#190:王都営業所の新入りさん

 王都にも銀行がオープンされてから暫く経ち、夏の暑さが窺えるようになってきた頃には、まだ利用人口は少ないものの、その存在が住人たちに浸透しつつある。

 決済カードの便利さや防犯性はもちろんのこと、エドガーさんがいろいろと手を回していたはずだし、王都店の場合は最初から遠距離通信可能という点が大きいのだろうね。王都というだけはあって、行商人も非常に多く出入りしているのだから。


 王都から領都までは距離がある。そして、王都からケルシーの町はさらに離れている。そのどちらかで預金が引き出される事を考えたら硬貨の貯蓄が必要となるけれど、ケルシーの町や領都では大抵のお店で仮想マネー決済に対応している。

 このおかげで現金輸送という明らかにヤバいことは行わなくて済むわけだ。


 王都ではまだ広まっていない支払い方法だとしても、最も多くの利用者が見込めるのはここだから、硬貨が不足する不安はないだろう。銀行のお金が尽きるよりも先に、決済カードでの取り引きが普及されるというのがエドガーさんの見立てだった。


 この予測が外れても彼には本業の貯蓄がたんまりとあるし、最悪の場合は私が出れば解決だ。いつもの移動魔術とスタッシュを使えば安心安全の現金輸送が可能となる。銀行の運営責任者はエドガーさんだけれど、オーナーは私だからネコババする意味はないものね。

 なお、その他の問題はエドガーさん達に丸投げだ。そのために引き込んだのだから。


 ひとまず、銀行についてはこれで一区切り付いただろう。あのお爺ちゃんなら下手なことはしないと思うし、他領への進出計画なども立案されている。もしもを想定してエドガーさんの監視要員を王都中央店に送り込んでいるので、何も心配することはないと思う。


 それと、ヱビス商会の営業所を王都にも用意したよ。ここではリンコちゃんやカーゴちゃんの予約受付けをするつもり。他にも、楽器などを対応するというか、うちで扱っている商品はほぼすべてかな。


 今まではお母さんが請け負ってくれていたけれど、あまり間を空けないうちに営業したい。これからチョコレートの搬入があるので、ちょっと様子を見に行ってみよう。


「お母さん、お疲れさま。これ、今回の搬入分ね」

「このカード、楽でいいわね。ご近所さんもだいたい使えるようになったわ」

「やっぱり、貴族街のほうが取り入れるの早いなぁ」

「普段から扱う額が多いものね。それで、支払いが楽になった分、どこか変な感じがするってよく言われてるのよ」

「う~ん……お金に触らないから実感が湧かないのかも。カードの数字が増えるだけだもんね。ところで、事務の引き継ぎはうまくいった?」

「ええ。あの人すごいわね。一回言っただけで全部覚えてたわ」

「そりゃあ、ルーシーさんの知り合いに紹介してもらったからね。……高かったけど」

「……危ない人じゃないでしょうね?」


 ここまでして急いだのは、場所が貴族街のせいで入りづらいという声が届いていたからだ。調味用のソースや自転車など、ヱビス商会が展開する商品を買いたい人が増えてきたので必要だったのよ。

 ただし、安いと噂になってきた魔石は未対応だ。欲しいならケルシーの町まで来なさいな。そして、せっかくだから――という謎の理論で散財するのです。




 その営業所の場所は銀行の王都中央店から少し歩いた先にある。さすがに内通り沿いの借家だと賃料が高すぎて痛かった。先を見れば買ったほうが安いのに余裕がなかったのだ。商会の運営資金やら新商品開発の準備金を思えば出せそうになくてね。……まだ家のローンもあるし。


 お母さんのお店は順調だったので、次は営業所へ足を運んだ。

 貴族街でも外側にある王都支店からさほど離れていないから行き来は楽だよ。今は貴族街の門で少々足止めされるけれど、そのうち顔パスになる日が来るかもしれないね。


「おや、会長では御座いませんか。本日は如何なさいましたか?」

「お疲れさまです、ガスパーさん。仕事のついでに寄りました。首尾はどうですか?」

「あら、サラさま。もうご連絡が?」

「あれ、ルーシーさん? ……連絡とは?」


 真っ先に挨拶をしてきたガスパーさんは、ルーシーさんを経由してヱビス商会に雇い入れ、ここの所長に据えた元商人だ。この広い王都でも五本の指に入りそうな大商会主のパーヴァスさんから紹介された人で、その手腕は折り紙付きらしい。ルーシーさん曰く、まだ三十代半ばなのにスチュワートにも引けを取らない手練れなのだとか。


