第四十二条 未遂
アナとテオドールが王都へ帰る日がやってきた。今回もジェレミーが昼前に到着し、家族で昼食をとり、それから三人で帰ることになった。
父ジョエルはジェレミーの前では機嫌が良いのはいいのだが、今回も色々と
「アナがいつもお世話になっております、ルクレール様。娘を長いこと引き留めてしまって申し訳ありません。新婚ほやほやなのにねえ、さぞお寂しかったでしょう」
ジェレミーが着くなりこの調子である。自分たちはどう見ても、数日たりとて離れていたくない新婚夫婦には程遠い。アナは気まずくてジェレミーの顔が見られなかった。皆で昼食を取っている時もジョエルの舌だけが絶好調だった。
「私ももう年ですね、アナが結婚したら今度は子供が出来ればいいのに、とそればかり思うのですよ。孫の顔が早く見たいものです」
嫁いだからいずれは聞かれるようになる、とアナは覚悟していたことである。
「まあ、お父さまったらお気の早いこと。こればっかりは授かりものですから、急かされても何ともいたしようがございませんわ。ねえ、旦那さま」
「ああ」
ジェレミーの顔も引きつっていたように見える。アルノーとテレーズでさえ面と向かっては聞いてこないのに、何てこと、とアナは苦々しく思った。
(まだ一度もまぐわっていないのだから、コウノトリが来るわけないじゃないの!)
出来るものなら男の子でも女の子でもルクレール家のために産んで差し上げたいのはやまやまだ。アナは周りには悟られないようにそっとため息をついた。
王都へ帰る馬車の中では三人とも終始無言だった。アナはテオドールとお喋りしたい気分だったが、ジェレミーの前ということで遠慮して口を
ボルデュックの領地にいる時は家族と過ごせてあれほど楽しかったのに、王都に戻るとアナはルクレール家で再び孤独に
その寂しさを埋めるように、ジェレミーの在宅中はシャルボンとして朝昼夜構わず彼の側に寄り添うようになっていた。夜中でもシャルボンは時々彼を訪ねていたが、もちろん朝ジェレミーが目覚める時には居なくなっている。
冬も近付き段々と寒くなりジェレミーもバルコニーへの窓を閉めないといけないので、彼は猫専用の出入口を設置させた。そうしてシャルボンは自由にジェレミーの寝室にバルコニーから出入り出来るようになった。
「シャルボン、お前どこで寝泊まりしているのか知らないけど、そろそろ寒くなってくるからもうずっと俺の部屋に居ろよ。野良猫にはきついだろ、冬の寒さは」
「ニャアン(そう出来ればどんなにいいでしょう……)」
「何だかお前見ているとアイツのこと思い出すんだよなぁ……まあアイツはどっちかと言えば猫よりも犬みたいなんだけどさ」
そこでジェレミーはハァっと大きく切ないため息をついた。
「身分の差を気にしていたのかどうか……俺、嫌われてはいないと思っていたんだけどなあ……何処行っちまったんだろう」
「ミャゥーン……(ジェレミーさま、それってもしかして……)」
テレーズとアルノーが王都の屋敷に戻ってきている時はアナも変に思われないよう部屋にこもらず、食事は皆と一緒にとった。
養女のビアンカも養父母のアルノーとテレーズに時々顔を見せにやって来る。結婚してからもサンドリヨン経由で文のやりとりをしているビアンカは結婚後のアナに会う度に不思議そうな顔をしていた。
「アナさん、結婚してお幸せですか?」
「ええ、もちろんですわ。私たちはビアンカさまとクロードさまほど仲良くは見えないかもしれませんけれど」
アナは少々嫌な予感がした。ビアンカに夫婦仲が上手くいってないことが分かってしまっただろうか? 彼女の白魔術で心の中を読まれてしまったのだろうか?
しかし別にアナとジェレミーは仲が悪いわけではない。喧嘩もしてないし、いがみ合ってもいない。ただ、本当の意味で夫婦になっていないだけだ。アナは開き直った。貴族の結婚なんてどうせこんなものだ、書類上夫婦なだけでお互い他所で愛人を作るなんて珍しくもないだろう。誰もがビアンカみたいに運命の相手と結婚するわけではないのだ。
以前セバスチャンに言われたように、ジェレミーは飲んで帰ってくることが多かった。ある夜など、リュックに支えられるようにして送ってもらって帰宅したことまであった。セバスチャンや使用人はもう休んでおり、リュック一人にジェレミーを担いで二階の寝室に運んでもらうのも申し訳ない。
アナは止む無く自室から出てきて、移動魔法でジェレミーを運ぶことにする。彼の体を宙に浮かせて二階の部屋の寝台まで移動させて寝かせた。
リュックは友人として心配してくれている。
「まあ俺が口を挟むことじゃないとは思うのですけど、彼は最近仕事も上の空のことが多くて、悩みがあるみたいだって同僚たちが言っています。俺も今は近衛じゃないから良くは分からないけど、しょっちゅう飲みに行って遅く帰宅していますよね」
「そうですね……私も心配です」
「酒も煙草も量が増えていませんか? 夫婦のことは他人には分からないけどアナさん、何か心当たりは?」
「……えっと、それは……」
「まあ、気を付けてやって下さい」
「はい。今夜はお世話になりました」
その後、アナは水差しを持ってジェレミーの部屋を覗いてみた。上着だけでも脱がせないと、と思ってのことだった。どうせ酔って前後不覚だからアナが部屋に侵入しても分からないだろう。
実にアナとして彼の部屋に入るのは初めてだった。先程は扉の所から寝台にジェレミーの体を下ろしただけなので足を踏み入れなかった。猫ではなくアナの目線で見る彼の寝室は何だか新鮮だった。
「う、うーん」
寝台に横になっているジェレミーが
「旦那さま、お水をここに置いておきます。上着だけでもお脱ぎになった方がよろしいですよ」
ジェレミーはむくりと起き上った。
「ご気分はいかがですか? ご自分で上着をお脱ぎになれますか?」
彼は薄目を開けてアナの姿を認めた。
「これはこれは、何事にも動じない奥方様よ。丁度いい、金貨数百枚払った価値があるかどうか見せてもらおうじゃないか」
そしてジェレミーはアナの片腕を引っ張り寝台に押し倒して彼女の上に馬乗りになった。アナはあまりの展開に声も出ず抵抗することもなく、されるがままになっていた。
部屋着の上着は前がはだけ、普段着のドレスのボタンは二つ三つ外されスカートはめくれ上がっていた。ジェレミーの熱い息が首筋にかかった。
(ああ、できれば初めてはこんな泥酔状態のジェレミーさまでない方が良かったわ……)
アナは恐怖より緊張で震えていたが努めて力を抜き、そっと手をジェレミーの腕に添える。そこでジェレミーはハッと息を飲み、手を止めた。
「くそっ、もういい」
彼は拳で寝台を叩き、体を横に移動させたのでアナは自由になる。
「悪かった。すまない」
ジェレミーはそう謝り上着を脱いでアナに背を向けて横になってしまった。
アナは寝台の上に起き上り、乱れたドレスもそのままにしばらくジェレミーの背中を見つめていた。そして寝台からそろそろと下り、ボタンをはめなおす。
「失礼いたします。お休みなさいませ」
彼の背中にそっと
***ひとこと***
アナパパの望みはまだ叶えられそうにありません。
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