#174:銀行業務開始
照りつける陽射しもやわらかくなり始め、そろそろ涼しさを感じられる頃になってもヱビス商会の販売部門は好調なのに、ここにきて通信事業に暗雲が立ちこめてきた。
そこで使用する機材の開発が非常に厳しくなってしまったのだ。
魔力で繋げる見えないラインに信号を乗せて飛ばすアンテナで、設計はできたし試作も成功したけれど、量産するには素材がまったく足りていない。さらに、遠距離となれば効力を維持できるかも疑問らしく、先を見て大きな情報も通せるようにしたのが失敗だったかも。稼働に求められる消費魔力量が大幅に上がったみたいでね……。
しかし、自立型にしなければ魔力を補給する人員が必要となる。そうなれば重要設備であることがバレてしまい、演奏会のように誰かが妨害してきたら面倒だ。これを解決できなければ遠方との通信という金のなる木が育たない。
その代わり、試作中の冷凍庫はもう完成間近だった。なかなか進まない通信事業の傍らに、前から行っていた研究も進めていたようだね。
ところが、凍らせることには成功しても、それを保つというのが難しいみたい。
「冷やしても冷やしても、すぐに温くなるのがのぅ……」
「隙間があるんじゃないですか? ゴムで密閉するといいかもしれません」
「あぁ、小瓶ソースの蓋に付いてるあれか? 使わせてくれるなら助かるわい。礼になんでも好きなもの作ってやるぞい」
「ありがとうございます。それじゃあ、大きさは工房と話し合ってくださいね」
とりあえずのお試しとしてアイスクリームをお願いしたところ、シェイクができあがった。ガチガチに凍らないという部分がよい具合に作用したみたいだね。惜しむらくは、季節がややズレていることくらいかな。
それでも、売れなくはないはずだ。今でも町のどこかで工事が行われているし、それに従事している職人さん達は冷たいものが嬉しいでしょう。一応はアイスクリームとも言えるので、珍しさでも話題に上るのではないかな。
というわけで、シェイク製造器は買い取っておいたよ。マンマ・ピッツァに導入するのだ。
なお、そこで使用するバンズを自前で用意するのは断念せざるを得なかった。誰がどう見てもパンそのものなので、製パンギルドがまったく引かないのだ。さらに、マンマ・ピッツァの影響であちらの売り上げはがた落ちで低迷しているらしく、現状ではなんとか定期購入できている感じかな。一応は大口の取引だから割引してくれているけれど、印象は最悪みたい。
美人姉妹にこの話をしてみると、パン屋さん側も以前から相談していたそうで板挟み。彼女たちは宿屋を経営しているのでパンを切り捨てることはできないものね。なんとも厄介な事態になってしまったよ。
その後、新商品として売り出したシェイク。これの売り上げがまた伸びに伸び……なかった。いや、売れはする。飲んだ人のリピート率もかなり高い。しかし、原料にはお砂糖が含まれるので単価が非常に高くなり、お金持ち向けのデザートというイメージを持たれたようだ。
この流れは遺憾ではあるけれど、幸いなことに美人姉妹がとても気に入ってくれたので赤字にはなっていないし、評判そのものは上々だ。これならこれで売っていくしかないでしょう。一度形成された路線の変更はかなり難しいのだよ。
そうして、私もチョコバナナシェイクを飲みまくったせいでお腹周りが心配になってきた頃には秋の嵐が通り過ぎ、銀行の営業開始日が近付いてきた。
通信網は何一つできていないけれど、一足先に決済カードを普及させるため、秋のお祭りにあわせてケルシーの町と領都で銀行を正式にオープンするのだ。そこではエドガーさんの息子さん達が研修も兼ねて常勤する。その研修が終われば、彼らはエリアマネージャーとして今後できる店舗を統括することが決まっているよ。
さらに、銀行に興味がない、または商人でなければ無関係だと思っている人に向けて、その存在を知ってもらうためにも、ちょっとしたイベント――富くじも予定している。
こちらはお祭り開催日の半月前から販売を開始しており、日ごとに売り上げが増していた。結果発表はお祭りの当日なので、当選した人には決済カード普及の一環として、それに入れて支払われる。
胴元は番号札と掛け金を預かっておくだけでいいのに大儲けとは笑いが止まらないね。王都から様子を見に来たエドガーさんともにこやかに談笑だ。
「よくここまで集めたもんだな、ヱビスのお嬢ちゃん」
「一〇枚連番で買えば、必ず一つは当たるってやり方が魅力的だったのかもしれませんね」
