追記 御者(一)

ルクレール家の悩める御者ヒューの告白です。


この話の途中でも父親のアルノーからジェレミーに爵位が移り、ヒューやセバスチャンの彼らに対する呼び方が変わります。例えばアルノーは旦那様から大旦那様、そしてジェレミーが旦那様と呼ばれるようになります。しかし台詞以外は混乱を避けるためにアルノー様、テレーズ様、お坊ちゃま(ジェレミー)、アナ様と統一しました。


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 読者の皆様こんにちは。私の名前はヒュー、ルクレール侯爵家に仕える御者でございます。お覚えの方も沢山いらっしゃると思いますが、私が本編で一番活躍致しましたのは『第二十四条 送り狼』でございます。あとは『第五十条 報告』でも御夫婦を乗せた馬車の前に黒猫が飛び出し、台詞が少しございました。




 私もルクレール家での勤めは長く、お坊ちゃまのお父上アルノー・ルクレール様がまだ侯爵位を継いだばかりの頃からですから、もうかれこれ三十年になります。ルクレール家は職場環境も待遇も良く、私もお陰様で長年勤め続けられています。


 若い頃は私も、辻馬車や乗合馬車、それに貴族のお屋敷も転々と致しました。貴族の屋敷もピンからキリまでございまして、働き易いところもあればそうでないところもあり、ルクレール家に就職できた私は幸せ者でございます。




 さて、今だからこれは笑って話せることでございますが、当時の私は少々悩んでおりました。現在のジェレミー・ルクレール侯爵様が爵位を継ぐ少し前にさかのぼります。


 お坊ちゃまは春に御婚約され、夏の終わりにはもう式を挙げられることとなっておりました。お相手のアナ様は侯爵令嬢にしては腰も低く、とても感じの良い方でございました。


 御実家のボルデュック領から王都に出てこられたアナ様は、伯父様であるゴダン伯爵のお屋敷に滞在されておりました。ゴダン家の馬車を使うことでさえ遠慮されているようで、ルクレール家の馬車で私がお迎えお送りする度に丁寧にお礼を言って下さいます。


 お坊ちゃまの御両親アルノー様とテレーズ様を始め、屋敷の使用人全員が御婚約を心から喜んでおりました。


 しかし、私だけは存じておりました。お坊ちゃまは御婚約の少し前から繁華街のある飲み屋に入り浸っており、どうもそこにお目当ての方がいらっしゃるようだったのです。以前は飲みに行くにも徒歩か辻馬車のことが多かったお坊ちゃまですが、その方を追い掛け回すようになってからは私の馬車で出かけられることが多くなりました。




 私に飲み屋前で見張りをさせたり、徒歩で帰られるその方を馬車で付けさせたりとストーカー、セクハラ行為を繰り返していたお坊ちゃまの片棒を担がされておりました。度が過ぎれば私まで罪に問われかねませんでした。


 私も職業柄、貴族の方々の乱れた生活ぶりは良く見ておりますから、大抵のことには驚きません。外に何人も愛人を囲ったり、高級娼館に通ったりなど珍しくもございません。


 しかし、今回のお坊ちゃまのことは……最初は私も耳と目を疑いました。今まで特に乱れた生活もなさっていなかったお坊ちゃまでしたし、極度の女嫌いだということはアルノー様やテレーズ様もよくおっしゃっていました。


 ええ、そうなのです、お坊ちゃまは何とその飲み屋で働くピアノ弾きの少年に入れあげておいでだったのです。これが口さがない侍女たちの言う『びーえる』というものなのでしょうか……アナ様との御婚約、式の日取りが決まってもそのニッキー少年に対する熱は冷めるどころか、燃え上がる一方でございました。


 私も馬車の中だけでなく外でもお坊ちゃまが少年に口付けされているところは何度も目撃しております。別に覗き見しようと思って見たのではございません。お坊ちゃまがあまりにも堂々とされておいでなので、目に入ってくるのです! 私が見ていないところではもっとみだらなこともされていたに違いありません!


 しかし、ニッキー少年の家に泊まったり、彼を宿に連れ込んだりということは流石にありませんでした。私は昼間婚約者のアナ様を馬車に乗せる度に心がひどく痛みました。将来の夫が男色、もしくは両刀だなんてこの純真そうなお嬢様は露ほどにも思っておられないに違いない、と。


 私一人で抱えるにはあまりにも重過ぎる秘密でした。妻にも屋敷の同僚にも言うことなど出来ません。セバスチャン様に相談するのも躊躇ためらわれました。彼には主家の噂話はきつく禁止されております。


 私が口の軽い人間だと思われると……私はもう年ですからあと少しでルクレール家を円満に退職、退職金も頂いて穏やかな老後を送りたいのです。今更就職活動なんてしたくありません。


 しかし、私の口からはこの重い秘密がこぼれ出てきそうでした。思い余って屋敷の裏に穴を掘りに行きました。『旦那様は美少年がお好き!』という小説の題名みたいなフレーズを、その穴の底に向かって思い切り叫ぼうとしました。しかし、季節が移り、そこに葦が生い茂って大合唱を始められたらたまりません。


『旦那様は美少年がお好きー♪ だんなさまは美少年がオ・ス・キ♪』


 ああ駄目です、私のゆったり隠居ライフの夢が……ということで私は口を堅く閉ざし、穴を掘っただけでスゴスゴと屋敷に戻りました。




 さて、お坊ちゃまとアナ様は予定通り結婚式を挙げられました。晴れて夫婦になったお二人を私も何度か馬車にお乗せしましたが仲睦まじい夫婦というには程遠い雰囲気でございました。噂は禁じられておりましたが、使用人達の間では新侯爵夫妻は完全な仮面夫婦だということは周知の事実でありました。


 私だけはその理由を存じております! それはお坊ちゃまが結婚を隠れ蓑にして世間をあざむき、男の愛人に入れ込んでいるからなのです!



御者(二)に続く




***ひとこと***

気の毒なくらい悩めるヒューさん、切実です。傍から見ていると面白いですが。

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