第二条 飲み屋

 翌日は少し風があったものの、暑いことには変わりなかった。アナは早速仕事を探して街中を回った。食堂の給仕、店の売り子、何でも良かった。領地よりも王都は物価も高いが、その分賃金も高い。


 午後にはフランシスの言う飲み屋も訪ねてみた。おかみのイザベルは三十前後の何とも妖艶な女性だった。


「で、貴女みたいな若い女の子がうちに何のご用?」


「あの、騎士のフランシス・ゴダンさまからご紹介頂きました、ニコルと申します。こちらでピアニストを探していらっしゃるそうですね。私に出来ないかと……」


「ゴダンさまの遠い親戚にあたられるお嬢さま、ですか。うちは見ての通り、むくつけき男どもが集まる飲み屋なのよ。申し訳ないけど、貴女のような育ちの良い、うら若き乙女が勤められるような所ではないわ。貴女の身の安全のためよ」


「そうでございますか」


「それからね、身元を伏せておきたいなら言葉遣いや動作も変えないとね。貴女、着ている物はボロでもこの私の目は誤魔化せないわよ」


「……はい。お手数お掛け致しました……」


 やはりだめだったかとアナは少々落ち込んだ。しかし、店から出て考え直す。


(若い女性が駄目なのなら……)


 アナが向かったのは先ほどちらっと見かけたある商店である。長く美しい黒髪を肩辺りでバッサリと切り、それを売ったお金で薄茶色の短い髪のかつらを購入した。


 一旦伯父の屋敷に戻り、弟テオのシャツとズボンを着て胸に布を巻いた。青い目は茶色に、肌は少し日に焼けたように変幻魔術で変えた。髪型と髪の色を魔術で変えるのは、長時間もたせる自信がまだなかったので鬘を被る。


(私、短い茶髪に茶眼の方が可愛らしく見える? 男装した方が美人だなんてかなり落ち込むわ……)


 別に変幻したからと言って顔まで変えたわけではない。髪に目、肌の色が違うだけで受ける印象が変わるだけだった。アナは自分の少し細めの目はあまり好きではなかった。折角の濃い碧い目なのに、目が細いためにその美しさは目立たなかった。別に不美人ではなかったが、彼女は自身のことを器量は良くないと思い込んでいた。


 気を取り直して再びイザベルの店へ行く。出てきたイザベルはにやにや笑っていた。気にせずアナは聞く。


「ねえ、お姉さん、ピアノ弾きを探してるって本当? 僕じゃ駄目ですか?」


「ウフフ、貴女よほどお金が要りようなのね。先程のお嬢さま? 魔法が使えるのね。やっぱり貴族のご令嬢ですか」


「えっ、どうしてお分かりになったのですか? 私、目の色も元に戻っておりませんよね。肌の色は大丈夫だし……」


「歩き方と身振りが、話し方と姿を変えても同じ。まあ、いいわ。一曲弾いてごらんなさい」


「はいっ、ありがとうございます」


 アナは故郷を想う歌を弾いた。ボルデュックの領地に再び豊かな実りが訪れることを切に願いながら。


「およそこんな飲み屋に合うような曲じゃないけど……楽譜を貸してあげるからちょっと見ておきなさい。明日から来られる?」


「はい、大丈夫です!」


「あなたのこと、何て呼びましょうか? ニコルって女の子の名前じゃいくらなんでもね」


「ではニッキーとお呼びください」


「オッケー、ニッキー。よろしくね」


 今は亡き祖母と母がよく呼んでくれていた愛称がニッキーだった。今となってはもう誰もそう呼ぶ人はいない。


(まあこう言っちゃなんだけど……若い女の子と同じくらい美少年の方が身に危険が迫ることもあるのよねぇ、最近は。大丈夫かしら……)


 そう密かに思っていたイザベルだったが、あまりのニッキーの切羽詰まった様子に思わず雇うと言ってしまったのだった。


 それでも彼女も商売である。使えそうにない人間はいくらなんでも採用しない。見かけによらずニッキーは結構うまくやっていけるのではないか、というのがイザベルの直感だった。


 こうしてニッキーは、とりあえず最初は週三回飲み屋で働くことになった。夜の仕事なので伯父夫婦と弟は心配したが、帰りは男の子の姿で戻ってくるか、同僚やイザベルの馬車で送ってもらえるからと説得した。


 近い距離で良く知る場所ならアナも瞬間移動で難なく行き来できるので、こっそり魔法を使って帰ってもいいだろうと思っていた。


 無事ピアノ弾きの仕事に就いたニッキーだったが、最初は慣れるのにひと苦労だった。ピアノをただ弾いていれば良いのではなく、酔っ払い客を上手くあしらわないといけないし、客の言う曲を即興で弾かないといけないこともあった。


 それでも割のいい給金に加え、機嫌のいい裕福な客の落とす心付けはありがたかった。従兄のフランシスの言う通り、お客は騎士もいるし、貴族も多い。


 フランシスの騎士服は薄茶色だったが、稀に白い制服の近衛騎士も来店した。王都に来てから様々な職の制服を見たが、ニッキーの目には白い近衛の正装が一番格好良く映った。


 白地に金糸の飾りと金ボタンの制服に、時々短剣や長剣、乗馬用の鞭を持った近衛騎士はとても強そうなのに優雅で上品だった。強いだけでなく品があるのも当然である、近衛騎士になれるのは貴族学院の騎士科を優秀な成績で卒業し、実績を積んだ一部の人間だけなのだそうだ。


 イザベルに近衛の方々でもいつも白を召されているわけではない、と教えてもらった。彼らは特別な行事があった時だけ正装するらしい。正装していない普段は彼らもフランシスのような茶色や紺の騎士服だった。




 昼間アナの姿の時は、切った髪の一部で作った付け毛で短い髪を隠してまとめ髪に見えるようにしていた。昼間は繕い物に、子守りの仕事も入れた。とりあえずテオの学費はまかなえそうだった。あとは何とか、この秋の収穫量が少しでも多いことを祈るのみだった。



***ひとこと***

前作「貴方の隣に立つために」の第十四話でリュックが飲んだくれていた飲み屋です。


ニッキー、近衛の白い制服に萌え萌えです。



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