 私はそのパーヴァスさんと直接的な面識はないけれど、ルーシーさんの家とは繋がりがあるので信用してもいいだろう。あとは、こちらも指折りの大貴族であるオーティス侯爵家と仲が良いくらいかな。

 この家は穏健派に属しているから敵対する心配は不要だよ。資産運用がとてもうまいとかで、敏い感性を持っているらしいけれど。


 そして、繋ぎ役を終えたルーシーさんがなぜ来所していたのか理由を尋ねると、この営業所で働きたいのだそうだ。つい先日も相談に訪れていて、ガスパーさんからその話を知らされた私が面接に来たと勘違いしたみたい。


 貴族のお嬢様を平民の一商会が雇ってもよいのかわからないけれど、ここで追い返せるわけもないでしょう。親御さんは了承済みだとルーシーさんが言っているし、とりあえずは非常勤の事務員として迎えておいたよ。


 その後、あまりにも不自然だったのでルーシーさんと二人でこっそり話したら、パーヴァスさんの商会……というか、オーティス侯爵家に近付く戦略の一環みたい。ヱビス商会は勢いが半端ないようで、既に目を向けられているとか怖いことを言っていた。




 王都の営業所は問題がなかったので人員を集めるよう指示を与え、ケルシーの町に帰還した私もまた次の仕事に取り掛かっていると、珍しく困り顔のスチュワートから来客を告げられた。

 薄汚いと言えば失礼になりそうだけれど、それ以外に表現しようのない集団が事務所の前に座り込んでいるらしい。強く言えば一旦は引き下がるものの、何度も『代表者と話がしたい』と頼んでくるそうだ。


「王都の営業妨害がこっちにも来たってことですか?」

「いえ……どうなのでしょう。一貫してお嬢様と話がしたいとしか口にしておりません」

「呼べば兵士が来てくれると思いますけど、一応は聞くだけ聞きましょうか」

「予想が正しければ……で御座いますが、彼らの扱いを誤ると悪評に繋がりかねません。重々お気を付け下さい」


 おそらく、どこかの工房に勤めている職人さんが抗議に来たのだと思うけれど、今まで稼いでいた人たちが薄汚い恰好とは不可解だ。これがパフォーマンスの衣装なら悪手でしかない。商人を相手にして下手な三文芝居を演じようものなら、穴が開くほど足下を見られてしまうよ。


 事務所の応接間に彼らを招き入れるのはスチュワートが嫌がったので、私から外に出向いてみると、そこには想像以上に見窄らしい恰好をした老若男女が座っていた。

 その中で目敏く私を見つけた一人の男性が立ち上がり、切羽詰まった表情で言葉を紡ぐ。


「あ、あんたがここの代表か? 頼む、俺たちを助けてくれ」

「……どういうことですか?」


 話を聞いてみれば、帝国はさらに侵攻してきたようで、彼らはその争いに巻き込まれた難民なのだとか。そんな人たちがこんな南の僻地にまでやってきたみたい。

 そして『何でもいいから仕事をくれ』と言うこの集団。ここには一部しか来ていないものの総数は一〇〇名を超えており、これでも奴隷落ちや娼館行きなどで数を減らしていたらしい。道中で町の噂を聞いたのか、ここに来れば仕事に有り付けるとか何とかで必死に頼み込まれた。


 私としては人手が欲しいから嬉しくはあるけれど、余り物の無能を雇う気にはなれないよ。そうこうするうちに教団がやってきて、全員を修道院に連れて行こうとした。

 それはそれで良いかもしれない。しかし、みすみす働き手を逃すのも悔しい気がする。


「あの、うちで働きたい方は残ってください。そうでないなら修道院へ」

「おい、どうする?」

「修道院は嫌だなぁ……」

「飯が食えりゃどっちでもいいだろ」


 彼らの技術力次第だけれど、格安で作業を請け負うような工房を作るしかないかな。今なら開発中の平原側が空いているし、そちらに住んでもらおうか。この町は農業に関して弱いから、元農奴だとか言う人がいれば悪くない采配だと思う。


 そして、難民はこの一団だけでなく、また別の集団が来たので先客の集落へ案内しておいた。

 同じ町や村の出身ではないようだけれど、帝国軍は結構派手にやっているのかも。帝国にもいつか出店する予定だから調べは怠っていないのに、戦争という動きはなかったのよね。


 そんな彼らの世話を始めてすぐに、迷宮へ出発する前に定食を大量に買い込んでいたのは、彼らに与えていたのか――とか言われたよ。

 残念ながら、私はそんなに優しくありません。……いや、もしかしたら、飼い慣らすという意味だったのかも知れない。それならそれで期待に応えてあげようかな。私の懐が暖かくなるなら偽善でも何でもやってやりますよ。

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