第二十二条 侯爵位

 学院の試験から数日後、アナはルクレール家の夕食によばれた。その食事の席でアルノーが重大発表を行った。


「そろそろ侯爵位をジェレミーに譲ろうと思っているのだよ。そして私たちはいずれ領地の屋敷に引っ込むよ。ジェレミーもやっと婚約したことだし」


「しょうがないですね。先延ばしにしていてもいずれは私に回って来るのですから」


「私もお前に丸投げするわけじゃなくて、しばらく手助けは惜しまないよ」


「アナは秋から学院に入るし、二人とも心機一転新しい未来に踏み出すのね……そうだわ! 貴方たち、この際アナの入学前に結婚してしまいなさいよ」


「は?」


「えっ?」


「そうだな、それは名案だよ。アナも在学中に姓を変えなくて済むじゃないか」


「アナももう十代の娘でもないし、ジェレミーだってそう若くないのですから、さっさと式挙げましょうよ。何も待つ必要などないでしょう?」


 アナは焦った。何と言っていいのか分からない。


『ですけど、私たちもう少し婚約期間を楽しみたいのです……』


 このような苦し紛れの時間稼ぎをしてみようかと逡巡していたアナが驚いたことに、そこでジェレミーが素っ気なく言った。


「私達は構いませんよ。爵位と同じで先延ばしにしてもしょうがないですからね」


(えっ、ジェレミーさま? どうして?)


 アナは彼の気持ちが分からなかった。いずれは別れることになるだろうから、今すぐ結婚しなくても、婚約だけで引き延ばせばいいものなのに。


 婚約破棄と離縁では、手続きの煩わしさも数段違う。いくらアナ側の落ち度が原因ということで離縁しても、ジェレミーやルクレール家の評判も無傷では済まないかもしれない。


 しかし、アナは考えた。ジェレミーがそれで良いならアナは結婚することに何の異議もない。彼女は形だけの妻として精一杯彼のことを支えていくだけだ。そもそもジェレミーが彼女と契約したのも周りを黙らせる為なのだ。結婚してジェレミーがさらに心穏やかに過ごせるのならそれもいいだろう。


「そうと決まれば式の日取りを決めて、それから、ええっと、色々忙しくなりますわね。ああ楽しみだわ。しばらくは領地へ引っ込めませんわね、アルノー」


 そしてアナはテレーズがはしゃいで式の準備について話しているのをぼんやり聞いていた。ジェレミーが興味のない話題には口をつぐんでしまうのはいつものことだったが、何かもの思いにふけっているようだった。


 アナが秋の入学前に結婚してしまうと、ニッキーがイザベルの所で働けなくなるのは決定だった。他にもっと大事なことを考えないといけないというのに、ニッキーとしてジェレミーに会うことが出来なくなる……という思いにアナは押しつぶされていた。


「近々、親しい方々を招いて晩餐会を開きましょう。少し遅めの婚約披露ということでね。アナはまたドレスが要りますね。今度は淡い色のドレスなんてどうかしら? クリーム色も良く似合うと思うわよ」


「あ、はい。いいですね」


「また仕立屋に行きましょうか。我が家に呼んでもいいわね。婚礼衣装も選ばないといけませんしね! アナの伯母さまにもお声を掛けましょうか? エヴァさまには女の子が居ないからきっと衣装選びを楽しんでいただけるわね!」


「母上、少し落ち着いてください」


「これが落ち着いて居られますか、ジェレミー。ドレス作りは女性にとって一大事です!」


 当の本人二人の盛り下がり様とは反対にテレーズとアルノーは張り切っているようだった。婚約披露の晩餐会に、婚姻の儀の準備に、と特にテレーズは大いに燃えている。




 晩餐会のドレスを作るために後日侯爵家に呼ばれたアナは、そこでビアンカに再会した。彼女は結婚してからも、養父母のアルノーとテレーズに時々顔を見せる為に侯爵家を訪れている。


「アナさん、ご結婚の日取りが決まったのですって? それに念願の学院へも入学するとお聞きしました。侯爵夫人として、魔術師としての将来が待っているのね。二重におめでとうございます」


 ビアンカとアナに軽く抱擁し両頬にキスを交わした時、ビアンカが少しいぶかしむような顔をした。


「ありがとうございます、ビアンカさま。あの、どうかされましたか?」


「え? いえ……何でもありません」


 何でもないことはないだろう、アナは少々心配になった。そして後でお茶を飲んでいる時にテレーズが席を外し、二人きりになるとビアンカにためらいがちに聞かれた。


「アナさん、ごめんなさいね。あまりこんなことは聞きたくないのですけれど、ジェレミーさまと婚約して、その、彼を慕っている女性たちからやっかまれたり意地悪されたりはありませんか?」


「ビアンカさまはクロードさまと婚約、結婚される時にそんな事がおありだったのですか?」


「ええ。婚約中は特にね。色々言われたわ。だから魔術塔の外を一人で歩くのを主人に禁止されてしまって。正直なところ、少し窮屈で面倒でした」


(私も窮屈に思う程ジェレミーさまに束縛されてみたいわ。少しでもそんな風に心配してもらえるだけで嬉しいのに)


「まあ。私は今のところは何も。明らかに悪意に満ちた視線を感じたり、陰で噂されたりということはありますが」


「そうなの。くれぐれも気を付けてね……」


 ビアンカは不安になり過ぎだともアナは思ったが、わざわざ忠告してくれるので軽く聞き流してはいけないような気がする。ビアンカは彼女の特殊な魔力で人の気持ちや未来が時々見えるらしいと聞いていた。


 確かに先日フロレンスと騎士団の稽古場に行った時の女性たちの反応は少々怖いものがあった。


「はい、分かりました。十分気を付けます。ルクレールさまもとても女性に人気がおありですから」


 ただの杞憂ではないのだろう。でも何をどう気を付ければ良いのか、アナにはあまり良く分からなかった。かと言って、ジェレミーに相談するわけにもいかないだろう。貴方が女性に人気があるせいで私に危害が及ぶかもしれません、どうしましょう、などと言えるはずがない。



***ひとこと***

サンレオナール王国のど自慢大会開催中!

「次は十八番、ヘノヘノモヘコさん『 結婚するって本当ですか』。憧れの人への未練を断ち切りるためにモヘコさんが切なく歌います。さあどうぞー!」


モヘコさん、ジェレミーの元カノなどではなく、ただ大勢いるファンの一人です。それにしてもアナは白いエプロン良く似合いそうです。

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