第六条 金策

― 王国歴1028年 年末-1029年 年初


― サンレオナール王都



 アメリに王都銀行前で会った数日後、ペルティエ男爵家からの使いがアナの所へ来た。文官のアントワーヌ・ペルティエがアナの相談事を聞きましょう、ということだった。アメリが働きかけてくれたお陰である。彼女に王都銀行の担当者を紹介したのがアントワーヌらしい。


 ニッキーが働いている飲み屋には文官はあまり訪れないが、たまには見かける。もしかしたら既に飲み屋でニッキーと顔を合わせているかもしれない。ペルティエ男爵家を訪れると、通された居間に現れたのは意外にもアナより少し若い青年だった。ニッキーも店で彼を見かけたことはない。


 アナも普通に貴族学院に入れていれば彼くらいの歳で魔術師として仕事に就けていただろうか、とふと思った。


「アナ=ニコル・ボルデュックでございます。見ず知らずの私のためにお時間を取って下さってありがとうございます」


「アントワーヌ・ペルティエです。アントワーヌとお呼び下さい」


「では私のことも名前でお呼びになって下さい」


 アナは領地の惨状を説明するために、自分で作った書類をアントワーヌに見せた。


「一応、領地の広さ、小麦畑に果樹園の面積、ここ数年の収穫量等の具体的な数字も持って参りました」


「銀行も商売ですから利益が見込めないと融資はしてもらえません」


「はい、それは理解しております」


「でも、この資料はお借りしてもよろしいですか? 銀行の担当者と少し相談してみます」


「ありがとうございます」


「でもあまり期待しないでください。やはり状況からすると、かなり難しそうです」


「年末は王宮でのお仕事もお忙しいのでしょう? アントワーヌさんには何の得にもならないのに、申し訳ないです」


「いえ、何と申しましょうか、アメリさんとも些細なことで知り合ったのです。これも何かの縁だと思いますよ」


 アナとアメリの出会いもちょっとしたことが切っ掛けだった。今は遥か南部の地にいる彼女とは手紙のやり取りをするようになっていた。彼女もあまり事情は詳しく教えてくれないが、王都銀行前で会った時の思いつめたような表情からすると、ただの休暇で楽しみのために南部まで行ったのではないということは察していたアナだった。




 年も明けた王国歴1029年、アナは新年気分も何もなかった。姉の苦労を身近で見ている弟のテオドールは、出来るだけ早く学院を出て医師になりたいと勉学に益々励んでいる。


 父親の小物やアクセサリーは年末の市のある店に置いてもらい、割と売れた。大量生産できるものではないが、少しでも家計の足しにはなっている。


 そしてアントワーヌが新年早々ゴダン家にやって来て、あまりいい知らせはないことを教えてくれた。やはりまとまった額の融資はしてもらえないそうだった。沈むアナに対し、アントワーヌに会ったテオドールは興奮気味だった。


「姉上、ペルティエさんとどうしてお知り合いなのですか? 僕が一年目の時の有名人ですよ。飛び級してしかも首席で卒業されて、高級文官としてお勤めなのですからね」


「まあ……そこまで優秀な方とは存じませんでしたわ」


「ではテオドールさんは今二年目ですか。専門は何ですか?」


「はい。医学を学んでいます。ああ、僕も遅れを取り戻すためにももっと励まないと」


 テオドールはボルデュック家の経済状態のせいで、領地の初等科を出てすぐに貴族学院に進学出来ず、二年間領地の中等科に行っていたのである。人より遅れて貴族学院に編入してからは必死で周りに追いつこうと猛勉強しているのだ。


 アントワーヌはテオドールと貴族学院生として共通の話題に花を咲かせていたが、アナに彼もお忙しいのだからそのくらいにしておいたら、とたしなめられた。


「申し訳ありません、ペルティエさん。では失礼します」


 テオドールが去ってからアントワーヌはアナに尋ねた。


「アナさんは貴族学院へは行かれたのですか?」


「私、まだ家が裕福だった以前は屋敷で専属の教師がおりましたが、その後は中等科を領地の学校で終えただけなのです。私は無理でも、医師になりたいと言う弟だけは何とか貴族学院へ行かせております」


「貴女自身は貴族学院で何か学びたい分野があったのですか?」


「アントワーヌさんは聞き上手でいらっしゃるのね。そうですね、私結構魔力があって、状況が許せば魔術師になる勉強を貴族学院でしてみたかったのです。人に言ったのは久しぶりですわ」


「実は貴族学院は入学にも卒業にも年齢制限はないのです。ですから、ご領地の運営を軌道に乗せさえすれば、アナさんもいつでも進学できるのですよ」


「まあ、そんなこと考えてもみなかったです」


「そこで提案があるのです。少々言いにくいと申しますか……銀行から十分な資金を借りられないとなると、個人的に援助してもらうという方法をお考えにはなれませんか?」


「私がどなたか気前よく援助してくださる方に嫁ぐということですね」


「有り体に申しますとそうです。既に将来を誓い合った方とか婚約者がいらっしゃいますか? 想いを寄せている方とか?」


 咄嗟にジェレミーのことが思い浮かんでしまったのはしょうがない。


「い、いえ、全く。この私と結婚してまで慈善事業に乗り出してくれるような方ですか……と申しますか、私と結婚すること自体が慈善事業ですわね……」


 アナは領地の管理で忙しく十代の娘盛りも過ぎ、男性と交際したこともなく、貴族社会や社交界にも縁はなく、その上自分は美しくないと思い込んでいる。彼女には女としての自信というものが皆無だった。


 アントワーヌには何故アナがここまで自分を卑下するのか分からなかった。


(アナさんは十分可愛らしくて魅力的で、気立てもいいし、教養もあるのに……)


「そんなボルデュック家だけに都合のいい縁談なんて……銀行を説得するより難しそうですわ」


「そうでもないかもしれませんよ」



***ひとこと***

前作「隣」でアメリを手助けした、デキる男アントワーヌ君の登場です。今作での活躍も大いに期待されます。

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