追記 束縛(二)

 アナはためらいがちに口を開いてクロードとビアンカに聞いた。


「あの、妊娠中に瞬間移動しても胎児の安全には影響ないのでしょうか……えっと、赤ちゃんを置いて自分だけ移動してしまう、なんてことにはなりませんよね?」


「はぁ? なんだそれは? だから先程図書館で移動魔法の本を山のように出していたのか」


「ええと、その、用心に越したことはないと思いまして……宙に浮遊することもひょっとして落下事故の可能性を考えると……ですから私が書棚に飛んで行かず、本を私の方へ引き寄せていたのです」


「でも、アナさんの魔力はご自身が一番ご存知でしょう? 空を飛んでいて落ちることなんて……それに図書館の内でちょっと上の本を取りに行くことくらいなら……」


 アナがしどろもどろになってきているのでビアンカは不審に思っているようだった。


「妊娠中の魔術使用について書かれている書物なんてあったかな? 瞬間移動で胎児と離れ離れになるはずはないだろうが、俺も実際妊娠中に瞬間移動したことないから分からん」


 クロード本人は冗談のつもりなのだろうが、全然面白くない。


「クロードさま、笑えません」


「ごめん、ビアンカ。ただでさえ女性魔術師は少ないし、現在王国で瞬間移動ができる魔術師も全て男性だからなあ。今のところアナさんが女性で唯一瞬間移動が出来る魔術師候補だ。実際の経験者が居ない」


「大丈夫ですよ。主人は誰かを連れて瞬間移動する時はその人を抱きかかえるか背負います。それで置いて行くことなく二人共移動できますから。母親と胎児はもっと密着しているでしょう?」


「ええ。身に着けている衣服や手に持った鞄などもちゃんと一緒について来るのですものね」


「ですからアナさんも瞬間移動をしても特に危険性はないでしょう」


「そう、ですよね」


 しかし王国きっての大魔術師のこの二人がジェレミーに説明してくれたとしても、彼がそれで納得するとも思えない。


「えっと、あと妊娠中に動物などに変幻しても大丈夫でしょうか?」


「変幻すること自体には全く問題無いと思うがな。動物になって危険な場所に行かない限りは特に」


「やっぱり、私もそう思います!」


「アナさん、先程から思っていたのですけれど……そんな無用な懸念をしているのは貴女じゃなくてもしかしてジェレミーさまの方なのですか?」


 ビアンカに隠し事は出来なかった。それにアナも嘘をつくのは大の苦手である。


「えっ? あっ、はい……実は主人に妊娠を告げたら私のことが心配なのか、色々な魔術を使うことを禁止されてしまったのです」


「『胎児を置いて移動するかもしれないだろ、瞬間移動はすんじゃねえ! 落ちたら危ないから空は飛ぶのも禁止! 動物になるのも駄目だ!』なんて言っているのか、アイツは?」


「まあ、ジェレミーさまは!」


 クロードは呆れ、ビアンカは笑っている。


「でも、どうしてジェレミーさまは動物に変幻するのも禁止するのですか?」


「えっとそれは例えば私が犬に変幻している時にもし産気づいたら、そのまま子犬を出産してしまうのではないかと……」


「うふふっ……」


「何だ、それは! アイツのこと前々から馬鹿だとは思っていたが、ここまでとは……子犬を産む前に人間に戻るだろ、普通」


 ビアンカはこらえきれずに吹き出し、クロードは頭を抱えている。


「どの魔術も危険はないと思うのですけれど、それとジェレミーさまを説得するのはまた別の問題ですわね」


 ビアンカは笑いを噛み殺している。正に彼女の言う通りである。


「ところでアナさん、そこまでジェレミーさまにああしろこうしろと束縛されて窮屈ではないですか? 私だったらちょっと……」


「え、ビアンカさまでもそこまで反発されますか?」


「夫が妻の心配をするのは当然だぞ。それに俺はビアンカになら束縛されたい」


「あらあら、なんてことをおっしゃるのですか、クロードさまは!」


 アナはそれを聞いて微笑んだ。


「そうですね、私は窮屈というよりも主人に心配してもらえるのは素直に嬉しいです。ルクレール侯爵家の跡継ぎになるかもしれない子を身籠っているのですから、主人が過保護になるのも無理はないですよね」


「アナさん、それは違います。お子さまが男の子だろうが女の子だろうが、アナさんが身籠っていようがいまいが、ジェレミーさまがアナさんの身体を気遣われるのは同じでしょう?」


