追記 優勝

― 王国歴1030年 春


― サンレオナール王宮 闘技場




 季節は春になり、アナのお腹も少し目立つようになってきた。春と言えば騎士道大会の季節である。


 今年のジェレミーは絶好調のようだった。煙草を吸わなくなってから、食欲が増して少し太るかと思われた。しかし本人によると体が軽く感じられるようになり、より鍛錬に力が入り、体重の変化は特になかったようだった。




 今年の大会をアナは義両親のルクレール前侯爵夫妻と観戦に来ていた。王族桟敷席側の最前列といういい席である。昨年の大会の時はまだ婚約したばかり、世間に公表する前でこっそりとジェレミーの応援をしていたなと感慨深くなるアナだった。


 昨年も一昨年もジェレミーはリュック・サヴァン中佐に敗れている。しかしジェレミーは特に気負っているようでもなかった。


「いつまでも俺とサヴァンばかりが競ってないで、もっと若手にも台頭してきて欲しいわけよ。もうそろそろ年寄りは一線から退しりぞきてぇんだ」


 大会会場は例年のように女性たちの甲高い声、男性の怒鳴り声に激励にと、大層盛り上がっていた。ジェレミーは難なく決勝まで勝ち進み、そして同じように順調に決勝に駒を進めたリュックと対決になった。リュックは先日、一年の婚約期間を経てアメリと結婚式を挙げたばかりである。


 二人の騎士は闘技場の中央に進み出た。


「サヴァン、またお前と決勝対決かよ……」


「それはこっちの台詞だぜ、全く」


「新婚さーん、かかっていらっしゃい!」


「そういうお前だってなあ、最近益々バカップルに成り下がってるだろーが!」


「見苦しいくらいに公共の面前でブチュブチュベタベタしてんのはお前らだけだ、この幸せボケ!」


「そんなこと言ってる硬派のルクレール騎士がなあ、奥様と年末の市でイチャイチャしてたの、アメリと二人で目撃したんだぜ」


「は? 見かけたんなら声掛けろよな!」


「いやぁ、恋人繋ぎまでしちゃって、二人の世界に入り込んでアツアツだったからな。挨拶もしづらかったって言うか……」


「はい、そこのお二人、前に進んで下さい! 私語は慎む!」


 審判にそう注意されているところまで昨年と全く同じである。


 ジェレミーもリュックも結婚したのでファンの数も激減したかと思われたが、去年までの大会と同じように女性の黄色い声も結構聞こえてくる。ジェレミーは審判の注意も気にせず続ける。


「声掛けづらかったって、物陰からこっそり観察して面白がっていただけだろーが!」


「『ジェレたん、はい、これ味見できますわよ♡』『どれどれ? あーん♡』『やだぁ、恥ずかしいですわ』『アナたんに食べさせてもらわないとヤだ』なんてやってるとこ邪魔できなかっただけだ」


「はぁ? なんなんだよその『ジェレたん♡』って!」


「お前らそう呼び合ってるってもっぱらの噂だぜ」


「誰だ、そんなデタラメ触れ回ってるのは? ぶっ殺してやる!」


 実は自身の両親が国王に吹聴し、それを面白がった国王夫妻が噂の発信元だとはジェレミーは露とも知らない。


「試合そろそろ開始いたしますけど! 全く、貴方がたは毎年性懲りもなく……」


「おう、とっとと始めようぜ。新妻にみっともねえところ見せられないよなぁ」


「そう言うお前こそ、身重の『アナたん♡』にカッコ悪い姿見られたくないだろ?」


「アナたん言うな!」


「ルクレール中佐、サヴァン中佐! お静かに! 前に進んで礼!」




「何を仲良く二人話しているのかしらね」


 ジェレミーの母親、テレーズはアナに話しかけた。


「そうですわね、お義母さま。決勝の相手で最大の好敵手ですのに、お二人は相変わらず仲がおよろしいですわ」


 二人仲が良いのは本当だが、彼女達が思っているのとは少々意味あいが違うかもしれない。




 そして決勝戦は幕を切って落とされた。両者とも目にも止まらぬ速さで次々と攻撃を繰り出している。しかし、口の方も動きを止めていないようだった。


「煙草を止めたクリーンルクレールの威力を甘く見んなよな!」


「えっ? お前、マジで禁煙したのか?」


「フン、俺だってな、やる時はやるんだよ」


「へぇ。『ジェレたぁん、ヤだぁ! キスが煙草臭い!』とでも言われたか?」


「ジェレたん言うんじゃねえっつってんだろー!」


「お二人共、真面目に戦って下さい! 警告です!」


 私語を止めていないにもかかわらず、ジェレミーの剣は怒涛の動きを見せている。リュックは今のところどの攻撃も止めているが少々押され気味だった。最後は見事ジェレミーの突きが決まり、そこで勝負がついた。


