追記 長髪(二)
― 王国歴1030年春-1031年夏
― サンレオナール王都
レベッカの予想通り、王妃はレベッカがセバスチャンから聞いた話を大喜びで聞いた。
「デュモン医師、なかなかのもんね。私、子供の頃は苦い薬や痛い注射ばっかりで彼のこと、超意地悪デーモンって呼んでいたけれど……これからは名医デュモンさまと呼ぶわ!」
「医師として当然の提案をしたまででしょうけれど……」
「とにかく、ジェレミーはアナと別室になるのが嫌で禁煙を始めたってことね。分かり易いわね、最近のあの子は……うふふ、これでさらに第二の手でとどめを刺してやるわよ!」
王妃の第二の手とはアナに直接話を聞くことだった。その為ジェレミーには秘密で、アナに午後の授業が入っていない日に彼女を王宮に呼ぶ。妊娠中瞬間移動が使えないアナは、王宮で勤務中のジェレミーにばったり会わないよう細心の注意が必要だった。
午後のお茶の時間に王妃の部屋を訪れたアナは、どうして自分がジェレミーに内緒で呼ばれたのか知らされていなかった。そして彼女が通された王妃の居間には何とサンレオナール国王まで居たのである。彼はミラに事情を聞くと、執務をやり繰りして時間を作ってやって来たのだった。
「ま、まあ、陛下までいらっしゃるとは存じませんでした。こんな普段着で大変失礼いたします」
アナが焦るのも無理はない。
「アナ、そんなに気にしないで。無理を言ったのは私の方なのですから。あまり着飾ったりしてジェレミーに怪しまれたら元も子もないわ」
「アナさん、経過は順調なの?」
「はい、お陰様で。お気遣いありがとうございます、陛下」
「今日は私の我儘に付き合わせて申し訳ないわね。貴女から色々話を聞きたかったのよ」
「話でございますか?」
「ジェレミーの最近の様子はどう? 煙草を止めてイライラしていない?」
「いえ、思っていたよりずっと簡単に止められたようですわ」
イライラどころか、魅惑の三つの御褒美に向けてウキウキしているとはいくらなんでも言えない。言ったら国王夫妻をより喜ばせるなどとアナは夢にも思っていない。
「流石よねぇ……今まで私や両親がいくら口を酸っぱくして諭しても全然聞く耳を持たなかったのに!」
「そうだよね、あの厄介な小舅君でもアナさんの言うことなら聞くんだねえ」
「お、恐れ入ります」
「アナ、私はね、あの子が禁煙を続けていることをとても嬉しく思っているのよ。誰が忠告しても駄目だったのに、奇跡よね。貴女と生まれてくるその子のお陰だわ」
「え、はい、そんな……」
国王夫妻は二人共ニコニコというよりニマニマしている。
「あの子、時々貴女に対して横暴に振る舞うなんてことはない? 我が弟ながら妻の貴女には脱帽よ……良くやっていけるわね……」
「ミラ、それはいくらなんでも……」
「いえ、あの、主人にはとても良くしてもらっております」
「本当? 我儘や無理難題を押し付けられることもない?」
「それもございません。私の嫌がることは基本的にはしませんし、私の意見も尊重してくれます。私、とても幸せですわ」
一人で照れて赤くなっているアナを見て、夫妻は意味ありげな視線を交わした。国王は既に笑いを噛み殺そうと必死である。
「ところで、先日あの子に会ったのだけれど、髪の毛が随分伸びていたわよね。絶対短髪って子供の頃から譲らなかったのに、今もう耳に掛けられるくらいまで伸びているわよ。『
「ええ、そうなのです。でも、私ある日主人に聞いたのです。サヴァン中佐のように長髪になさったら、折角の美しい金髪ですからさぞ素敵でしょうね、と」
「ブハッ」
思わず噴き出した国王だった。
「もうゲイブったら! アナ、続けて」
「一度長髪のお姿も見てみたいです、私が毎朝髪を結って差し上げますからと彼に申しました。その時からですわ、主人はセバスチャンにも髪は切るな、揃えるだけにしろと命じるように……」
「ちょ、ちょっと俺もうダメ……ハハハハッ!」
国王は大爆笑を始めた。彼はお腹を抱えて息をするのも苦しそうである。
「アナ、あの子の取り扱い方を熟知しているわね」
「き、危険物か、彼は? ハッハハハ!」
「似たようなもんよね。ジェレミーの髪が伸びるの、楽しみね、アナ」
「ハイ! もう今から待ちきれません」
アナは長髪ジェレミーの姿を想像してか、目がキラキラと輝いている。
「今日はわざわざありがとう、アナ。ジェレミーにはバレていないわよね」
「はい、大丈夫です」
アナが退室してから国王は笑いを噛み殺しながら口を開く。
「あのさ、ミラこんな感じかな?
