第十二条 領地

 王都はほぼ雪も解け、もうすぐ春を迎えようとしていた。


 アナは事前に父親に手紙で事情を説明しておいたため、送った書類はすぐに署名されて返ってきた。そしてジェレミーが婚姻許可を申請してくれ、許可が下りれば婚約成立ということになる。


 ジェレミーに貸してもらった資金を有効に運用する為に、アナはボルデュック領にしばらく帰省することにした。しかし領地の運営に詳しい専門家を雇った方が、素人が闇雲に貴重な資金に手を付けるよりは良いように思われた。文官のアントワーヌに誰か知らないかと聞いてみる。


「私の遠い親戚にあたる者に適任者がおります。伯爵家の次男で、実家の手助けもしているのですね。聞いてみます」


「実は私この度婚約することになりました。それで、婚約者の方からたくさんの援助を頂いて、当面の資金繰りの目途が立ったのです。その方にも報酬をお支払いできます」


「それはおめでとうございます。アナさん、お幸せですか?」


「え? あ、ええ、もちろんです。ありがとうございます。近日中に正式に発表する予定ですので、その時に改めてご報告いたしますね」


 アントワーヌにはどう見てもアナは婚約が決まった娘のようには見えなかった。自分の結婚よりも領地の再建の方がよっぽど重要課題なのか、それにしてもと彼は不審に思わずにいられなかった。


 アナはそれからすぐアントワーヌからの連絡を受けた。ステファン・ラプラントという青年がボルデュック領の立て直しを手伝ってくれる、とのことだった。


 ジェレミーには、一か月ほど領地に戻りますが、いつでも婚約者として自分が必要なら駆けつけるので使いを下さいと文を書いた。


 ニッキーがイザベルに田舎の実家にしばらく帰りたいと正直に相談すると、飲み屋の仕事はその間休ませてもらえることになった。




 アナがボルデュック領に着くとほぼ同時に、ステファン青年もはるばる西方の彼の領地から到着した。彼が誠実で頼りになる人物だということは、アナは彼を一目見た時から分かった。時々ラプラント領に戻ることもあるが、当分はボルデュックの屋敷に滞在して面倒を見てくれることになり、しかも破格の報酬でいいと言う。


 そしてステファンは領地に着いた翌日から精力的にあちこち見て回り、色々と改善点等の提案をしてくれた。


 今まで資金不足で出来なかった用水路の整備、井戸の掘削、新しい農具の買い足し等である。ありがたいことにジェレミーが援助金を上乗せしてくれたお陰で来年度に持ち越す予定だった事項まで手を付けることが可能だった。



 久しぶりに会った父親のジョエルは、アナが思っていたよりも小物や装飾品の制作に力を入れていた。働いた分だけ収入になるし、新しいデザインを考える楽しみも見つけたらしい。ジョエルも最近は少し領地の様子も気になるようでもあった。


 しかし執事のピエールからは全然当てにされていない。


「旦那さまは領地経営の才能は全くありませんので口出し無用です。より良い作品をお作りになることだけに専念なさって下さい」


 妹のルーシーも境遇ゆえか、もともと大人びていたが、しばらく見ないうちに益々しっかり者になっている。彼女は領地の中等科に通いながら侍女のマリアを手伝っている。アナと違い母親の記憶がない彼女は、ボルデュック家が裕福だった頃も知らず、貧乏貴族として育った。すらっと背の高いルーシーは実年齢よりもずっと大人びて見えるし、実際精神的にもませている。


 三月半ばになるとステファンは王都へ向かった。ジョエルの作品を卸すためである。帰りには弟のテオドールも一緒に連れて来てくれて、今年の豊穣を祈る春祭りは家族揃って楽しい時が過ごせた。


「アナが嫁ぐ日が来るとはなあ。お母さまが生きていたらさぞ喜んだだろうに」


 などと父親がしみじみと言うものだからアナは胸がチクリと痛んだ。天国の母親はアナがしていることを空の上から全て見てどう思っているだろうか……




 数日ボルデュック領に滞在した後、王都に帰るテオドールはアナに提案をした。


「姉上、ルクレール様からの援助で領地の心配をさほどしなくても良くなりましたから、今からでも姉上も貴族学院に進んだらどうですか? 僕たちの為に諦めた道でしょう?」


「テオ、私のことはいいのですよ。次に学院に行くとしたらルーシーよ」


 ところが、肝心のルーシーに聞くとこのまま領地に居たいと言うのだ。


「お姉さま、私は成績も中の上くらいで魔力もないですし、我が家に余裕が出来たならお姉さまが是非学院にお進み下さい。それにお姉さまは婚約されてずっと王都に住むことになるではありませんか」


「ルーシー、別に遠慮はしなくていいのに」


「お姉さま、私今は領地を離れたくないのです」


「そう……」


「ルーシー、もしかしてお前こっちに好きな男でもいるのか? いやあ最近の子はませているなぁ」


「えっ、そんなのじゃありません、お兄さま!」


「いつまでも子供だと思っていたルーシーがねぇ……」


「ですから違いますってば! もうお姉さままで!」


 アナは今まで領地のことばかり考えてきたが、確かにこれからはステファンとピエールの二人に任せてもいいだろう。それにいつまでもボルデュック領に居るわけにもいかない。王都でジェレミーの婚約者としての務めがある。アナは一度少しでも自分が学院へ行ける、という道が開けてきたと思うとそれが頭から離れなくなってしまった。


 テオはそんな姉のことを良く分かっているようだった。


「姉上、学院の中途入学試験を受けてみてはどうですか? 受けるだけなら別に失うものは何もありませんよ」


「そうね……ルクレールさまにお伺いを立ててみるわ」


「別に彼の許可は必要ないでしょう?」


「そういう訳にもいきません」


 テオドールは突然降って湧いたアナの縁談に疑問を持っていた。いくら高額の援助をして貰っているとは言え、アナは婚約者に対して遠慮ばかりしているようにしか見えない。


 大体伯父の屋敷へ度々馬車の送り迎えに来るのは御者だけで、テオドールが知る限りジェレミー本人が来たことなど一度もない。伯父夫婦は純粋に良縁を喜んで一度彼を食事に招待したがっている。しかしアナは、いつも彼は忙しくされているからと言葉を濁してしまい、そのままうやむやになっているのだ。


「姉上、婚約が決まってもそうお幸せそうには見えませんね」


 テオドールは一度アナに尋ねたところ、彼女は間髪入れずにっこり笑って答えた。


「何を言いますか、テオは。幸せに決まっているではありませんか」


 テオには逆にそれがわざとらしく聞こえたのだった。



***ひとこと***

ボルデュック一家勢揃いです。アナの七つ下の妹ルーシーはお姉さんよりもよっぽどおませさんなのです。

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