第三条 一目惚れ

 ニッキーは飲み屋の客をジロジロ観察しているわけでもなかったが、その人は余りにも目立つのですぐに目に留まった。短い金髪に切れ長の緑色の目をした若い近衛騎士だった。


 ほぅっとため息をつきながら彼をこっそりと見つめていたらそこで目が合ってしまう。その瞬間、改めて彼の美しさにハッとしたがすぐに目を伏せて会釈をした。


(今まで見た近衛の騎士の方々の中で一番白い正装が絵になるお方だこと。いかにも高位の貴族って容貌だわ。あまりにも煌びやかすぎて……住む世界が違うのよね。私はただの目の保養として楽しませて頂きましょう)


 ニッキーは領地の悲惨な状態にボルデュック家も実は高位の貴族だということを時々忘れてしまうのだ。それからのニッキーは彼の来店が楽しみになった。


 この仕事も好きだったが、彼の存在は一層の励みになった。もちろん失礼にあたるだろうからじっと眺めたりはしない。ちらちらと盗み見するだけである。冷たそうな無表情のことが多い彼だが、時々騎士仲間やイザベルにニヤッと笑ってみせるその顔もニッキーは好きだった。


 ある夜ニッキーは彼に初めて話しかけられた。その日は練習試合でもあったのか、彼の仲間の騎士たちが、誰が勝って、誰が惜しかったなどと話しているのを小耳に挟んでいた。そして随分と機嫌が良さそうな彼がピアノの傍にやって来て言ったのだ。


「リクエストいいか? 乾杯の歌」


「はい、もちろんでございます」


 ニッキーの弾くピアノのメロディーに合わせて騎士達は杯を高く上げ、大いに盛り上がった。


「王宮騎士団万歳!」


「サンレオナール王国に栄え有れ!」


 などと叫んでいる者も居た。ニッキーは続いて国歌を弾き、ますます騎士たちは盛り上がる。客が上機嫌の時は本当にこの仕事は楽しかった。


 近衛騎士の彼はひと段落するとまたニッキーのところまでやって来て、ピアノの上の缶の中に心付けの硬貨を入れてくれた。


「お陰で楽しめた。騒いで悪かったな」


 その硬貨が缶の底に落ちる音が余りにも重厚だったので、ニッキーが思わず中を覗くとなんと金貨だった。


「あの、お客さま、いくら何でもこれは心付けには多すぎます」


「まあいいからとっとけ」


「でも、これは私の一晩の給金よりも多くて……」


「俺がいいって言ってるんだ。素直に受け取れ」


「あ、ありがとうございます」


 戸惑いながら礼を言うニッキーに、彼はニヤッと笑うと仲間の騎士たちの所へ戻って行った。




 その夜、閉店してからニッキーは一応イザベルに報告しておいた。


「あの、イザベルさん。今日の近衛騎士の方々からたくさん心付けを頂いて……」


「ああ、皆さん楽しそうだったわね。有難く頂戴しておきなさい。わざわざ私に言わなくてもいいのに」


「でも、あまりにも大金ですから……」


「ニッキーは正直者ね」


 ニッキーはその彼の落とした金貨を握りしめた。


(あの美しいお方は、上着をお脱ぎになってシャツ一枚のお姿も、あの低い声でぶっきらぼうな話し方も素敵ね。上品で優雅というにはちょっと遠いけど、でも身のこなしなどは流石に高位の貴族だわ)


 それからというもの、その近衛の彼は来店の度にニッキーのピアノの所までやって来た。弾いて欲しい曲を言ったり、気前よく心付けをはずんでくれたり、演奏について鋭い指摘をされたりすることもあった。


 ニッキーはいつの間にか彼の来店を心待ちにするようになっていた。彼のことが自分の中でもう既に目の保養以上の存在になっていることに気付いてしまった。


(それでも、あの方にとって私はただのピアノ弾きの少年に過ぎないわよね)




 夜風が涼しくなってきて夏も終わり、貴族学院は新年度を迎えた。アナは学費も無事納められ、弟のテオドールは無事進級できた。


 しかしこの夏は王都も雨が少なく、ボルデュック領でも同じようにあまり雨は降らなかった。今年の収穫はやはり見込めそうになくなってきていた。


 最近は飲み屋でピアノを弾いていてもニッキーは領地のことばかりが気になっている。その心配が奏でる音楽にも知らず知らず現れているようだった。そんな心の曇りを吹っ切るような元気の出る明るいメロディーの曲ばかりを選んで弾くようにはしていた。


「最近お前何か元気なさそうだな。何かあったのか? ピアノの音色が全然冴えないぞ」


 あの美しい近衛騎士にもここまで言われるようになっていた。


「あ、ええ、申し訳ございません。ちょっと考え事をしておりました。ご心配には及びません」


 ニッキーは何と答えていいか分からず、適当に誤魔化すしかなかった。




 アナは途方に暮れていた。弟、妹、数少なくなってしまったが屋敷の使用人、領地の民、二十歳やそこらの娘の双肩にはあまりにも大きすぎる重荷だった。


 唯一の救いはアトリエに籠っている父親が少しは自覚したのか、販売できるような作品を作るようになったことだ。金属細工のちょっとした置物、領地の山で採れる石を加工した装身具などである。訳の分からない絵や彫刻よりも余程お金になる。


 早速領地から作品を送ってもらい、王都で売る手筈を整えることになった。


 そうこうしているうちに秋も深まり、領地ではほんの僅かな収穫に感謝祭を祝う雰囲気にはとうていなれない、という知らせが届いていた。アナは何軒かの銀行に融資を頼みに行ってみたがことごとく全滅だった。


 若い娘一人が、質素なドレスに身を包んで侯爵家の者だと言ってもまず取り合ってくれない。アナが見よう見まねで作成した領地の改善計画書を見てもらえる前にいつも追い帰されていた。


 確かに自分が銀行側であっても同じ対応だろう。それでもアナはなりふり構っていられなかった。



***ひとこと***

頑張るニッキーには仕事中美しい近衛騎士の方を愛でられるという御褒美くらいあってもいいですよね。アナも色々苦労しています。頼りないアナパパ、もっとしっかりして!

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