「そうですね、主人にも同じようなことを言われました」


「まあ、何だな、あの筋肉馬鹿に魔術のことを説明するのは無理だと諦めて、出産までの数か月は我慢することだな。夫があんなのだと、アナさんも大変だな」


「クロードさま、先程からジェレミーさまのことをそんなにけなして! 失礼ですよ!」


「俺は皆が思っていることを代弁しているだけだぞ」


「うふふ」


 アナがそこで笑い出したので最後はビアンカまでつられて笑ってしまったのだった。






 ある日アナは学院の授業の後、馬車で迎えに来たジェレミーと一緒に帰宅していた。今は一年で一番寒い時期である。途中馬車が左に揺れてガタっと音がし、急に止まった。


「アナ、大丈夫か? ヒュー、どうした?」


「旦那様、申し訳ございません。路面が凍っていたのでしょう、少々滑って歩道の段差に車輪をぶつけてしまいました」


 それを聞いたジェレミーはすぐに馬車から降りてヒューと一緒に馬車を点検している。


「左側前輪か? ああ、後輪だな」


 ジェレミーは車内に顔を覗かせてアナに告げた。


「多分屋敷に戻るまではもつと思うが、車輪が痛んでいる。が一本折れそうだし、俺達は念のためここから辻馬車で帰るぞ。今呼んでくるからな」


 気候の良い時期なら歩いても屋敷まではそうかからないだろうが、この寒さでは妊娠初期のアナが歩いて帰るなどジェレミーは絶対に許してくれそうにない。


「でしたら私が旦那さまと一緒に瞬間移動で帰りま……」


「そんなんもってのほかだっつーの!」


「旦那さま、大声を出されると馬が驚きます!」


「とにかく、駄目なもんは駄目だ!」


 ジェレミーは辻馬車を呼ぶために駆け出していってしまう。


「あっ旦那様、辻馬車なら私が呼びに参ります!」


 御者のヒューが後を追いかけるがあっという間に居なくなってしまったジェレミーだった。




 その後二人は辻馬車で無事帰宅した。自室で着替えた後ジェレミーはアナに謝った。


「さっきは声を荒げて悪かったな……俺も瞬間移動の方が早く帰宅できるのは分かってはいるが……お前の身体も少し冷えたろ」


 アナはニコニコしながら答えた。


「色々禁止されるのは少々不便ですけれど、アナは旦那さまにこうして束縛されるのでさえ嬉しいと感じてしまいます。私を心配して下さっているんだ、という気がして」


 そこでジェレミーがニヤッとしたその表情を見たアナは何か嫌な予感がしてきた。


「へぇーえ、アナ=ニコルさんはやっぱり俺に縛られるとウレしくて感じてしまうのか? まあ分かってはいたけどよ。しょうがねぇなあ、こう見えても俺はそんな趣味はねえんだけど、お前がどうしてもって言うなら縛ってヤッてやる」


「はい?」


 アナはまだ何のことだかさっぱり分からないが、ジェレミーがこんな顔をする時には絶対人には言えないようなことを考えているのだ。


「でもなあ、緊縛してくれって言われてもなぁ、俺も捕らえた罪人を後ろ手に縛る方法しか知らねえんだよな。ほら、いわゆる亀甲とか菱縄縛りってあるだろ? 見栄えがするけど練習重ねないとムリムリ、縛る加減によってはうっ血起こすとか危険らしいぞ」


 そんな趣味は無いと言いながらお前結構知っているじゃないか、とジェレミーにツッコむ人間はこの場に居ない。


「キッコウ? ヒシナワ?」


「いや、ほら、この辺りが六角形だったり菱形だったりする縛り方だ。口で説明するのもなんだから本を見せてやる。ちょっと待ってろ」


「???」




 そして部屋を出て行ったジェレミーはすぐに本を一冊持って戻り、それをアナに見せた。背表紙に『良い子の○○入門』とあるが、○○の部分はジェレミーの手に隠れて見えない。


「ほら、この頁見てみろよ。まあ、何にしたってな、出産してしばらくしないと無理だ。こっちの挿絵が亀甲でな……」


「キャー! 〇X△★!!! だ、だだ旦那さまぁ!」


「そんな期待に満ちた目で見んなよ、俺がお前のそういう顔に弱いの知ってんだろ?」


「旦那さまのイジワルッ!」


 アナは部屋を飛び出した。扉も閉めずに階下に向かっている。


「おい、アナ! 走るんじゃない! 縛ってくれっつったのお前の方だろーが!」




 セバスチャンに後で大目玉を食らったジェレミーだった。


「旦那様、お部屋で奥様合意の上で変態プレイをなさるのは私も止めません。ですが屋敷中に響き渡るようなお声で叫ぶ必要がどこにありますか! そのようなことは内密に行って下さいませ。使用人に変な影響を与えますから!」



     ――― 束縛  完 ―――




***ひとこと***

結局こんなオチになってしまいました。大変失礼致しました。

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