追記 禁煙(一)

― 王国歴1030年 1月


― サンレオナール王都



 アナが風邪を引き、デュモン医師がジェレミーにアナの前での喫煙を禁止した日のことである。その夜、帰宅したジェレミーは自分の部屋にアナが居ず、寝台もきちんと整えられているのに気付くと慌ててアナの部屋に駆け込んだ。


「アナ、お前本当に部屋を移ったのか?」


 丁度アナの弟テオドールが学院の帰りに彼女の級友たちから預かった授業のノートや宿題を届けに来ていた。すぐに帰宅するために退室したテオドールをジェレミーは急いで追いかけた。彼はもう玄関前に来ていた。


「おい、義弟君おとうとくんよ、ちょっと待て。将来の名医、ボルデュック医師を見込んで話がある。五分ほど時間あるか?」


「はい、何でしょうか?」


 テオドールは居間に通された。ジェレミーは何か言い難そうにしているが、あまり彼を引き留めても悪いと思ったのだろう、口を開いた。


「聞きたいことがある。煙草を止めたいんだ。今まで何度も止めようとしたけど挫折した。今度は何としてでも……」


 テオドールはジェレミーが余りに真剣なので思わず吹き出しそうになったがこらえた。先程アナに部屋を移った理由を教えられていたのだ。


(この人ってすごく分かり易いな……)


 彼は努めてごくごく真面目な顔でジェレミーに聞いた。


「一日何本くらいお吸いなのですか?」


「五、六本くらいだ。それでも酒の量と共に最近は少し減った。あまり飲みに行かなくなったからな」


「そうですね。いきなり止めますか、それとも少しずつ減らして数週間かけますか? 義兄上はどちらがいいですか?」


「いきなりやめると苦しいんだよなぁ。少しずつ減らしてみるか、今回は」


「そうですね、急がば回れとも言いますしね。姉や執事の方や同僚の皆様にも協力を頼んではどうですか?」


「出来ればこっそり内緒で止めたいが、協力してもらう方が効率良さそうだな」


「はい。禁煙計画表を書きましょうか? そして例えば一本減らせる毎に御自分に何か御褒美を設定するというのはどうでしょう。よりやる気が湧きませんか?」


「褒美、か……」


 その言葉を聞いた途端ジェレミーの目がキラリと光った。


「じゃあやっぱりアナには協力してもらわねぇとなぁ」


 そして今度はニヤニヤ笑いを浮かべている。その怪しげな笑みをどうとったのか、テオドールは続けた。


「そうですよ。身近な人々の助けがあればこそ、禁煙も成功しやすいというものです」


「まあな、今回だけは俺もホントに本気だからな」


「生活習慣を見直すのも大切ですよ。喫煙と結びついている行動を変更、改善するとかですね」


「俺、年下にあれこれ指図されるのはあんま好きじゃねぇけど、お前さすが医師のタマゴだな。相談して良かったよ」


 ジェレミーはまだ気付いてないようだが、多分アナは身籠っていると思うテオドールである。


「あの姉上のことですから、義兄上には何も言わないのでしょうが、義兄上が減煙や禁煙されると喜ぶと思いますよ」


「そうだな、俄然やる気が湧いてきた。ありがとう、義弟おとうと君よ!」


「どういたしまして。明日にでも計画表を書いて持って参ります」


(この人ひねくれていて厄介そうだけど、実際は単純な人なんだよね。姉上は扱い方を心得ているみたいで、それさえ間違わなければ操るのも楽勝な様子だし。禁煙するのは良いことだから、おだてにおだてて彼の気が変わらないうちにさっさと止めさせて下さいね、姉上)


 テオドールはそんな非常に失礼なことを考えながらジェレミーとセバスチャンに見送られてルクレール家を後にした。彼も『ジェレミーを馬鹿呼ばわりしちゃおう会』の会員になる資格大ありである。




 翌日の夕方、アナは熱が引き、咳はまだ残っているもののすっかり元気になっていた。寝台に起き上がって座っているアナにジェレミーは先程テオに渡された禁煙計画表を見せる。カレンダーになっており、毎日吸った本数を記録し、一週間ごとに少しずつ煙草の本数を減らしていく予定である。


「アナ、今日もいい子にしていたかぁ? これ見ろ、テオに禁煙メニューを作ってもらったんだ。俺、煙草止めるからな!」


「まあ、旦那さまはやる気になっておいでですね。でもこの計画表、旦那さまの字で書かれた私たちの名前がところどころにあるのは何ですか?」


「ズバリ、御褒美だ」


「ご褒美ですか? アナやニッキーが何か贈り物を差し上げるのですね」


 ジェレミーは得意気に表を指差しながら説明する。


「そうだ、計画通りにここまで来られたら最初の御褒美としてアナ、次はここでシャルボン、そして最後完全に禁煙して三か月経ったらニッキーの特別奉仕だ。どうだ、これですんなり禁煙できそうだろ?」


 やたら嬉しそうなジェレミーであるが、そのニタニタとした表情にアナは非常に嫌な予感がした。


(ご褒美に特別奉仕? ジェレミーさまのことだからお部屋の掃除とかではないのよね、もちろん……)


「あの、旦那さま、私達はどんなことをして差し上げれば良いのでしょうか?」


「まだ決めてねえ。とりあえず最初はアナだからな、まだ数週間はあるしゆっくり考えるさ、フフフ」


 ジェレミーの顔は益々アナが危機感を抱くようなものとなった。


(アナとニッキーには以前読まされた本にあったような淫らなことを強要するのに決まっているわ……でもシャルボンは何をさせられるのかしら? 聞くのが怖いような……)


「お前、考えていることが顔に書いてあるぞ。いやぁ、禁煙がこんなに楽しいもんだとはなあ」


 ジェレミーは上機嫌でアナの髪をなでて額にキスをした。


(禁煙する気だけは満々なのですから……私たちは協力せざるを得ないのね……)




 そして早速禁煙を始めたジェレミーは自分の設定した三つの御褒美に向け、鋼鉄の意志を見せていた。本人によると目標があると思うともうあまり吸う気にもならなくなったらしい。風邪が治ったアナが再び夫婦の寝室で休むようになったことも大きかった。


 しかも禁煙を開始して二週間ほどしたある日にアナから妊娠を告げられたジェレミーはますますやる気になり、禁煙は計画通り順調だった。さて気になる御褒美だが、最初のアナの特別奉仕に辿り着く前にアナの妊娠が明らかになったため、ジェレミーはとりあえず悪阻が収まるまで待つと言い出したのだった。


 自分で御褒美をおあずけにしたジェレミーは機嫌を損ねることも不貞腐れることもなく、禁煙も計画表より早く実現できそうなくらいだった。



禁煙(二)に続く



***ひとこと***

ジェレミー、いざ禁煙! 魅惑の?御褒美に向けて超張り切っています。

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