「それにしても……、こんなに買うもんかねぇ」
「みんなが買えば買うほど当選額も大きくなるからですよ」
参加者が増えれば増えるほど貰えるお金もまた増える。この方式のおかげで予想以上の儲けが出ているのだ。その利益は実際にイベントを運営する銀行との山分けだから、いつも厳つい顔をしているエドガーさんもにっこり笑顔のお爺ちゃんになっているよ。
それと、今のところは不正――知り合いに当たるような細工を行っていない。当選者が発表された後の様子を見てから今後も続けるか決めるけれど、わざわざ危険な橋を渡らずとも私は儲かるのでどうでもいいです。
そして、秋のお祭りが催され、おいしい料理に舌鼓を打ったり、新商品に魅了されたりしている一方で、富くじに落選した人は秋晴れの綺麗なお空を眺めていた。それとは反対に、当選者の表情は僅かに浮かぶ雲を吹き飛ばしそうなほどに晴れやかだ。
早速とばかりに決済カードで商品を買いあさっていたので、その便利さにも注目が集まっていたと思う。
そうやって、もしかしたら最も賑わったかもしれないお祭りが過ぎれば、決済カードはケルシーの町と領都を往復する行商人にはすぐ広まった。王都から来ている一部行商人も買い求めていたし、硬貨の煩わしさは皆が思うところだったのだろう。王都ではまだ使えないけれど、この町での買い物が楽になるものね。
「期待した以上に広まりましたね、エドガーさん」
「何を言う。先日予想していた人数より僅かに上回っただけだろう」
「まさか王都の商人も欲しがるとは思わなくて」
「俺の動きで読まれていたかもしれんな。王都でも使えるようになる、と」
さすがのエドガーさんでも王都のように人が多いところでは情報が漏れてしまうようだね。その息子さん達がずっとこちらに詰めているし、その周辺から画期的な道具が売りに出されたとなれば、王都で動き回っている彼の進路からある程度の予測が組み立てられてしまうかな。
それが原因なのか、他の町から来ていた行商人にも支店の建設を願われることもあった。
しかし、今はどうしようもなく機材不足だから断るしかない。あのカードはいつか発見した冒険者ギルドのメダル刻印機を改造したもので作るしか方法がないのだ。
作るだけなら安価な上に簡単だとしても、ただの民間人ではあの機械が手に入らない。過去にも冒険者が何らかの不正を行ったことがあるらしく、製造元すら明かされていないのよね。
その影響で、うちと取引のある行商人は銀行の支店がある領都を根城にする人が増えてきた。商店での支払いにも使用されており、取引が非常にスムーズなのだとか。それで、ヱビス商会、及びエドガー銀行は領都の商人たちから非常に好印象を持たれているみたいだよ。
きっと、一枚ずつ数える必要がないというのが大きいのだろう。偽造貨幣は元から出回っていないものの、ヒューマンエラーとは必ず付きまとうものね。
ただ、最小単位が一エキューのため、それ以下の小銭――ケント硬貨はどうしても持たねばならないけれど、端数合わせなのでさほど気にならないようだ。こちらの国でも商人ギルドが発行していて偽造の疑いは拭えないので、あまり使われないのもグロリア王国と同じかな。
これだけ便利なのだから他国にも決済カードを広げようと思ったら、どこか難しい顔をしたエドガーさんから『両替商が不満を出すぞ』と言われてしまった。製パンギルドのように下手に敵を作っても面倒でしかないので助言に従って踏み止まったよ。欲を掻くと高い確率で失敗するものだ。……いつかは打ち出すけれど。
それと、田舎領都の人口が増えたのならば、マンマ・ピッツァもオープンさせた。その勢いで、ついでにブルックの町にも出してみたよ。今までコロッケのみを扱っていた従兄のお店に私が出資して発展させる形でね。あそこならバンズの仕入れが楽そうなので、バーガー部門も同時に頼んである。
そうなれば人手不足が避けられないから、しっかりと料理人を派遣しておいたよ。まだまだ他の町や領地にも出店するために、各店舗で修行中の料理人を割り振ったのだ。
ただし、おかげで伝書鳥を買うハメになってしまった。往復可能なやつで高かったよ。一個あたり一万五千から三万エキューくらいしてね。これは必要経費だから呑み込むけれど、早く通信事業を確立させないといけないなぁ。もっと少ない魔力でも動かせるアンテナに作り直してもらおうかしら。
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