「我ながら一回り強くなったかも」


 リュックは憮然としているが、それでも潔く負けを認めている。


「まあな、お前が煙草止めて本気になったら敵わないとは思っていたよ」


「ちげぇよ、お前が幸せボケなだけだ。毎夜お疲れだからじゃねぇの?」


「う、うるせえ!」


 そして両者握手を交わし、王族桟敷に向かって一礼したのち、ジェレミーは兜を取って観客席のアナのところへ向かう。


「旦那さま、素敵です。おめでとうございます!」


「おう」


 ジェレミーはアナから小さな花束を受け取った。最前列の手すりから身を乗り出そうとするアナをジェレミーは手で止める。


「アナ、あまりかがむな。お腹が圧迫されるだろうが!」


「はい。旦那さま、先程からこの子も元気よく動いていましたわ。今からもうルクレールファンですわね。でも、私もこの子も顔負けの熱烈なルクレールファンがいらっしゃいますよ、ほら」


 アナがそう言い終わるや否や、観客席の上部からタタッと駆け下りてきたのはエティエン王太子だった。


「叔父さま、カッコ良かったですっ!」


 王太子はなんと手すりによじ登り、ジェレミーに抱きついた。


「おいおい、エティエン、気を付けろ!」


 ジェレミーは花束をアナの手に戻し、王太子をしっかりと抱きかかえる。


「お前、桟敷を抜け出したりして良かったのか?」


「ハイ! 叔父さまがゆうしょうしたから父上と母上のきょかを取りました!」


 その言葉通り、彼の後ろからは護衛と息を切らしている侍女が追いかけてきている。


「お前に付いている人間も大変だなぁ」


「ぼく、叔父さまはもう一生サヴァンに勝てないのかと思っていました」


「エティエン、縁起でもないこと言うんじゃねぇよ!」


「本当に良かったです。おめでとうございます」


「一緒に表彰台に上がるか?」


「やったぁ!」


 ジェレミーは王太子を地面に下ろし、アナから再び花束を受け取る。


「アナ、疲れていなければこの後の祝賀会に出ろよ?」


「まあ、宜しいのですか?」


「ああ、でもあまり長居はしないぞ。今晩お前には優勝の御褒美を貰わないといけないからな」


「ご褒美ですか?」


「ああ。アレ着てアンなことやコンなことを……」


 アレとはもちろん先日のスケスケネグリジェのことであろうとアナには容易に理解できた。


「だ、旦那さま! こんな公共の場で、それに幼い殿下の前ですよ!」


「アナ=ニコルさんは何一人で想像して期待しちゃってんの。アレコレソレとしか言ってねぇよ。誰がスケスケの……」


「キャー! 旦那さまのイジワルッ!」


「叔母さまも叔父さまのゆうしょうがうれしいのですね!」


 王太子もジェレミーの優勝に興奮しているからか、恥ずかしくて真っ赤になっているアナの事情は幸いにも分かっていないようである。


「ああ、もちろんだ。アナ叔母様はエティエンの次、ルクレールファンクラブ会員第二号だからな、さあ行くぞ」


 そうしてジェレミーは表彰台まで王太子の手を引いて歩いて行った。




「ジェレミーでもあんな顔が出来るんだなあ、テレーズ」


「ええ、本当に。これも全てアナのお陰ですわ。婚約時から結婚当初は私達も二人の仲を心配しましたけれどね」


 ジェレミーの両親の目には純粋に長男夫婦の仲睦まじさが微笑ましく映っている。その二人の会話も、表彰台の勝者達に送られる熱狂的な歓声にかき消された。



     ――― 優勝  完 ―――




***ひとこと***

アナとジェレミーのことをニコニコしながら眺めているジェレミーパパママ、実は『アナたん♡』『ジェレたん♡』の噂の黒幕です。


エティエン王太子殿下、ジェレミー叔父さま悲願の優勝ですね。良かったですね。

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