破綻

第四十一条 豊作

 秋もだんだん深まり、ボルデュック領の立て直しを手伝ってくれているステファンから今年の収穫状況を知らせる文がアナに届いた。予想通り、今年はまずまずの豊作でとりあえず第一関門は突破した。収穫祭の帰省が楽しみなアナだった。


 最近ジェレミーが飲みに行く頻度が上がった、とセバスチャンに聞いていたアナは心配だった。ジェレミーが在宅中ならシャルボンとして部屋に行けるが、確かに最近は時間が合うことも少なく、彼に会えることが減ってしまい少々寂しかったのである。


(ジェレミーさま、お体だけは大事にして下さい……)


 実はジェレミーはニッキーがひょっとして戻ってこないかと淡い期待を抱きながらイザベルの店に通っていたのだったが、アナはそれを知る由もなかった。





 収穫祭にアナは弟のテオドールと二人、故郷へ帰った。行きは乗合馬車だったが、王都に帰る時は以前のようにジェレミーが迎えに来てくれることになっていた。またセバスチャンにせっつかれたのに決まっている。その必要はなかったが、折角来てくれるのに断るのも失礼と思い、有難くその言葉に甘えることにした。



 ボルデュックの町は以前とは見違えるほど活気にあふれていた。アナは小さかった頃の収穫祭の賑わいを思いだし、心が弾む。家族も屋敷の皆も元気に過ごしている。アナはほっと胸をなでおろした。


 その日アナはステファンと領地を見回った後、彼と別れて屋敷の近くの小高い丘に一人登った。秋の領地の景色を眺めながら、彼女は嬉しいはずなのに何故か心にぽっかり穴が開いたように虚しい気持ちだった。


 農地は来年度からは果樹や野菜も少しずつ増やし、多角化して自然災害による全滅を避ける方向へ持って行く。収穫したりんごなどの果物で日持ちのするジャムやお菓子を作り、王都で販売する。ステファンが販売先をあたってくれるとのことだ。彼はしばらくこの先もボルデュック領の管理をしてくれるらしい。


 父親も小物作成に益々意欲を燃やしているし、弟のテオドールも学院でいつも優秀な成績を修めている。妹のルーシーは中等科をもう少しで卒業できる。


 アナ自身は……学院はまだ始まったばかりで何とも言えないが、勉強は好きだし楽しい。この調子で続けて二、三年後には魔術師になりたい。


 ボルデュックの屋敷に戻ったらアントワーヌに報告の手紙を書こう、とアナは思った。今年の豊作はジェレミーの援助のお陰に他ならない。この調子ならきっと借金も数年で返せるだろう。


「何もかも順調なのに……何なのかしら、この虚無感は……」


 そこでアナは気付く。領地の再建が着々と進んでいることをジェレミーと一緒に手を取り合って喜びたいのだ。彼に一言『よくやった』と言って欲しいのだ。ジェレミーに名目上の妻以上として認めてもらいたいのだ。ただ空気のような存在ではなく。


「無理でしょうね……私ってジェレミーさまにとっては空気以下ですもの……」


 アナの小さな声は秋風に吹き消された。




 結婚式の時は折角王都に出てきたルーシーとゆっくり話す暇もなかったアナだった。伯母や弟の言う通り、彼女はまだ十四歳だというのに随分と大人びてきていた。


 アナと違って、ルーシーはボルデュック家がまだ裕福だった頃を知らず、小さい頃から苦労してきたからに違いない。


 以前は領地にずっと居たいと言っていた彼女も、今は王都の貴族学院に編入することも少し考えるようになっていた。彼女は薬師になりたいのだそうだ。将来王都に残るにしてもボルデュック領に戻るにしても手に職をつけることはアナも賛成だった。


「来年度から進学しますか、ルーシー?」


「いいのですか、お姉さま。学費とか……」


「大丈夫よ。貴女は何も心配しなくても。伯父様のところにお世話になれるかしら? ルクレール家はちょっと……」


「私も伯父さまたちさえよろしければ、お兄さまもいらっしゃるし、ゴダン家の方がいいですわ」


 ルーシーには普通の貴族令嬢のように学院を十代のうちに出て欲しい。そして出来れば社交界にデビューさせて、良縁に恵まれて欲しい。領地がこの調子ならルーシーの学費は心配無用だった。それに彼女が王都に来れば今の孤独な自分に話し相手が増える、とも思ってしまったアナだった。




 そして領地滞在中、アナは執事のピエールからステファンが婚約者と破局したという話を聞いた。


「ステファンさんが婚約されていたことさえ初耳です」


「私もでした、お嬢様、いえ侯爵夫人。この夏のことでしたがラプラント領から戻ってこられた後、少々沈んでおられて様子がおかしかったのです。一度町へ飲みに誘ったところポツリポツリと話してくださいました」


「まあ、彼が独身だということしか知らなかったわ。婚約者の方は向こうの領地の方なのですか?」


「彼も自分のことをペラペラと何でも話す方ではありませんから、詳しいことは分かりません。なんでもラプラント家と親しい商人一家のお嬢様だそうです」


「破局の原因はもしかして、彼がボルデュック領に長いこと滞在していたからなのかしら?」


「どうもそうではないようで、原因は相手の側にあるようです。ルーシーお嬢様まで大層気にされて、一時期は見ていて気の毒でしょうがありませんでした」


「そうだったのですか……ステファンさんも早く気持ちを切り替えられるといいですわね。伯爵家の方だから、ここボルデュックの町では彼と釣り合うお相手もあまり見つかりそうにないわね……」


(もしかしてルーシーお嬢様のお気持ちには気付いておられない? まあ確かに、毎日見ている私たちはすぐに分かりましたが……)


「ええ、そうでしょうけれど……ステファンさん自身もしばらくは新しい縁談をと言う気にもなれないとはおっしゃっていますし。それでも出会いというのはどこに転がっているか分からないものですから……」


 ピエールは自分から報告すべき事ではないと思い、それ以上何も言わなかった。



***ひとこと***

アナはジェレミーと激しくすれ違い、妹のルーシーは傷心のステファンに片思い中です。弟のテオドール君は、学業が忙しくて彼女はいないようです。

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