第十五条 帰京

 王都へ帰る道中、アナはジェレミーに礼を述べた。


「ルクレールさま、今日は本当にありがとうございました。父があんなに嬉しそうなのは久しぶりですわ。それに、長々と父の話に付き合っていただいて。もう家の者は誰も父の芸術論など相手にしませんので」


「いや」


 ジェレミーは一言そう答えただけだったが、アナには彼の機嫌もそう悪くないというのが分かった。ボルデュックの屋敷に今朝来た時からそんな感じだった。まるでアナたちが慌てふためくのを面白がっているようにも見えた。


 アナは弟に言われてからずっと考えていたことをジェレミーに聞いてみることにした。


「ルクレールさま、一つお願いがございます。十分すぎる援助をして頂けたので、今年予定していた領地の整備だけでなく、来年度の計画の一部にまで着工できました。それで少し余裕まで出来ましたので……」


 アナは少しためらった。学院のことを言い出すのが恥ずかしかったのだ。でもジェレミーに頼まなければ何も始まらない。


「貴族学院の中途入学試験を受けて合格したら通いたいと思っているのです。私、領地の中等科を出ただけですので。よろしいでしょうか?」


「好きにすればいい。俺の許可は必要ないだろ」


「ありがとうございます。一応ルクレール家の名誉にも関わることかと思いましたから。21にもなって婚約者がまだ学院に通っているなどとは」


 アナは無意識にはにかんだ。


「嬉しい……これも全てルクレールさまのお陰です。あっ、でも試験に受からないことには……」


 ジェレミーはそのアナの笑顔を見てまたあの既視感を覚えた。しかしどうしてもアナに以前何処で会ったのか思い出せない。眉間にしわを寄せたジェレミーを見てアナは、はしゃぎ過ぎたと思い黙ることにした。




 それから王都に着くまでアナは本を読んで過ごした。時々向かいに座るジェレミーをこっそりと眺めもした。彼も新聞や読み物に目を通している。別に何が起こるわけでもないだろうが、こんなに長い間二人きりになるのは初めてのことだった。


(形だけの婚約者としての特権よね。馬車でこうして向かい合わせに座って時々お顔を拝見できて……)


 アナは自然と頬が緩んでくるのを感じていた。


(駄目よ、アナ。ニタニタしていたら。私は形式上の婚約者、私は空気、ジェレミーさまのお目には留まりません)


 その晩はルクレール家で夕食をよばれ、翌日テレーズと仕立屋に行くことになった。




 次の日テレーズに連れて行かれたのは、高級品を売る商店が並ぶ一角だった。何故かジェレミーまでついてきている。テレーズに言われて渋々といった感じである。


 馬車を下りたアナは仕立屋の隣の店先に並ぶ商品に目が行った。高級すぎる品物を扱っているわけでもなく、可愛らしい小物がたくさん陳列されていた。その中にアナはジョエルの作品を見つけたのだ。


(まあ、こんな立派なお店にまでも……)


 思わず足を止めたアナに気づいたテレーズに聞かれた。


「アナ、何か気に入ったアクセサリーでもあるの?」


「いえ、父の作品が置かれているのです。こんな素敵なお店に……あの、帰りに少し時間がありましたら寄ってもよろしいですか? お店の人に売れ具合など聞いてみたいのです」


「帰りと言わず、今お行きなさいな。別にドレスの仕立ては予約しているわけでもないのですから」


「では少しだけ、すぐに戻ってまいります」


 いそいそと店に入っていくアナの後姿を見ながらテレーズはジェレミーに言った。


「ジェレミー、貴方何そこで突っ立っているのです? 女性が装飾品店に入っていくと言うのに。婚約祝いにアナに指輪か何か買って差し上げなさい。どうせ貴方はそういうことに疎いし、何もしてあげてないのでしょう?」


「はあ」


 やる気なさげに答えたジェレミーにテレーズはたたみかける。


「そんなのだから貴方たちはいつまでもよそよそしくて……ほら、さっさと行く!」


「分かりましたよ……」


 店の主人が言うには、華美過ぎず、それでも個性的なジョエルの作品は意外と貴族にもうけているらしい。確かに好き嫌いは別れるだろうし、正式な場につけて行けるようなものではないが、気軽に普段使いとしてはいいかもしれない。


 アナはある首飾りが目に留まった。ハート形の天然石のもので、丁度真ん中で緩やかに色が変わっている。アナはそれを手に取って見た。


「この色はまるで……」


「それが気に入ったのか?」


 そこでいつの間にか店に入ってきていたジェレミーに後ろから声を掛けられる。


「あ、いいえ。お待たせしております。今参ります」


 アナが棚に戻そうとしたその首飾りをジェレミーはつかみ取った。


「店主、これを貰おう。いくらだ?」


 彼は支払いをしようとするのでアナは慌てた。


「ルクレールさま、それには及びません! 私、ただ見ていただけでございます」


「店の外見て見ろ、母上が窓に張り付いて監視しているだろ。アンタに何か買ってやれとけしかけられた。たまには仲の良いふりもしないと。それとも他の物がいいか?」


 アナはちらとテレーズを見た。彼女の何かを期待しているような視線が痛い。


「それではお言葉に甘えて、その首飾りを頂けますか? 実はデザインがとても気に入ったのです」


 ジェレミーが支払いをしている間、店主が聞いてきた。


「お包みしましょうか? それともすぐお付けになりますか?」


「今すぐ付けたいです。このドレスにも合いますし」


 アナはもう一度手にした首飾りをで、自分でつけた。


「ありがとうございます、ルクレールさま」


(ほら、こちら側がジェレミーさまの瞳の色で、反対側は私の瞳の色でしょう? アナは一生大事に致します)


 アナは微笑みながら心の中でそっと呟いた。


 店から出てきた二人は未だにぎこちない感じがしたが、テレーズはアナの嬉しそうな表情を見て満足したのだった。




 仕立屋でアナはドレスを数枚作ってもらうことになった。経済的な事情により社交界にもデビューしていないアナはテレーズに全て任せた。どの程度のドレスを着れば侯爵家の婚約者として恥ずかしくないのか、全く分からないと正直に言うしかなかったのだ。


 アナはドレスの代金の為に、少しお金を用意してきていたが、支払いは有無を言わさず全てテレーズがしてくれた。しかも昨日ジェレミーから衣装代兼小遣いとして借金とは別に小切手を無理矢理渡されていた。


 何もかもルクレール家に支払ってもらい、アナの侯爵令嬢としての信念も矜持も崩れ落ちていた。悔しいが今のボルデュック家の状態では逆立ちしてもドレスの一枚も買えないのが事実だ。


(これも領地復興の為、今は惨めでも辛抱の時だわ。私がつまらない意地を張っていてもどうにもならないのよね。それにルクレール家の恥になるような恰好は出来ないし……)


 晩餐会の為のドレスは濃い青色の生地をテレーズが選んでくれた。店でジェレミーは時々テレーズに意見を聞かれてもそっけなかった。


「悪くはないと思います」


「まずくないでしょう」


 彼の答えはいつも否定形だった。しかし、特にイライラしている様子でもなかった。



***ひとこと***

アナの好きな色は青で、ドレスもこの色が多いです。

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