追記 妊娠(二)


 ジェレミーがアナを抱えて医務室を出たところで、三人の学生が廊下を向こうからやって来た。アナの級友達だった。


「ルクレールさん、ご気分はどうですか? 今様子を見に行こうとしていたのです」


「皆さんご心配かけて申し訳ありません。私が体調管理をしっかりしていなかったのが悪かったのです。少し休んで気分が良くなりましたから」


「あの、ご主人のルクレール侯爵でいらっしゃいますよね」


「妻がいつもお世話になっています」


「ごめんね、アナさん。俺、すぐ隣に居て調子悪そうだったのに気付かなくて」


「いえ、そんな」


 ジェレミーはその男子生徒が馴れ馴れしくアナに話しかけるのが気に食わないようである。


「では、馬車を待たせているので失礼」


 ジェレミーは彼らに軽く会釈をしてさっさと正面玄関に向かおうとした。


「ルクレールさん、お大事にね」




 そしてジェレミーが廊下の角を曲がりきる前に女学生たちははしゃいだ声を出していたのがアナの耳にも入ってきた。


「キャー、素敵な旦那さまにお姫様抱っこなんてされちゃって!」


「さすが近衛騎士ね!」


「ちぇっ、俺だって抱っこくらいできるさ」


「アンタなんてどうせ浮遊魔法使ってズルするじゃないの」


「アナさんくらいだったら魔法で浮かせなくても俺だって軽々と持ち上げられるし!」


「ちょっとそれどういう意味よ? 私たちは重いって言いたい訳? 最低!」




 そしてもちろんその女生徒達により、アナがイケメンの旦那様にお姫様抱っこされていたということは魔術科の級友たち全員に広められたのだった。十代半ばの年頃の乙女たちにはたまらないシチュエーションだったようである。




 二人は正面玄関でテオから鞄と上着を受け取り、ルクレール家の馬車に乗った。ジェレミーが王宮から乗ってきた馬はテオが授業の後に乗ってきてくれることになった。馬車の中でアナはジェレミーに聞く。


「旦那さま、今日はお仕事を抜けてまで来て下さってありがとうございました。本当によろしかったのですか?」


「ああ、クロードが知らせに来てくれた。会議中に瞬間移動で現れてさ、陛下なんて半分面白がっておられたんだぜ。『それはすぐに駆け付けないとな。クロード、ルクレールを抱っこして学院まで瞬間移動でとんぼ返りしろ』なんてニヤニヤされてさ」


「ええ?」


「流石にクロードに抱っこもおんぶもされたくなかったからな。宰相や大臣のジジイどもの目の前だぞ!」


「うふふ」




 そして屋敷に着くと再びジェレミーに横抱きにされ、寝室に連れて行かれ寝かされたアナだった。夕方になり、学院からテオがジェレミーの馬に乗って来た。テオは寝台に腰かけているアナを見、安心した様子だった。


「姉上、最近顔色が悪かったから心配しておりました。少しは頬に赤みが戻ってきたようですね」


「ええ。でも実は今朝から喉も痛くて。風邪を引いたかもしれません。大丈夫かしら、熱が出たりしたら……」


「姉上、もしかして……その、お子が出来ましたか?」


「まだ確信はないのですけれど、ラジュネス先生も多分そうじゃないかっておっしゃいました。医科で学んでいるだけありますね、テオ」


「それはあまり関係ないですけれども……」


「あの、でもお医者さまに診て頂いてはっきりするまでは主人にも誰にも言わないで下さいね」


 テオは毎日一緒に居るジェレミーこそ妻の様子にすぐに気付いてもいいだろう、と思ったが何も言わなかった。


「もちろん分かっておりますよ。姉上の身には短い間に沢山のことが起こったので、精神的にもお疲れではないですか?」


「そうね。でも、基本的にはおめでたい事ばかりですよ」


「それでもあまりに色々な事が一度にやってくると、良い変化であってもその後うつ病を発するということもあるのですよ」


 アナはニコニコしながらテオを見つめている。


「何だか感慨深いですね。あんなに幼かったテオがいつの間にか立派なお医者さまのたまごになって」


「そうですよ。僕はもう姉上に面倒ばかりかけていた子供ではありませんからね。姉上も、ボルデュック領や僕やルーシーのことはもういいですから、ルクレール侯爵夫人としてご自分の新しい家族のことを一番に考える時ですよ」


