#186:迷宮農場
好調な滑り出しを見せたかに思われたバスタクシーは、残念ながら車体が重かった。
これはお客さんだけではなく運転手も悩ませる事柄だけれど、なんとか気合いで乗り越えてもらうしかない。運行路を変えたら駅馬車業界と確実に衝突するし、あまり軽量化すると今度は安全面に不安が出てしまう。
しかし、何もせず手をこまねいていたらストライキでも起こされそうだ。仕方がないので、収入が増えるように錯覚する歩合制を導入した。孤児たちの行商と同じ理屈でね。
彼らはお金が欲しくて働いているのだから、お給料を上げることが最も堅実で手っ取り早い解決策だと思う。その人が持つ能力などを考慮しなければ――だけれど。
あとは、魔力回復促進剤も支給して、身体強化を使わせるしかないかもね。カーゴちゃんの販売文句に、魔力フリーなのはホビー用途に限ると注意書きしておこう。
町の外側を開発する際に作られた畑にも実りが訪れ、収穫の賑わいも過ぎた秋の終わりごろ、加速させたまま季節一つ分ほど寝かせておいた迷宮農場の様子を確認しに向かう。
この話をしたらエミリーとシャノンも同行したいと言うので小島に連れていき、メイズコアを埋めた場所――楽器の練習小屋から少し離れた所までやってきた。
「じゃあ、蓋開けるからちょっと離れててね」
「この辺りの草だけ緑色してるわね。なんか変な感じ」
「何が出るかな~。何が出るかな~。あ、ライトしておくよ」
蓋にした岩も含めて周囲の時間を停止させておいたので、どこにも穴すら開いておらず魔物も溢れ出ていない。まるでそこだけに夏が取り残されたかのようだった。その一方で、迷宮の内部は何十年、もしかしたら何百年も経過していることでしょう。
二人が下がったことを確認したのち、周辺にかけておいた魔術を解除してからテレキネシスで蓋を開けてみると、じんわりした熱気と共に大群を成した虫がわさわさと這い出てきて――即座に私の時間を加速した。
この量はヤバい。岩を持ち上げた直後は数匹だったのに、一瞬にして虫の洪水が起こったぞ。怖気立つとはまさにこの事だ。こんなところには断じて入りたくない。今日の夢でこの光景を見るのは約束されたも同然だろう。
しかも、漂っていた熱気がほどよく暖かくて憎い。ここは冬の寒さを遮るものがない沖合にポツンと浮かぶ小島なのだ。そこに暖かい空気がむわりと入り込めば計らずとも笑顔になる。今から思えば激臭が混ざっていたことすら気にならない。……いや、やっぱり臭かった。
虫特有というか、あの匂いは無理だわ。鼻の奥にこびり付いたみたいで腹が立つ。ひとまず、虫も熱気も匂いも洗い流したい。
というわけで、すぐ傍に大量の海水があるのだからそれを使いましょうかね。いつかの水害時にやった人間ポンプと同じ要領で、加速を解除した瞬間から迷宮内に注水していく。
「あれ、何やってんの?」
「迷宮の掃除」
「豪快すぎるよ、サっちゃん」
「……この中に入りたい?」
あの一瞬でも虫の大群を目にしていたらしく、戦闘態勢に入ろうとしていた二人は揃って首を横に振っていた。さすがの冒険者でもあの数はつらいのだろうと思ったら、私と同じでただ『気持ち悪いから』とのことだ。
それにしても、私はメイズコアを加速させただけなのに、その効果が迷宮全体に及んでいたみたいだね。そうでなければ迷宮が育たないか。何にしろ、いいことを知れたかも。
怒濤の勢いで海水を注ぎ続けても一向に溢れてこないので、そろそろ注水を切り上げて迷宮へ入ることにした。少なくとも入口付近の虫や悪臭は押し流されているでしょう。
そして、この予想は正しくあり、水で濡れた通路を加熱の魔術で乾かしながら歩いていくと、風圧や水流で削れたり溶けたりした壁に埋まり込んでいる僅かな数しか見かけなかった。
「サラー、これ倒す?」
「ん~……放置でいいよ。先に下層まで行こう」
「濡れてるところだけ歩いて行けば、最短距離で辿り着きそう」
「横道にいて無事だったのは倒しておいてね。あ、スライムは町で使うから見つけたら教えてくれる?」
そうやって迷宮を進んでいくと徐々に濡れた通路が少なくなり、ぎこちない動きのゴーレムを見かけるようになってきた。早くも中層に入ったみたいだね。この方法を使えば迷宮攻略の新記録を出せそうだ。……ただし、誰もいない場合に限る。
しかし、やはり時間はかかるもので今日はここらで一泊かな。
水跡のガイドに導かれるようにして中層を進んでいると、お待ちかねのオアシスを発見した。
