婚約

第十六条 騎士道大会

 毎年恒例、春に行われる騎士道大会にゴダンの伯父夫婦とアナは観戦しに来ていた。


 実はテレーズとアルノー夫婦に一緒にとアナは誘われていた。しかし肝心のジェレミーに来て欲しいと言われてなかったので、伯父たちと行くことになっています、と丁重に断った。ジェレミーには来るな、とも言われていないからアナが伯父夫婦と観戦する分には構わないのだろう。


 だいたい大勢の観客が居るのだからアナが居ても彼には分からないだろうし、別に気にもされていないに違いない。ジェレミー目当ての女性ファンもわんさと押し掛けると思われた。




 当日アナは質素な紺色のドレスにジェレミーに贈られた天然石の首飾りをつけた。


 闘技場でテレーズとアルノー夫婦はすぐに見つかる。王族桟敷席のある側の最前列に二人座っていたのでアナが挨拶の為に立ち寄ったところ、夫妻は二人の女性と話しているところである。彼女は会話の邪魔はしない方が良いかと思って立ち止まったら、アルノーに気付かれて呼び止められた。


「アナ、丁度良かった。これからミラの所に少し顔を出そうかと思っているのだ。貴女も紹介しよう」


「えっ、王妃さまに、ですか?」


「ええ、そうよ。ミラは貴女に会いたくてうずうずしているのだから」


 そこでアナは二人の女性のいぶかしむような視線に晒された。


「アナ、こちらシャルティエ伯爵夫人とお嬢さんのマチルダさんよ。こちらはアナ・ボルデュック侯爵令嬢です」


 お互い挨拶を交わすが、アナは特に娘のマチルダの方から全身を睨みつけられるように吟味された。彼女はアナが憧れる目元のパッチリとした美人だ。


「シャルティエ家とは家族ぐるみでお付き合いさせてもらっているのよ」


 アナも侯爵令嬢でありながら自分の身なりが粗末なため、こんなあからさまな視線には慣れている。


『何故アンタみたいなのがルクレール家の皆さまと仲良くしているのよ!』


 マチルダはまるでそう言いたげである。


 マチルダはテレーズの前ではお淑やかな令嬢として振る舞っているようだが、アナに対して彼女の目は侮蔑の色を隠そうともしない。


 王妃に紹介されると分かっていたらもう少しましなドレスを着て来たのに、とアナは苦々しく思った。こんな事態になることは容易に想像できたのに、アナの不注意である。もっとも彼女が今持っている中で一番いいドレスでも大して見栄えはしないのだが。先日テレーズが注文してくれたものはどれもまだ出来上がっていない。しょうがない、と腹をくくるしかなかった。




 そしてシャルティエ母娘と別れ、アルノーとテレーズに連れられて王室桟敷席へ向かった。そこで国王一家にアナは紹介される。王国一番の高貴な方の前である。緊張するなという方が無理だろう。事前に知らされていなかったのがかえって良かったかもしれない。


 ミラ王妃は純粋にアナに会えて嬉しそうだった。


「今度お茶にお誘いするわね、アナ。あの堅物ジェレミーをどうやって落としたか詳しく話してもらうわよ」


「それは私も興味あるなあ。ある意味クロードの結婚より驚きが大きいよね」


 国王までがそんなことを言うものだからアナは恐縮してしまった。クロードとはミラとジェレミーの従兄、魔術院副総裁のジャン=クロード・テネーブル公爵のことである。


 今年六歳だという王太子殿下は利発な可愛らしい王子だった。


「叔父さまのおくさまになる人ですか? じゃあもちろんルクレールファンですよね。僕もです。今年こそは叔父さまにはゆうしょうしてほしいです!」


 ジェレミーを応援しているという彼は微笑ましかった。毎年ジェレミーはなんだかんだで優勝を逃しているらしい。




 その後、桟敷を失礼して伯父と伯母の所へ急いで戻ろうとした時である、アメリにばったり会った。以前の様に松葉杖をついているが今は慣れた足取りだった。王都銀行前で会ったアメリとは、彼女が南部に行ってしまってからもアナは時々手紙のやり取りをしていた。彼女がつい最近王都へ戻ってきてリュック・サヴァン中佐と婚約したという近況も聞いていた。


