第十三条 迎え

 アナが領地に戻ってきて三週間ほど経ったある日、ジェレミーから手紙が届いた。


 四月初めにサヴァン伯爵家での晩餐会に招待されているのでアナも出席しろとのことだった。母親のテレーズがそれに間に合うようにアナにドレスを仕立てたいからすぐに王都に帰って来い、迎えの馬車をやる、だそうだ。


 アナが手紙を受け取った時は、迎えが来るのがもう二日後に迫っていた。


 その当日の朝、午後に着くという迎えの為に荷物は既に作っていたアナは、屋敷の裏で侍女のマリアと共に洗濯に精を出していた。


 普段着のドレスの裾を腰回りにたくし上げ、膝上まで出して洗濯桶の中のシーツを足で踏んで洗っていた。マリアと二人ではしゃぎながらの作業は楽しかった。


「もう、お嬢さま、水を散らさないで下さいまし!」


「ごめんなさい……思いっきり踏んでしまったわ」


「ドレスまで濡れておしまいです、お嬢さま。それにお顔に泡が……」


「あら、本当だわ、うふふ」


 来訪者は屋敷の呼び鈴を鳴らしても誰も出てこない為、声がする裏まで回ってきていた。


「おい、この屋敷は執事も主も居ないのに、鍵も掛けず扉を開け放しておくのか?」


 アナはその声が誰のものか振り向かずとも分かり、硬直してしまった。こんな姿を見られてしまうとは最悪である。実際舌打ちなどしたことのないアナだったが、こういう場面でするものだろうと思った。そして心の中でこっそり舌打ちというものをしてみた。


 恐る恐るジェレミーの方を向き、しかし顔は上げられず、桶から出て裸足のまま芝の上に下りたアナはとりあえずお辞儀をした。そろそろとスカートの裾を下ろしながら挨拶をした。


「ル、ルクレールさま、お見苦しいところを……申し訳ありません」


 ジェレミーに膝上まで素足を見られてしまい、真っ赤になった。気にしているのは自分だけで、アナのガリガリにやせ細った足など見ても彼は何とも思ってないと言い聞かせた。


 一方ジェレミーはアナが惜しげもなく白いほっそりした足を、侍女とは言え他人に晒しているのが何故か分からないが不快だった。


「父はアトリエに、我が家の執事は領地の畑に出向いておりまして、大変失礼いたしました。長い道中お疲れでしょう。今屋敷にご案内致します」


「マリア、お茶をお願いね。それからお父さまを呼んできてくれる? ルクレールさまがいらっしゃったと伝えてね」


「はい、お嬢さま」


 そして小さい声でジェレミーに聞かれないように付け加えた。


「あまり汚いなりだったら着替えさせて、お願い!」


「分かっておりますよ、お嬢さま」


「ルクレールさま、こちらへどうぞ」


「お嬢さま!」


 マリアはアナが脱ぎ捨てていた靴を指差した。彼女は再び心の中で舌打ちした。


(どうしてご本人が……てっきり御者だけかと……しかも予定よりずっと早い時間に……)


 アナとて、久しぶりにジェレミーに会えて素直に嬉しかったが、実家の惨状に自分の洗濯女姿を見られるのは本意ではなかった。


 実はジェレミーはセバスチャンとテレーズに言われ、渋々とここまで来たのだった。


『お坊ちゃま、数週間ぶりに愛しい婚約者に会われるというのに馬車一台を遣わすだけとは何ですか! 薄情すぎます』


『そうですわよ、ジェレミー。休みを取ってお行きなさい。あちらのご家族にもご挨拶すべきでしょう?』


 そして、朝早くから馬車に乗せられてルクレールの屋敷を追い出されたので早く着きすぎてしまったのである。


 屋敷はただ広いだけで金目のものはほとんど売り払われてがらんとしている。ルクレール家の立派な屋敷とは大違いだ。アナは応接室と居間のどちらがより見られる状態だろうか、と悩んだ末、居間にジェレミーを通した。


「ルクレールさま、遠い所わざわざ来て下さってありがとうございます。お急ぎでしたら私はすぐに出発できます。そうでなければ是非父や家の者と昼食を召し上がって下さいませ」


 しかし、ジェレミーに出せるような食事が準備できるはずもなかった。


「今晩までに王都に着けばいい。昼食を頂けるとありがたい」


 アナは三度目の舌打ちを心の中でした。馬車の中で取る軽食ならまだ粗末なものでも誤魔化せるというのに……


 そこでジェレミーは手にしていた包みをアナに渡した。テレーズに言われてセバスチャンが買ってきたものである。世事に疎いアナでも知っている高級菓子店の焼き菓子だった。


「まあ、珍しいものをありがとうございます。昼食の後、皆でいただきましょう」


 そこへマリアがお茶を持ってきてくれた。


「お嬢さま、旦那さまもすぐにいらっしゃいます。それで……あの……」


 マリアもアナと同じく昼食の心配をしているようだった。


「分かりました、マリア」


 アナはマリアに少し待て、の合図を送る。そこで父のジョエルが入ってきた。


「ルクレールさま、父でございます」


「本日はわざわざ王都から娘を迎えにいらして下さり、ありがとうございます。初めてお目にかかります。ジョエル・ボルデュックにございます」


 父は相変わらずのボサボサ頭だったが、とりあえず絵具の染みや金属片まみれの作業着ではなく一応小ぎれいなシャツとズボン姿に着替えていた。


 アナはほっとした。小難しいところのある父が、清潔な服を着て常識的な挨拶をしている。仕事の邪魔をされたというのに何故か機嫌も良さそうである。いつもならアトリエにこもっている時に呼び出すとつむじを曲げてしまうジョエルだった。


「お父さま、ルクレールさまと少しお話していて下さいますか? 私は厨房の様子を見てまいります」


「ルクレールさま、少し失礼いたします」


 アナは居間を出て、台所へ急いだ。


「マリア、お客さまのお昼の準備をしないといけません」


「どうしましょう、お嬢さま」

 

「昨日の残りのスープ、人数分あるかしら? クリームを少々足しましょう」


 マリアはスープ鍋を確認している。


「鶏をしめて調理する時間はないから、しょうがないわ、今度の日曜日のために作った燻製肉を出しましょう。あとはサラダとチーズ、パンね。ルクレールさまが持ってきてくださったこのお菓子をデザートにしてね」


「はい、お嬢さま」


「私はこのままお客さまを父と二人だけにしておくわけにはいかないから居間に戻りますけど、一人で大丈夫?」


「何とかやってみます」


「ルーシーが帰ってきたら手伝ってもらいましょう」


 そして居間へと急ぐ。ジェレミーが普段アナに対する時のような不遜な態度でジョエルにも接したとすると父のことだ、気を悪くして何か失礼をしていないか心配だった。父も自尊心だけは高いのだ。


 居間では何やら自分の作品について熱く語っている父に、ジェレミーは相槌を打っていた。ジェレミーはそんな話は退屈だろうがおくびにも出していない。父は調子に乗って後でアトリエや作品を見せるなどと言っている。もうなるようになれだ。



***ひとこと***

ジェレミーさまの突撃お宅訪問! しかも昼食を出せとは! アナ、ピンチです。

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