『ジェレたん、煙草臭いです! 私、自分の部屋で寝ます!』
『えっ、そんなー、アナたん行かないで! オレ、煙草止めるから!』
『しょうがないですね、ジェレたんの甘えん坊さん!』」
「ゲイブ、貴方よくもそこまで……」
「ご、ゴメン。でもあまりに可笑しくて……」
「じゃあ、髪を伸ばすようになった下りはこんな感じかしら……
『サヴァンさまの長髪ってス・テ・キ♡』
『ア、アナたん!? 他の男をそんな目で見ちゃヤダ!』
『え? そんなつもりでは……でもジェレたんも髪を伸ばしたらもっとカッコいいでしょうねぇ♡』
『……アナたんがお手入れしてくれるなら、オレ、伸ばしちゃう!』
『キャー、ジェレたん、大スキ♡』」
ミラが大真面目な顔でそんなことを言い出すものだから国王の笑いは収まるどころか、止まらなくなってしまった。レベッカまで笑いを
(プ、プロ侍女としてここで笑い出すわけには……)
「もう駄目、ルクレールの顔がまともに見られないよ、俺。絶対吹き出すに決まっているし……でも今日は執務をやり繰りして時間作って良かった。さ、そろそろ戻らないとな」
散々ジェレミーネタで盛り上がった後、国王は真面目な顔を取り繕うのに随分と苦労したらしい。
ジェレミーはそれからも髪を伸ばし続ける。彼の髪を時々洗い、毎朝結うのがアナの役目として定着していた。
そして彼が髪を伸ばし始めてから二度目の夏を迎えようとしていたある日のことである。アナはいつものようにジェレミーの髪を
「旦那さまのお髪はとても美しくてサラサラで羨ましいですわ。私の我儘を聞いて伸ばして下さってありがとうございました。そろそろ暑い季節になりますね」
「そうなんだよな、サヴァンなんかよくこんなウザったいもの、万年我慢できるよな……」
「旦那さま、また短い髪になさりたいですか? アナは十分長髪の旦那さまを堪能できました」
「切ってもいいのか?」
そこでアナは少々
「あの、でも、髪をお切りになる前にもう一度アナは長髪の旦那さまに『制服ぷれい』をして頂きたいのです……よろしいですか?」
「もうやだなぁ、アナ=ニコルさんはおねだりなんかするようになっちゃてぇ。しょうがねぇなあ分かったよ、じゃあ今夜な」
「嬉しいです……」
(この人、また目がイっちゃってるし……)
その後ジェレミーはセバスチャンにバッサリと髪を切るように命じた。
「まあ、アナが喜ぶから長髪にしてやったが、やっぱり俺はこの方がいいや」
再び短髪になった彼はスッキリサッパリした様子だった。アナはもうすぐ一歳になる息子ギヨームを抱いている。
「長髪のお父さまも素敵でしたけれど、短髪の方がお似合いでしょう、ギヨーム?」
「ダーッ!」
「そうだろう、ギヨーム。やっぱりお前もそう思うよな」
「でもアナは旦那さまの髪型や体型に
「アナ=ニコルさんよ、お前何気に失礼だな。俺が禿げて太るって確信してんのか?」
「えっと……それは……だってお義父さまを見れば三十年後の旦那さまのお姿が大体予測できますから」
「はぁ? 父上がハゲかけてんのはな、姉上が散々苦労かけたからで、腹が出てんのは飲み過ぎで運動不足なだけだって」
そこでセバスチャンが夫婦の部屋にお茶を持ってきた。
「ですからアナはどんな旦那さまでもいいのです」
「お前、将来の俺がハゲデブってもう決定かよ!」
「ブブー!」
「ギヨームまでか!」
「セブ何とか言ってくれよ」
「私は発言するのは控えさせていただきます」
「オイッ」
ルクレール家は今日も平和であった。
それからしばらくしてアナの第二子妊娠が分かった。先日二人して大いに燃えた『長髪で制服ぷれい』が功を奏したのだろうとアナは一人思っている。
――― 長髪 完 ―――
***ひとこと***
国王夫妻、『アナたんジェレたん劇場』で大盛り上がりです。
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