「アメリさん、お久しぶりです。お帰りなさいませ、そしておめでとうございます。以前よりずっとお元気そうになったし、お幸せそうですわ」


「アナさん、こちらこそご無沙汰していました。またお会いできて嬉しいわ」


「手紙にも少し書きましたように、あれからアメリさんのお口添えもあって色々なことが好転し始めました。今ちょっと人を待たせているので失礼いたしますね。お互い王都に居る今なら、またお会いできる機会もあると思いますし」


 サヴァン家の晩餐会に、アナもジェレミーの婚約者として行くことをアメリは知らないようである。ジェレミーが伝えてないのなら何も言わない方がいいだろう。




 そして伯父夫婦の隣に戻り、大会を観戦することにした。闘技場全体をすっぽりと覆う魔法防御壁が美しく張られているのが魔力を持つアナには良く見えていた。観客の安全のためであろう。


 ジェレミーは一回戦からどんどん勝ち進んで行く。改めてアナは彼に対する敬愛の念が膨らんでいくのを感じていた。


(ジェレミーさまがこんなにお強いなんて……私もたとえ見せかけの婚約者でも、彼に相応しい女性になりたいわ)


 その為にも早く領地を再建して、貴族学院の魔術科に編入したいアナだった。




 ジェレミーはついに決勝まで勝ち残った。従兄のフランシスは残念ながら三回戦で敗れてしまったので、伯父夫婦もそれ以降はアナと一緒にジェレミーを応援してくれていた。


 決勝戦の相手は去年の優勝者でアメリの婚約者、リュック・サヴァン中佐だった。リュックとジェレミーは何やら話しながら会場の真ん中に進み出て行った。


 リュックのことはニッキーも飲み屋で良く見かけていた。女性に対しては誰にでも愛想のよい彼はジェレミーよりもファンが多いかもしれない。


 決勝戦が始まるということで、会場は否が応でも盛り上がっていた。女性たちの甲高い声、男性の怒鳴り声に激励にと、とにかく声援がすごい。


 そこで決勝戦開始である。両者とも目にも止まらぬ速さで次々と攻撃を繰り出している。そして二人共一歩も譲らず、戦いは長引く。最後は疲れの見えてきたジェレミーにリュックが一撃を加え、決着がついた。


 両者、王室桟敷に向かって一礼する。そしてすぐに表彰台が設けられた。


(ああ、ジェレミーさまが負けてしまわれたわ……)




 優勝者のリュックは兜を取って桟敷の反対側の観客席へ歩いて行き、そこでアメリと話しているのがアナには見えた。リュックは何と手すりから少し乗り出していたアメリにキスをするものだから、周りは歓声と、女性ファンの悲痛な悲鳴と、冷やかしが入り混じったものになった。


 そこへジェレミーがキスを続けている二人に近寄り、リュックの頭をバシッとはたき、リュックは頭を押さえている。三人で言い合いをし、最後にジェレミーは立ち去り際アメリの耳元で何かを囁いた後、彼女が真っ赤になっていた。


 アナはふと自分がスカートを皴になるほどギュッと両手で掴んでいるのに気付いた。


『ジェレミーはアメリさんとテネーブル公爵夫妻の婚姻の儀で付添人を務めたのよ。それが切っ掛けで二人仲良くなって今度のサヴァン家のパーティーにも呼ばれたの』


 少し前にテレーズがそう教えてくれていた。


 アナはジェレミーと本当に仲の良いアメリに、見当外れな嫉妬を抱いた自分に戸惑っていた。伯父夫婦に動揺を悟られたくなかった。


「ルクレールさまはサヴァン中佐に負けたというのに何だかとても仲がよろしそうですわね」


 わざと明るい口調で言った。アメリはアナが王都に出てきて初めてできた大切な友人である。自分の浅ましさがつくづく嫌になってしまった。



***ひとこと***

前作「貴方の隣に立つために」第三十三話と第三十四話にあたる部分です。リュックがジェレミーの陽動作戦にも拘わらず決勝戦を制した1029年の騎士道大会でした。

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