第三十九条 黒猫

注!:登場人物が全裸になる一場面がございます。(元々全裸の黒猫ちゃんではありません)細かな描写はありませんが、必要に応じてモザイクをかけてご覧下さい!?

***



 次の休みの日の朝、ジェレミーが自室の揺り椅子で新聞を読んでいたところ、少し開かれたバルコニーの窓かに小さな影が現れた。その影は控え目に声を上げる。


「ニャー(ジェレミーさま、おはようございます)」


 新聞から顔を上げたジェレミーはパッと笑顔になった。


「よぉ、シャルボン! あれからお前のこと、探していたんだぞ。こっち来い!」


「ニャーン!(ジェレミーさまぁー、私もお会いしたかったデス!)」


 シャルボンはジェレミーの膝の上に飛び乗って、顔を彼の胸に摺り寄せた。


「ニャンニャンゴロゴロー。(ああ、幸せ。こうして貴方の腕の中に飛び込めるなんて……)」


「お前、毛並みがつやつやだけど、本当に野良猫なのか?」


 ジェレミーはシャルボンを持ち上げ顔を近付けた。鼻と鼻がつくくらいの距離である。


「ミューミュー(ジェレミーさまのお顔がこんなに近いわ……ど、どうしましょう)」


 遂に鼻が触れ合い、その上彼は黒猫の両目の間に軽く唇を当てた。


「体も汚れていないし、何かいい匂いがするな、お前」


「ニャニャ!(ジェレミーさまの鼻が触れて、しかも今私の狭い額に口付けを、きゃー!)」


「それにしてもよく二階の俺の部屋まで来られたな。どうやって登ってきた?」


「ニャーニャー(木登りが得意だということにしておいて下さいませ)」


 その時、扉を叩く音がし、その向こう側からセバスチャンの声が聞こえた。


「旦那様、お支度は出来ましたか? ご友人がもう見えています」


「ああ、セブ、今行く。じゃあな、シャルボン」


「ミャーン……(あっ、もう行かれてしまうのですね……)」


「そんな甘えた声出すな。午後には帰ってくるからさ」


「ニャン!(本当ですか? お帰りお待ちしてます!)」


 そして部屋を出ていくジェレミーが扉を開けると、そこに居たセバスチャンとシャルボンは目が合ってしまう。


「おや? 旦那様、それは先日お探しだった猫でございますか?」


「ああ、可愛いだろ?」


 ジェレミーはそのまま階下へ向かい、シャルボンはバルコニー伝いにアナの部屋に戻った。


「はて、あの碧い眼はどこかで見たような気が……」


 ジェレミーの部屋の扉を閉めながらセバスチャンはこっそりつぶやいていた。




 アナは二回目以降に黒猫のシャルボンになる時はいつもきちんと変幻できているか鏡で確認してから部屋を出るようにしていた。初めて鏡に映るシャルボンの姿を見た時には思わずため息をついてしまったものだ。


「ニャアニャア……(シャルボンは少しつり目でパッチリしていて、細いたれ目のアナとは大違いね。少年や猫になった方が美しいなんて、凹むわ……)」


 ジェレミーも初めてシャルボンの顔を覗き込んだ時に、綺麗な碧い瞳だと言っていたのをシャルボンは思い出した。


(アナの瞳も全く同じ色なのにね。ジェレミーさまはきっと自分の妻の瞳の色なんてご存じないのでしょうね……)




 それからというもの、ジェレミーは在宅中に度々シャルボンを見掛けた。自室に居る時や、居間のテラスで寛いでいる時などである。その度にシャルボンはジェレミーにすり寄ってきたので彼は黒猫を膝の上に乗せたまま新聞や書物を読んだり、一緒に昼寝をしたりしていた。


 長椅子や揺り椅子で昼寝をするジェレミーの胸の上に、前足後ろ足を目一杯開いてピトッとくっ付くのがシャルボンお気に入りの体勢だった。最初ジェレミーはそれを見て大いに笑ったものだ。


