第四十条 取引
アントワーヌは自宅で珍しい人物からの文を受け取り、それを読んでいた。
『頼みたいことがある。繁華街にあるイザベルの飲み屋で会えないか? お前の都合のいい日時を指定しろ』
ジェレミーからだった。
「向こうから頼み事があるにしては偉そうな物言いですね。相変わらずだなあ、あの人は。それにしてもあの彼が僕に何か頼みたいなんてよっぽどのことだろうね、何だろう?」
早速返事を書いた。
『場所も指定してよろしいでしょうか? 王宮本宮の四階小広間脇の廊下を入って三番目の
約束の日時にジェレミーはその小会合室に行った。アントワーヌはまだ来ていないようだったので、部屋の真ん中にある円卓の椅子にドカッと腰をかけた。
「何だよ、アイツがここに六時って言ったのに遅刻とはいい度胸だな」
ブツブツ言っているジェレミーの背後から突然アントワーヌが現れた。
「まだ六時の鐘は鳴っておりませんけど」
「ギャッ! お前何処から? もしかしてその窓からかよ、ここ四階だぞ。騎士の俺の後ろをとるとはな……」
扉から入ってきたのではない。ジェレミーは扉に向かって腰かけていたからだ。
「まあいいではないですか。結局王宮内で会うのが一番安全だと思ったからです」
アントワーヌがそう言うと同時に六時の鐘が鳴った。
「イザベルさんの飲み屋なんて貴族がわんさか押し掛けるところで、貴方と一緒のところを目撃されたくないですからね。かと言って、平民ばかりが行くような店では貴方はいくら庶民の格好をしても目立つでしょうし、お兄様?」
「オニイサマ言うな、この野郎」
「で、この私にお願いとは何でございましょうか?」
「お願いじゃねえよ、頼み事だ。実はある人物のことを調べて欲しい。名前はニッキー。苗字はルヴェンだったかな? 年は十七、八くらい。イザベルの飲み屋で去年の夏ごろから時々ピアノを弾いていた。けどある日突然消えたんだよ」
アントワーヌはそれを聞き、片眉を上げた。ジェレミーは続けた。
「茶色の短い髪で、眼も茶色。肌は明るい小麦色だ。少年の格好をしてるが多分女だ……と思う。以前はプラトー地区のリヴァール通りの家に住んでたみたいだが、今そこは空き家になっている」
「多くの貴重な手がかりありがとうございます。
「お前いちいち嫌味な奴だな。情報はそれだけしかないし、誰に聞いても知らぬ存ぜぬだからお前を頼ってんじゃねぇか!」
「およそ人に頼み事をする態度には程遠くないですか? 家出人や失踪人なら王都警護団に捜索願を出しますよね、普通。警護団には知らせていないのですよね、わざわざ私を呼び出すくらいですから。やましい理由でもおありですか、お兄様?」
「だからオニイサマ言うなっつってんだろ! 理由は言えないって分かっているんならいちいち説明してくれる必要ねえだろ! それに、もちろんただで調べろとは言ってないぞ」
「へぇ、何か頂けるのですか?」
「お前がオカズにできるものだ」
「は、はい?」
「調べてくれたら愛しの彼女の姿絵をやる。更に成功報酬は彼女が昔身に付けていた×××だ、○○もつけてやる」
アントワーヌはそこで頬を少し赤く染めた。
「……」
「俄然やる気が湧いて来ただろ? おい、変態を見るような目付きすんじゃねぇよ!」
アントワーヌは呆れて溜息をついた。
(だって実際変態中のヘンタイでしょ、貴方は。そんなものが取引の材料になると考えることからして……)
「調査を始める前に姿絵の実物を見せて頂かないと。それからちゃんと約束を文書にしたためましょう。あと……その、成功報酬の方は口約束で結構です」
「相変わらずしたたか君だな、お前」
「何とでも。明日の同じ時刻、今度は一つ上の階の第四会議室でどうでしょうか?」
「了解。じゃあまた明日な」
ジェレミーが扉に手をかけようとしたときにアントワーヌは言った。
「出来ればどなたにも見られないように出て行ってくださいますか?」
「お前用心深すぎじゃねぇの? まあ俺もお前と王宮で逢い引きしてたなんて、おぞましい噂はされたくねぇし」
反論しかけたジェレミーだったが、アントワーヌに言われた通り扉をそっと開け、廊下に人が居ないのを確認してから部屋を出た。一人残ったアントワーヌはジェレミーの出て行ったのを確認すると机に突っ伏して吹き出した。そしてまだ笑いながら誰ともなく話しかけた。
「ねえ、ドウジュ、まだそこに居ますか?」
「はい」
ドウジュと呼ばれた人物は音もなく部屋にサッと現れた。
「どう思う?」
「侯爵閣下には失礼ですが……彼はよっぽどの馬鹿で鈍チンですね」
「ははは。僕もそう思うよ。先程は笑いを堪えるのに苦労したよ」
「私は窓の外で思いっきり笑わせて頂いておりました」
「姿絵だけは頂いて、成功報酬は諦めよう。しょうがないけど、彼女に対してやましいことは出来ないしね。それにニッキーが自分の意志で消えて正体を明かしたくないのだったら尊重しないと」
「非常に残念ですねえ、若」
「もうドウジュったら。僕は姿絵で十分満足だよ」
「ねえ、血眼になって探しているニッキー・ルヴェンさんが実は……って分かった時のあの人の顔は一見の価値があるだろうね」
「私もその瞬間は是非見てみたいものです」
アントワーヌはそれから一か月くらいの間、それらしい目撃情報を仕入れたなどと小出しにちょくちょくジェレミーに報告し続ける。しかし結局ニッキー・ルヴェンなる人物はどうしても見つけられない、最後にはお手上げだと言い、例の姿絵だけ報酬として譲り受けたのだった。
***ひとこと***
ジェレミーさま、アントワーヌとドウジュに好き勝手言われていますよー!
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