げた主の細い腕を思い出す。


 主様は少し前から体をばらばらと、外されるようになりました。主様の肌はますます白くなり、ところどころぐずぐずと崩れております。

 主様のちらかった体を私が集めます。丁寧に集めては、元に戻すのですが何度繰り返しても元に戻ることは現在のところございません。

 私は、主様が笑いかけてくださるのがなぜだか一等好きでございました。

 また、私に笑いかけてはくださいませんか、主様。


 主様の髪を撫でながら、観た空がとても青く青く、主様の瞳のようでーー。

 胸の真ん中や背中がひどく寒いのです。メンテナンスもトラブルシューティングも私はセルフで行えますから、エラーのひとつでもあればすぐにわかりますのに。

 エラーもなくただ「寒い」のです。

 主様、主様、私は推測できない不安に圧し殺されてしまいそうです。


 ああ、これはなんというエラーでしょう。

 あなたが目覚めないというだけで、なぜ。

 私は、壊れてしまったのでしょうか。





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