「ハハハ、お前何、その恰好。猫と言うよりムササビかモモンガだな」


「ニャーン!(ジェレミーさまにギューしたいのです!)」


「まあしかしだな、もうちょっと肉付けないとムササビじゃないな。お前食細いし」


 ジェレミーが魚や鶏肉をやろうとしてもシャルボンはあまり食べないのである。確かに、猫になったからとは言え生モノは流石にシャルボンも食べられなかった。


「ミャーミャー……(こうしてジェレミーさまの胸に頬を寄せていられるだけで幸せでお腹いっぱいです……)」




 ある休みの日、アナは隣のジェレミーの部屋から物音がしていたので、早速シャルボンになってバルコニーから彼の部屋を訪れた。まだ気候がいいので窓は開いており、そのまま部屋に入るが、彼の姿は見えなかった。


「ニャニャーン?(ジェレミーさま? つい先程まで音が聞こえておりましたのに。もう出かけられたのですか?)」


 残念に思ったシャルボンがまたバルコニーから戻ろうとすると、そこでアナの部屋とは反対側の扉の奥から音がした。浴室と手洗いへの扉だった。


「ニャン!(お手洗いをお使いだったのね!)」


 シャルボンが振り向いたその瞬間、扉が開き風呂上がりのまだ髪が濡れているジェレミーが現れた。


「よぉ、シャルボン来てたのか?」


「ニャニャニャッ!(ジェレミーさま! な、何か着るか、その、前をお隠し下さい! シャルボン、目のやり場に困ります!)」


 肩にタオルを掛けただけのジェレミーの姿に驚き、シャルボンは思わず寝台の後ろに隠れた。ジェレミーは猫相手だからか、全然気にしていない様子である。


「何後ずさってんだ、お前? こっち来いったら!」


「ニャンニャン!(し、しかしですね! 私には刺激が強すぎて……あ、でもシャルボンでもない限りは拝見する機会もないでしょうから、で、では遠慮なく!)」


 そしてシャルボンは少し寝台から頭を覗かせたが、やはり恥ずかしくて引っ込めてしまった。


「ニャー!(やっぱり私にはそんな度胸はございません、ドキドキ)」


 その時である、扉を叩く音がした。


「旦那様、御着替えをお持ち致しました」


「おお、セブか。入れ」


「ニャニャッ!(えっ、セバスチャン見たらダメなのです!)」


 シャルボンは思わずジェレミーの前に飛び出したが、猫の小さな体ではとうてい隠せることなく無駄だった。部屋に入ってきたセバスチャンは顔色一つ変えることなく、ジェレミーと、彼の前でピョンピョン飛び跳ねているシャルボンを見比べながら言ってのけた。


「旦那様、さっさと何かお召しになって下さい。お風呂上りのまま猫ちゃんと遊んでいて、大事な箇所を引っ掻かれたとしても、私は知りませんよ」


「ニャニャニャン!(さすがセバスチャン、って感心している場合じゃないわ! シャルボンがジェレミーさまに危害を加えるはずがないですし、だいたいそこを直視することさえ出来ないのに!)」


「シャルボン、お前は俺を引っ掻いたりしないよなぁ?」


 床に膝をついたジェレミーに覗き込まれ頭を撫でられたシャルボンは慌てた。


「ニャニャ!(ジェレミーさま、ちょっと、それ近すぎますぅ! きゃー!)」


 そこでシャルボンはセバスチャンに持ち上げられ、抱きかかえられた。


「旦那様、だからすぐにお召し物を! さあ、黒猫ちゃん、こんな露出狂は放っておいて厨房へ行きましょう。何か食べるものと、温かい牛乳でも」


「分かった、分かった。今着る」


 自分の腕の中のシャルボンと目が合ったセバスチャンはジェレミーには聞こえないようにそっと囁いた。


「奥様にそっくりな目をした黒猫さん?」


「ニャニ?(えっ、セバスチャン?)」


 シャルボンの反応にセバスチャンはニコニコしながらうなずいた。


「やはりそうでしたか……ご安心を、誰にも申しませんから。それにしても全く、あの鈍チンは!」


「ニャー……(セバスチャン、貴方には敵わないわね……)」


 セバスチャンはシャルボンに軽くウィンクをして彼女を床にそっと下ろした。



***ひとこと***

シャルボンはなかなかお茶目で滑稽ですね。ただの猫だからか、結構ジェレミーに対して積極的です。

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