第十四条 昼食
その時、領地の見回りに出ていたステファンと執事のピエールが戻ってきた。帰りに合流したルーシーも一緒だった。アナはルーシーをマリアの手伝いとして台所にやり、ステファンをジェレミーに紹介した。
「ルクレールさま、こちらステファン・ラプラントさまです。領地の再建を仕切って下さっています。色々と私たちが思いつかないような提案もして下さって、お世話になりっぱなしです」
「ステファンさん、こちらジェレミー・ルクレールさまです」
「初めまして。お会いできて光栄です。アナさんの婚約者の方ですね」
ステファンはジェレミーからの援助のことをアナから聞いて知っていた。そしてしばらくステファンが今朝の視察の様子を話すのをジェレミーとジョエルは聞いていた。
ジェレミーはふと、ボルデュック家の人々はどうやってこのステファン青年と知り合ったのだろうかと疑問に思った。
ラプラント伯爵領は王都からもここからも少し距離がある。昔からの知り合いのようでもないし、どうもボルデュック家との接点が見いだせない。ジェレミーが出資していることを分かっていて、領地のことなどを説明してくれているのだろう。
そこでマリアがやってきてアナに目配せをした。昼食の準備が出来たようである。
食事はステファンとルーシーも同席し、五人でとることになった。いつもはステファンと仲良くおしゃべりするルーシーも、ジェレミーに遠慮してか無言である。父親も作品の話でもなんでもいいから話題を提供して欲しいのに、先程から一言も発していない。
少々気まずい沈黙が流れそうになったところでアナは男性三人に葡萄酒をすすめた。ステファンが南方から取り寄せて土産として数本持ってきてくれたものである。滅多に飲めない貴重品であったが、ジェレミーが来ている今日は良い機会である。
ジェレミーがその葡萄酒の産地などをステファンに尋ねたことで会話が生まれ、アナはほっとした。ジョエルの機嫌が悪くないのはいいのだが余計なことを口走り始めた。
「やっぱりなあ、ルクレール様のおかげですよ。いつもはケチなアナが葡萄酒を開けてくれるとは。折角ステファンが持ってきてくれたのに全然飲ませてくれないのですから」
皆の手が一瞬止まった。アナは舌打ちどころか、父親の頭をはたいてやりたい衝動に駆られた。
そこでマリアがスープを運んできて五人は食事を始めた。ジェレミーとステファンは未だに葡萄酒の話をしている。
次にマリアが干し肉を少し
「おお、肉か、珍しいね、日曜の夜でもないのに。いつもは朝昼晩パンとスープだけなのに」
ジェレミー以外の全員が思ったことだが、誰も声に出して言う気はなかったというのにジョエルがその禁忌を破ってしまった。アナはどうにかして彼の口を塞いでやりたくなった。この肉だってジェレミーの援助がなければ手に入らなかったかもしれないのだ。
「今日はルクレールさまが持ってきてくださった、王都で有名なお店の焼き菓子まであるのですよ、お父さま」
アナは半分やけになっていた。
「ところでアナはもう婚約するというお相手なのに、どうして未だに苗字でお呼びしているのだね?」
「私自身あまりに早くこんないいお話がまとまって、お名前をお呼びするのにまだ慣れていないのです」
アナは恥じらうように笑って即答したものの、不自然ではなかったか気になった。何となくジェレミーに遠慮して名前で呼ぶのは馴れ馴れしすぎるかと思い、いつも心の中でだけ『ジェレミーさま』と呼んでいるのだった。
本人に名前で呼んでいいかと聞く勇気はとてもなかった。形だけの婚約者が気安く名前で呼ぶんじゃねえ、と拒絶されるのが怖かった。アナだっていつも彼には『アンタ』で、名前で呼ばれたことはない。
デザートが来る前にアナは立って、食後のコーヒーを淹れに台所へ行った。
「マリア、コーヒーとお茶は私が淹れます。私の分の焼き菓子は後でピエールと一緒に食べてね」
「そんな、お嬢さま」
「いいのよ、私はこれから王都に戻るのだからまたいくらでも食べられる機会はあります」
「そうでしょうか。でも、ありがたく頂きます。とても美味しそうですわ」
コーヒーとお茶を出してからアナは失礼させてもらった。
「皆さまごゆっくりどうぞ。私は少し台所を手伝ってから着替えて参ります」
ルーシーは焼き菓子のあまりの美味しさに感動していた。
「ルクレールさま、こんなお菓子初めて頂きました。頬が落ちそうになるってこのことを言うのですね! ありがとうございます!」
こんな笑顔が見られるならいくらでも頑張れる、とアナは思った。アナはそれから急いで台所の片づけと着替えを済ませ、階下を探したが父とジェレミーの姿が見えない。
マリアによると二人でアトリエに行ったらしい。アトリエと言っても離れの小さな一室である。反対側の部屋はステファンが使っている。
ジェレミーにあのガラクタの山を見せて何をしようというのだ、と思いアナもアトリエに急ぐ。彼女が扉を叩こうとしたところ、開いていた窓から話し声が聞こえてきた。
「……お世辞にも器量良しとも言えずあの程度ですが、私に似ずしっかり者で良く働き、いつも自分のことは後回しで、私がこんないい加減な父親ですから……」
ジョエルがジェレミーにそう言っていた。
「それにしてもいつまでも子供だと思っていたのに、いつの間に貴方様のような立派な婚約者を見つけて来て……ルクレール様、どうかあの子をよろしくお願い致します」
それを聞いたアナの手は止まった。ジェレミーは婚約や結婚に伴う親戚付き合いに既に嫌気がさしてないだろうか。でも父や家族にも契約のことは秘密なため、ジェレミーをあまり煩わすなとも言えない。
アナは結局扉を叩かず、母屋に戻ってジェレミーを待つことにした。
二人の出発前にジョエルは涙声になって別れを言った。
「今まで散々苦労させたからな、そろそろアナも娘らしく楽しんで欲しい。これも皆ルクレール様のお陰だなあ。彼と仲良く、幸せになりなさい」
アナはもらい泣きしそうになったと同時に心が少々痛んだ。
「お父さまもお元気でお過ごしください」
「ああ、新作をどんどん世に送り出さないとなあ」
何かもが良い方向に向かっていると思いたかった。
***ひとこと***
お茶目なアナパパ、時々空気の読めない発言をします。
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