第五十三条 卒業

― 王国歴1033年初夏


― サンレオナール王都 貴族学院



 今日は貴族学院の卒業式というアナにとっての晴れ舞台である。アナはついに魔術師になることができ、感慨深かった。秋から王宮魔術院で勤め始めることになっている。


 式が終わり、卒業生やその家族は学院の大講堂前で歓談したり、別れを惜しんでいたりしていた。アナは周りを見回し、校庭の楠の側に彼女がこの世で最も愛する三人の姿を認めた。そして彼らの方へ近付いた。


「よう」


「おかあさま、おめでとうございます!」


「ママーン!」


「二人とも式の間、お行儀よく出来ましたか?」


 アナの在学中に夫婦は二人の男の子に恵まれたのだった。あの仲直りのすぐ後、アナはジェレミーに聞かれた。


「お前はどうしたい? 子供を持つのは学院を出てからがいいか? 俺はどっちでもいいけど。お前が卒業を待ちたいなら気を付ける。まあ、お前の親父さんはマゴ、孫って焦ってるけどなぁ」


「アナは旦那さまのお子を早く産みたいです。学業も大事ですけど、子宝に勝るものはございません」


 母親が常々言っていたのを、アナは幼かったがよく覚えている。


『領地のことでいくら忙しいからって、今は子供を作っている場合じゃないって数年無駄にしなかったら……子供を産むなら若いうちよ』


 そしてルーシーの誕生後間もなく体調を崩して亡くなってしまったのだ。三人の子供たちを残して、さぞかし無念だった事だろう。


 アナの言葉を聞いたジェレミーは満足そうだったが、意地悪な笑みでこう言ってのけた。


「一晩に二回以上ヤりたくないデス、でも旦那サマの子種は欲しいデス、ってなぁ、アナ=ニコルさんは言ってることが矛盾してるよなぁ」


「ですから、それとこれは別でございます! 数打てば当たるものでもございません!」


「俺が下手だって言いたいのか?」


「違います! 畑の準備が出来ていないのに、いくら種を蒔いても子は育たないと申し上げたいのです。って先程から何てこと言わせるのですか!」


「へぇ? じゃあ、お前は畑が準備中の時はシて欲しくないわけ?」


「え? そ、それは……その、準備中でも……」


「聞っこえませーん。アナ=ニコルさんにはお仕置きしないといけないなぁ」


「旦那さまのイジワル……」


 そしてなし崩しでジェレミーに翻弄されるという、いつもの展開になったのである。




 アナはすぐに身籠り、次の年の夏に長男のギヨームを出産した。侯爵家では乳母も居るし、アナは体調が戻ればすぐに復学できたが、せめて首が座る頃まではずっとそばにいてやりたい、としばらく休学した。


 そしてまたその二年後に次男のアンリを出産したときも六か月間休学し、二、三年で卒業の予定が四年かかってしまったのである。


 アナが二人目妊娠中、ジェレミーは友人や同僚に冷やかされていた。


「ルクレール、奥さんまだ学生なのに大変だろ、とりあえず卒業待つとか手加減してやれよぉ」


 当の本人は言いたい奴には好きに言わせておけ、と全く気にしていない様子だった。そして甥や姪も可愛がっているジェレミーは、自身の子供たちの相手も根気良くしている。


 アナは学院史上初、既婚で入学、在学中に出産した学生となった。そして今日やっと卒業の日を迎えることが出来た。




 ジェレミーは抱いていたアンリをアナの腕に渡し、アナの腰を軽く引き寄せて唇にキスをした。


「その魔術師の黒のローブ似合ってるぞ。可愛いな」


 ジェレミーがアナのことをこんな褒め方をするのは珍しい。たいていいつもは関心なさげに『悪くない。まずくない』と否定形だというのに。しかも、人前でキスをされるのも非常に珍しい。実に結婚式以来だった。屋敷で使用人や子供たちの前でもまず二人はキスすることはなかった。


「あっ、おとうさまがおかあさまにきすしてる! ぼくもー!」


「ママーン!」


 アナは頬を少し赤くして、愛しい息子たちの額にそれぞれキスをした。


 そこへアナの妹のルーシーがやって来た。彼女は三年前に学院に編入して薬学を学んでいた。彼女も今日卒業だったのだ。アナの弟テオドールは昨年卒業し、今は王宮の医療塔で研修医として忙しく働いている。


「お姉さま、卒業おめでとうございます」


「ルーシーもおめでとう。良かったわ、貴女にまで先を越されなくて」


 ルーシーは復興したボルデュック領に戻り、薬師として働きながら領地の管理をする予定だ。彼女は先程のキスも目撃していたし、ジェレミーがまだアナの腰を抱いているのに気付くと二人の甥に言った。


「さあ、お坊ちゃまたち、しばらくルーシー叔母さまとあちらの庭で遊んできませんか?」


「ハイ、ルーシーおばさま!」


「ルチー!」


「悪いな、ルーシー」


「お安い御用ですわ、お義兄さま。ごゆっくり」


 彼女は意味ありげにニヤっと笑って子供たちと去っていった。


「さてと」


 ジェレミーはアナの腰をさらに自分の方に引き寄せて再び彼女に口付けた。


 アナは今までの経験から少々嫌な予感がしていた。こういう時のジェレミーは絶対何か要求してくるに決まっているのだ。しかも、人前で言えないような事をだ。そして彼はアナの耳元で囁いた。


「愛してる、アナ。だから今晩はそれ着たままヤらせろ」


「だ、だだ旦那さま?!」


 アナは後ずさりしようとしたが、ジェレミーの腕の中にがっちりと捕まっている。


「旦那さまも制服ふぇちだったのですか?」


「お前のがうつった。責任取れ」


「折角の新しい制服にしわをつけたり汚したりしたくありません……」


「アナ=ニコルさんは敬愛する旦那様に逆らってもいいのかなぁ? お仕置きしないといけないなぁ。お前が上になるか、立ったままならしわにならないし。俺の白の制服と違って黒だから汚れは目立たないだろ」


 侯爵だというのに貧乏時代のアナみたいな庶民的なことを言うジェレミーだった。


「あっでは、私もいいことを思いつきました! 旦那さまも制服姿で『だぶる制服ぷれい』にして頂けますか?」


「アナ=ニコルさんはいつからそんな交換条件まで出すようになったのかなぁ」


 気の乗らないふりはしたものの、実はジェレミーはそれも悪くないと思っていた。ジェレミー自身は近衛の正装は窮屈で肩が凝るのであまり好きではないのだった。しかし『制服プレイ』は別だった。やたらアナが燃えるのでジェレミーもより興奮するのである。




「何だかんだ言ってラブラブね、あの二人は。羨ましいなあ」


 それを少し離れたところで見ていたルーシーは独り言を言っていた。


「らぶらぶってなんですか? ルーシーおばさま?」


「ブブー!」


「まあ聞いていたの。お父さまとお母さまみたいに仲の良い夫婦のことですよ、お坊ちゃまたち」




***ひとこと***

お子様たち、カワイイです。長男のギヨーム君は前作「貴方の隣」の番外編「親思う心にまさる親心」に登場しています。アナに似て気性の穏やかな彼は幼馴染みの彼女にいつも言い負かされています。実はジェレミーはそれが気に食わなかったりして。

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