第九条 売込み

 妻の座に収まるための値段とは、あまりに単刀直入な質問である。でも、回りくどい言い方をしていてもしょうがない。この方が始め易いわ、とアナは気を取り直した。これは取引であって、感情は挟まずあくまでも事務的に話を進めればいい。


「はい、とりあえずこの位を初年度は望んでおります。昨年秋の収穫が残念ながらほぼ全滅でした。領地の民への援助、用水路の整備、農具、その他の必要経費が主な使い道となります」


 アナは手探りで自作した計画書をジェレミーに見せた。


「今年の秋の収穫が予定通りでしたら、その収入の二割を今までの借金返済に、五割を来季の必要経費、残りで果樹園の整備拡大、ルクレールさまへの返済等に充てます」


「もし昨年と同じように収穫が得られなかったら?」


「もう一度同じ額を援助していただけませんか? 次は経営の専門家を雇い、領地全体を見渡し改良点を挙げてもらいます。小麦の収穫だけに頼らず、多角的に自然災害により全滅しない体制を築いていくのが目標です」


「へぇ。で、アンタはこの大金に見合うだけの働きが、名前だけの次期侯爵夫人としてできると本気で思ってんの?」


「余りにも私が受け取る物の方が多すぎて、ルクレールさま側の利が少ないのは承知で無理をお願いしております」


 ここでひるんではいけない、とアナは自分にはっぱをかけた。彼の言い分はもっともだ。


「ルクレールさまが周囲の雑音に煩わされることのない様、形ばかりの婚約者又は配偶者としての務めは怠りません。貴方さまに個人的に関わらず、お仕事も私生活もお邪魔しないことを約束いたします」


「俺の方はさ、今すぐ婚約、結婚しなくてもいいんだよ。別に相手がアンタである必要もないしさ」


「はい、それはもちろん理解しております。それでも、ルクレールさまがこの条件で承諾して下さるなら正式に契約の書類を作成して、いつでもそちら側から契約破棄、書き換え可能ということに致します」


「だいたいな、アンタだってこんな面倒くさいことしなくても、どっかの金持ちと普通に結婚すればいいだけだろ」


「私は少女時代から今まで、領地の切り盛りしかしてきておりません。ですから男性とお付き合いしたこともございません。経済的な理由で社交界にも全く縁がありません」


 真実を述べたまでであるが、自分は何てつまらない女なのだろうと思った。それにこの容姿である。地は同じでもニッキーの方が何故だかよっぽど可愛い。


「気付いたらもうすぐ21になろうとしています。これからどなたかに出会って、婚約、結婚という普通の手順を踏むと時間がかかりすぎますから。年頃の今までにそんなお話を頂くこともなかったのに、これから機会が訪れるとは思えませんし」


「で、契約結婚なんてのを思いついたと。なんで俺なの?」


「貴方さまが女嫌いで有名と聞きました。書類上の妻が居ればよろしいかと思いまして」


 憧れの人の前でこんなことは言いたくなかったが、アナは無表情を装って続けた。


「もし将来、侯爵家の跡継ぎが必要とあれば、私でよろしければ健康には問題ありませんのでお産みできます。自然な方法でも人工的に施術してもどちらでも」


「何、その人工的にヤるってのは?」


「とある医学書で見たのですが、採取した子種を筒の様な器でその、女性の体に挿入するのです」


「ハ、ハハハッ。アンタ真面目な顔して何言ってんの?」


 こんな形で彼の笑い顔が見られるとは、不本意極まりなかった。アナは自分が赤面しているのは分かっていたが、冷静なふりをする。


「でも、最初から全て決めておかなくてもよろしいですよね。もし契約を交わしたとしてもルクレールさまがいつでもお好きなように書き換えればよいのですから」


「まあいいや。じゃあ契約書はアンタがまとめてくれるか? それとも第三者に書かせてそいつを証人にするか?」


 ジェレミーは了承してくれた。アナは自分の耳を疑った。


「私が書きましょう。第三者を介入させずとも良いかと思います。一週間いただけますか? 都合のよろしい日をお知らせください。持って参ります」


「来週か。また連絡する」


「お時間さいていただいて、ありがとうございました」


 そこで二人は応接室を出た。


「おい、セブ、お客様がお帰りだ」


 しかし先程の執事は食事中ということで代わりに年配の侍女が出てきた。アナは自分の外套などを受け取り、屋敷を後にした。お金の目途は立ちそうだったが、手放しで喜ぶには程遠い気持ちだった。




 アナが去ってしばらくしたルクレールの屋敷では、食事の終わった執事のセバスチャンがジェレミーを説教していた。


「お坊ちゃま、あのお嬢さまに夕食をご一緒にと勧めるわけでもなく、馬車で送って差し上げるでもなく、そのままお帰しになったのですか?」


「いや、だって……」


「私はお坊ちゃまをそんな冷酷非道な人間にお育てした覚えはございません! 夕刻から小一時間待たせた挙句、この冬の寒空にお一人放り出すとは! お嬢さまは寒さに凍えながら歩いて来られたのですよ」


「分かった、分かった、次回からは気を付ける」


 そこでセバスチャンの目はキラーンと光った。


(次回があるということですか? これはもしかして、もしかですか?!)


「お願い致します。このままでは私は情けなくてお嬢さまに合わせる顔がございません」




 次の週再びアナはルクレール家を訪れた。今回は何と迎えの馬車がゴダンの屋敷まで来てくれた。昨夜降った雪で路面の状態が悪かったので単純にありがたかった。


 その上今度は、ジェレミーは遅れることもなく先日の執事に応接室に通されたアナをそこで待っていた。


「セブ、下がっていいぞ」


 彼は執事に促すが、セバスチャンは退室せず


「お坊、いえ若旦那様、ほら!」


と何やら言っている。そこでアナが驚いたことに、ジェレミーが彼女に謝ったのだ。


「あ、ああ。先日は失礼しました。夕食も勧めず馬車で送りもせず、寒い中来てくださったというのに」


 かえってアナの方が恐縮してしまった。


「あの、お気になさらないでください。そんな謝っていただくほどのことではございません。でも正直申しますと今夜のお迎えの馬車は助かりました。ありがとうございます」


「いや。ボルデュック嬢、お飲み物は何がよろしいですか?」


 温厚そうに見える執事だが、ジェレミーに対しては厳しいようだった。彼の前だからか、ジェレミーの言葉遣いが改まっているのも微笑ましかった。



***ひとこと***

ルクレール家のスーパー執事、セバスチャン氏の本格登場です。この後も彼は要所要所で登場し、ジェレミーに喝を入れます。

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