どうやら発光する葉っぱの木が森のように茂っているようで、オアシスに入る前から緑色の光が漏れ出ている。その光に明るく照らされながら先を進めば、合間に存在する泉には魔物の死骸が浮かび、その水にも泥が入り込んでかなり汚れていた。
「……やっぱ、こうなるよね」
「そのうち綺麗になるっしょ。それよりも、出口のあれどうすんの?」
「じいじの工房みたい。ぐっちゃぐちゃ」
根を張っている樹木は無事みたいだけれど、多くのトレントは水に押し流されてしまい出口でつっかえていた。その周囲には上層にいたであろう魔物の死体が散乱しているし、トレント自体は死んでいないようで、互いの枝葉がぶつかることも意に介さず絡み合っている。
これを何と表現すればよいのやら。端的に言うなら、キッチンの三角コーナーが近いのかな。もしくは、私たちが対処する前のダム周辺だろうか。通信アンテナを製作中だった魔道具工房も捨て難い。何にしろ、ゴミ屋敷が形成されているので通路だけは掃除しておこう。スライムを拾っておいて助かったよ。
「あ、これってフロアコアじゃない?」
「ほんとだ。こんなところに流れてたんだ」
「こっちにはサっちゃんの好きな果実があるよ」
「……がっでむ」
在庫不足のフロアコアを回収したまではよいものの、桃源郷のような果実までもが同じ有様とはね。私としたことがうっかりしていたよ。さすがにこれを食べる気にはなれないし、次に来たときには育っていることを願って植えておいた。
出口を塞いでいる障害物を退かしていき、使えそうな物はスタッシュに吸い込んでオアシスを出て下層へ向かうと、またもやオアシスに遭遇した。そこは少しましな程度ではあるものの、やはり酷く汚れている。
ただ、いくつが異なる点があり、こちらではジャガイモとトマトを融合させたような植物が転がっていた。言ってみればポマトだろうか。前世でもそんなお野菜があったような。これは面白そうなので少し持ち帰ることにした。
他の樹木にも多少の差があるようだけれど、ほぼ同じなので先へと進む。
また別のオアシスを通過してようやく下層に進むと、水の溜まりと魔物の死体溜まりがある。
ここまでは乾いていたし、違う道から入ってきたみたいだね。もしくは、最初から水没していたのかも。迷宮が横に育って穴が開いたとかあり得そうだよ。水漏れしていたら迷宮農場が破綻しそうだし後で調べておこう。ひとまず、この水は遠距離転移で外の海に飛ばしたよ。
次は死体を片付けていくものの、生き残りもいるから楽ではない。さらに、最下層にはボスがいたのだけれど、倒す以前に溺死していた。そして、そのボスは蜘蛛蟻ではなくて、なぜか巨大な走鳥類だったのが謎だ。おそらく、迷宮のボスは固定ではなくてその時に一番強かった個体が成り上がるのだろうね。
「こんなに虚しい気持ちになったの初めてなんだけど」
「ぐえぇ~って顔して死んでる」
「楽でいいじゃない。そんなことより、メイズコアはどこだろう?」
大事なメイズコアは泥にまみれていたけれど傷一つなく、見るからにその大きさを増した上で魔力を吸い込んでいる。元気がよくて何よりだ。次もまた実りのよい迷宮農場を作り上げてほしいので、周囲の魔力を吸収しやすいように整えてから帰還した。
地上の小島に戻ってスタッシュを解放し、魔物の死体はまとめて焼却処分する。
魔石の数は非常に多いものの今回はこれといった出土品がなく、少量の魔含鉱――ミスリルやオリハルコンなどを拾えたくらいかな。残念ながらスキルオーブは見かけなかった。たぶん、魔物の死体にぶつかって取り込まれたのかも……。
この他だと、甘い香りの蟻蜂が比較的軽傷だったので大量に捕獲できた。あの幼虫が育ったのかな。お酢やお醤油の虫も捕まえたし、なんとゾンビ亀もいる。お味噌は卵が発酵したものだったよ。
それと、有給休暇中のエミリーとシャノンはこの迷宮で遊んでおくらしい。移動用の小舟が欲しいとのことで運んでおいた。前回は帰れなかったからね。その心配は妥当なことだ。
さらに、何か良さそうな物を見つけたら私が買い取るという協定を結んである。かなり安くしてくれるみたいで、私でもいらない物はオークション行きかな。
こうして、迷宮農場は成功した。これでフロアコアが取り放題なので、すべてをシャノンの祖父に渡してきた。今日だけでも三個増えたし、それらをすぐに加工してアンテナに取り付けてくれるそうだよ。作業員も集まっていたので、そろそろ敷設していこう。
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