「まあ本当に、私の小さい弟が……」


 そこでジェレミーが寝室へ入ってきた。


「テオ、晩飯ここで食っていくか?」


「いえ、今日はすぐ帰宅致します。お気遣いありがとうございます。義兄上、姉にあまり無理をさせないように、くれぐれもよろしくお願い致します」


 テオが去ってからジェレミーはブスッと口を開く。


「何かどいつもこいつも俺がお前を疲れさせたみたいな言い方じゃねぇか……」


「まあまあ、旦那さま(でも半分は本当ですのに)」




 次の朝、案の定アナは少し熱が出てしまった。咳も少しある。ジェレミーは昨日早退したため、その日は休めずセバスチャンに屋敷を追い出されてしまった。


「奥様のことは私にお任せください。デュモン医師をすぐ呼びますし、旦那様はちゃんと出勤なさって下さい」


 ルクレール家のかかりつけ、デュモン医師はすぐにやって来た。


「奥様、ご心配は無用です。ただの風邪でございます」


「あの、先生、貴族学院のラジュネス先生に多分妊娠しているだろうと言われて、少し前から自分でも何となく気付いてはいたのです」


「そうでございましたか。安全な薬を出すことも出来ますが、水分補給をしてゆっくりお休みになるだけでよろしいでしょう。熱も今のところはそう心配するほどではありませんよ」


「ああ、良かったです」


「しかし、日程的にあと数週間しないとご懐妊かどうか断言するのは難しいですな」


「先生、私まだ主人に何も言っていないのです」


「分かっておりますよ、奥様。はっきりするまでは周りをぬか喜びさせるだけかもしれませんからね。お大事になさって下さい。また明日の朝に様子を伺いに参ります」




 翌朝、アナの熱はまだあったがそう上がってはいなかった。咳は相変わらずである。デュモン医師の往診時にはジェレミーはまだ出勤前だった。


「奥様、このまま安静にお休みになっていれば咳も収まり、すぐによくなるでしょう。ご気分が優れず、食欲があまりなければ召し上がりたい物だけをお好きなだけお取りください。栄養のことはまだそこまで考えなくてもよろしいかと思います。侯爵がまだいらしたら、彼にも少しお話がございます」


 案の定、アナのことが心配なジェレミーは診察中部屋の扉の外に張り付いていた。


「侯爵、部屋にお入りください。奥様はまだ咳をされているので侯爵は同じ部屋で煙草を吸わないようにして頂きたいのです。喉に障りますから。とりあえず奥様の咳が止まるまでは……」


「……分かった」


 デュモン医師には夫婦の寝室でジェレミーが煙草を吸っているということがお見通しだったのだ。


「そんな、旦那さまがお好きなものを私の為に我慢なさる必要はありませんわ。私も風邪を移したくないですし、私が自室で休めば済むことです。今は外も寒くてバルコニーにも出られませんしね」


 アナは今にも枕を抱えて自分の寝室に戻ろうと、完全に寝台の上に体を起こしている。


「それはいいお考えです、奥様。せめて咳が収まるまでの間は空気の綺麗なご自分のお部屋でゆっくりお休みください」


 慌てたのはジェレミーである。


「いや、ちょっと待てよ……」


 セバスチャンは目を丸くしている。確かにジェレミーは煙草を良くたしなんでいる。冬はバルコニーに出られず、部屋の中で吸うから医者の言うことは尤もなのだが……




妊娠(三)に続く




***ひとこと***

クロードのジェレミーお姫様抱っこは実現しませんでした。残念でしたね、国王陛下!


ところでそれどころではありません、再び夫婦別室の危機が訪れようとしています!

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