第十九条 王妃

 人の口に戸は立てられぬ、というのは本当であった。あのジェレミー・ルクレールが婚約したという噂は瞬く間に広まっていった。そしてアナはサヴァン家の晩餐会の後、王妃のお茶会へ呼ばれた。今日王妃さまの所へ伺います、とジェレミーには一応報告しておいた。


 先日闘技場で会った時の印象と違わず、ミラ王妃はさばさばとした気性の女性だった。今は怪我で休職中のアメリも王妃の下では仕事がし易かったと言っていた。


「良く来て下さいました、アナ。色々とお話をお聞きしたかったのよ。フロレンス、こちらアナ・ボルデュック侯爵令嬢よ」


 王妃の居間には先客が居た。


「アナ、妹のフロレンスよ。会うのは初めてなのよね」


「はい。お目にかかれて光栄です、ラングロワ侯爵夫人」


「私のお義姉さまになるのですから、どうぞフロレンスとお呼び下さい」


(上のお二人と違って、フロレンスさまはテレーズさまと雰囲気がそっくりだわ)


「さあ、アナ、聞かせてちょうだい。どうやってあの堅物ジェレミーを落としたのかを」


「え、その、それは……」


「お姉さま、そんなにスゴまれると怖いですわ。自白を迫る警護団員ではないのですから」


「その、私が酔っ払いに絡まれているところを、ルクレールさまに助けて頂いたのが切っ掛けなのです。ぶっきらぼうな口調なのに私のことを心配して下さっているのが分かって……」


 実際心配されていたのはニッキー少年の方だったが。


「へぇ、騎士なだけあって、そこは助けに入るのが普通よね。それでもあの子のことだからその後は『ほなサイナラ』でそれっきりになってしまいそうだけど」


「後日、お礼に伺いました。私の方がせめてもう一度だけでもお会いしたかったので。それから少しずつ、何と申しましょうか、ルクレールさまもほだされてきて……」


 アナは言い淀んだ。王妃の前で何を言おうか考えていたというのに、いざとなると口から出まかせが出てこない。嘘をつくのが大の苦手なアナだった。


「分かりますわ、何となく。お兄さまってあんな人だから、言い寄って来る女性には目もくれないでしょう。自分の美しさを分かっていて、その女らしさを武器にする方々は大の苦手みたいなのです。でもアナさんみたいに控え目で堅実な方なら、気を許せるのではなくって?」


 アナは、さすがにそれは言い過ぎだと思ったがフロレンスの助け舟には救われた。


「それにしてもこんなに早く婚約してしまうなんてねえ」


「ええ、ルクレールさまがさっさと婚約した方が、心穏やかに過ごせるとおっしゃって」


「なるほどね。まあ、あんな弟だけど、よろしくね。あの子、取り柄は見た目と剣の腕だけで、性格悪いし言葉遣いは下品で気は利かないし、人の弱みにはつけこむし、女性には冷たいし、実は変態だけど……あらやだ、長所が全然思い浮かばないわ」


「お姉さま、それは余りにもひどすぎますわ」


「じゃあフロレンス、あの子の長所を挙げてご覧なさいよ」


「そうですね……えっと……あっ、正義感が強くて頼りになるところでしょうか。私が初等科の頃良く男の子たちに意地悪されていたのですけど、いじめっ子たちをいつもやっつけてくれていました」


「ねえ、それって貴女がいじめられる度にクロードも一緒になって『そんな奴らは俺らがやっつけてやる。生まれてきたことを後悔させてやる、安心しろ』なんて喜び勇んでいたでしょ。私はむしろいじめっ子たちに同情していたわ」


「……」


 アナとフロレンスは何と言って良いか分からず、無言で目配せした。


「レベッカ、貴女なら何か思いつくでしょ、ジェレミーの良いところ」


 王妃は後ろに控えている侍女に聞いた。このレベッカはミラ王妃の乳姉妹で、幼い時からルクレール家で彼女に仕えていたのだ。


「えっ、私ですか? (何で私にふるかな! もう!)そうでございますね、執事のセバスチャンさまに見つからないように屋敷を抜け出す方法を教えて下さって、いつもお使いを頼まれていました」


「それのどこが長所なのよ。とうてい貴族のお坊ちゃまには相応しくない娯楽本やら、他所では言えないようないかがわしい怪しいものを買いに行かされていたのでしょう?」


「王妃さま、貴女がそれをおっしゃいますか……」


 レベッカはミラにも同様なお使いをしょっちゅう頼まれていたのだった。


「……ですから、私が申し上げたいことは、若旦那さまの世渡り上手で気前がいいところ? でしょうか?」


「どうしてそこ疑問形なのよ。まあとにかく、ジェレミーの奴もまあ……極悪人ではないわね」


(全然フォローになってないです、お姉さま……)


「ええ。ルクレールさまはいつもぶっきら棒で素っ気ないですけども、実はとてもお優しくて、私が困っている時には黙って手を差し伸べて下さる方です。それに、私の家族にも敬意を持って接してくださいます。彼のようなお方でしたら美しいご令嬢が選り取り見取りだというのに、わざわざ私を選んでくださるなんて、私はとても幸せですわ」


 アナはそう一息で言って頬を赤く染めた。これは嘘ではなく全て本当のことだ。三人の女性は大層驚いている。


「それは少々ほめ過ぎじゃない? でもとにかく貴女みたいな方が私の義理の妹になるのは嬉しいわ。ジェレミーは果報者ね」


 そこで王妃は立ち上がりアナの手を取って、彼女の両頬にキスをしたのでアナは感極まってしまった。その後王妃はウィンクしながらこうも続けた。


「横暴なあの子に振り回されるとか、何か困ったことがあったら私かレベッカにいつでも相談なさい。彼の弱みとか、色々ネタは尽きないから」


「あ、ありがとうございます」


 完全に楽しんでいる様子の王妃だった。




 その後アナとフロレンスが退室した後、王妃はレベッカにボソッと呟いた。


「レベッカ、私が思うにアナはいじめられ体質ね」


「はい?……何でございますか、それは」


「『ルクレールさま、私を思う存分いたぶって下さいませ』っていう顔しているわ」


「な、な、何をおっしゃいますか、王妃さま!」


「だから俺様のジェレミーと相性良さそうよね。先日あの子にも会ったけど、本人達はまだそれに気付いてなさそう」


「お二人の相性が良いだろうとは私も何となく分かりますが……」


「S極とM極みたいなものでね、お互い惹かれ合うのよー」


「それを言うならN極でございましょう……(要するにこれがおっしゃりたかったのね)」


 王妃はニヤニヤと笑い、レベッカはため息をついた。



***ひとこと***

王妃さまは相変わらずです。

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