第二十六条 嫌がらせ

 ルクレール家の晩餐会当日、アナはテレーズの見立ててくれた淡いクリーム色のドレスを着た。今までは実用面しか考えず汚れが目立たない濃い色のドレスばかり着ていたアナには新鮮な感覚だった。


 鏡に映る姿は彼女自身の目には正に馬子にも衣裳だったが鏡に話しかけてしまうくらいアナの気持ちは弾んでいた。


「少しは美しく見えるわよ、アナ」


(ジェレミーさまは今日の私が少しは見栄えがするって思ってくださるかしら?)




 その夜は気候も良く、外がまだ明るいうちは客のほとんどは屋内ではなく庭に出ていた。アナとジェレミーも客を出迎えた後は庭に出た。そこでテレーズと一緒に居た客にアナは見覚えがあった。


 騎士道大会の時に一度会ったことのあるシャルティエ親子だった。今日はシャルティエ伯爵らしき男性も居る。娘の名前は確かマチルダと言ったな、とアナは思い出していた。そのマチルダはジェレミーとアナを見るとすぐさま彼らの方へ近付いてきた。


「ジェレミーさま、こんばんは。ご婚約おめでとうございます」


「ああ」


「ジェレミーさまがもうすぐ結婚されるなんて、初めて聞いた時にはびっくりいたしましたわ」


 無邪気な笑顔で話しかけてくるが、アナのことは完全に無視している。


「こちらマチルダ・シャルティエ嬢だ」


「ええ。マチルダさまとは騎士道大会で一度お会いしておりますわ。アナ・ボルデュックでございます」


「あら、そうでしたかしら?」


 ジェレミーには分からないだろうが、敵意むき出しである。前回アナはあまりに粗末な身なりだったから覚えてないとでも言いたいのだろうか。


「ジェレミーさま、父と母もご挨拶したがっておりますのよ。どうぞこちらへ」


 マチルダは彼の腕にしがみつくようにして連れて行った。アナは彼の隣に居てもジェレミーが手や腕を差し出さない限り、彼に触れるのは遠慮しているというのに。それに実際彼もアナと手をつないだり、腕を組んだりするのは極力したくないみたいだった。無理もない。


 アナはこっそり分からないようにため息をついた。気を取り直して婚約者の務めを果たすことに専念しようと思った。


 アナとジェレミーがマチルダの両親、シャルティエ伯爵夫妻に挨拶をした後は、マチルダはジェレミーに庭園を案内して欲しいとせがみ、またまた彼の腕にしがみついて二人でアナを置いて行ってしまった。


 仕方なく、アナも伯父一家と弟を探すために移動した。アナは伯父たちの姿をバルコニーで見かけたので、飲み物をもらってからと給仕の所へ向かった。


 アナがグラスを受け取ろうとしていた時、後ろからマチルダに声を掛けられた。


「アルノーおじさまとお客さまが東屋にいらっしゃって、赤葡萄酒をご所望なの。貴女、持って行って下さらない? 私、いつもよりかかとの高い靴で歩きにくいのよ」


 どうしてアナにそれを頼むのか少々不思議だったが、快く引き受けた。


「ええ、分かりました」


 そしてアナは赤葡萄酒のグラスを二杯持って庭の奥へ向かった。


 ルクレール家の庭園は見事な生垣で区切られている。アナの背丈よりもやや高いその生垣の反対側に彼女が回った時、歩きづらいはずのマチルダが追いかけてきた。


「アルノーおじさまたち、たった今広間の方へいらっしゃったの。やっぱり私が持って行きますわ」


 そしてアナの手からグラスを奪い取ったかと思うと、突然一杯目のグラスをアナの頭の上から、二杯目はスカートにひっかけたのである。


「あーら、ごめんなさい。手が滑ってしまったわ。オホホ」


 彼女は空になったグラスを地面に放り出し、意地悪な笑みをアナに向けると屋敷の方へ去って行った。


 あまりの事に驚いたアナは呆然と自分のドレスを見ていた。淡いクリーム色のドレスのスカートも身頃も赤い染みで全て汚れてしまった。ここから屋敷に戻るには庭に居る大勢の客の前を通らなければならない。アナは自分に向けられた嫌悪の感情に恐怖を覚えた。


 涙が出そうになったのは目にみる葡萄酒のせいではない。この姿を人に見られるわけにはいかない。ジェレミーはアナに失望するだろう。優しいアルノーやテレーズの晩餐会を台無しにしてしまう。アナは涙をこらえて考えた。




 次の瞬間、彼女は自分に与えられたルクレール家の一室に居た。瞬間移動である。


 髪の毛を結いなおす時間もないので、手拭いで美しくまとめてもらった髪を拭いた。まだ少し濡れていてべたつくが大丈夫だ。顔と首回りも拭いた。そこで鏡の中の惨めな自分の姿を見た。


「テレーズさま、申し訳ありません」


 こんな色のドレスは初めてで、ついさっきまでアナは華やいだ気持ちだった。ジェレミーはいくらアナが着飾っていようが気にも留めないし、今日彼女がどんなドレスを着ていたかも覚えてないだろうから着替えても大丈夫だろう。


 しかし、着替えもない状態だった。こんなことなら今まで仕立ててもらった美しいドレスをゴダン家から持って来ておけば良かったとアナは後悔した。


 瞬間移動を立て続けに使ったことはなく、ゴダン家に行ってドレスを持って舞い戻って来る魔力があるか自信がなかった。


 ドレスを着替えるのにも時間がかかる。晩餐に遅れるわけにもいかないし、この危機をどう切り抜けようか、と考えを色々と巡らせているうちにアナの中には怒りがふつふつと湧いてきた。



***ひとこと***

ニッキーに続きアナもお酒をかけられてしまいました。酒難の相がありありと出ています。

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