#172:王都支店を移転
港全体の工事は既に仕上がりを迎えており、残すところは利用者の調整のみとなっている。それも申込みが遅かった者以外は既に終わっているので、間もなく訪れる夏祭りをもって開港が通達された。
今までは完成している一部のみが解放されて、僅かな漁船――釣り船が停泊していただけだ。これからは大きな商船の姿が数多く見られるようになるでしょう。
そして我が商会では、その夏祭りを前にしてオフロードタイプのリンコちゃんが完成した。本体のフレームはママチャリ型からダイアモンド型に戻っていて、オールマイティに活躍してくれると思う。ただし、まだ後輪だけの三段変速だ。しかも、丁寧に扱わなければあっさりとチェーンが外れてしまうという問題付き。
それでも便利には変わりないので、先行してエミリーとシャノンにプレゼントしたよ。これで長距離移動も少しは楽になると思うから、迷宮の発見をがんばってもらいたいね。
それに、パイプオルガンも製作に取り掛かったようなので一息吐けそうだ。
人手不足を懸念していた楽器工房の増員については、さすがは貴族の子女が揃うだけあって一瞬で片が付いた。領主や守護の子女は地元から指折りの職人を半ば強制連行したらしい。
はじめのうちは皆ふてくされていたものの、新たな楽器の噂は聞いており、実物を目にして音も耳にしたら態度が一変していた。各人に説明するのが面倒だったのか、新規職人さんには説明会代わりに演奏会が開かれたのだ。もちろん、私も聴きに行ったよ。
その後は現在の工房に弟子入りという形だそうで、比率としては弦の人が多かったかな。
それと、工房の不安が消えたからか、楽団員も王都へ旅立った。活動資金を稼がないといけないからだろう。彼らの住処は繋がりのある貴族が用意してくれたみたいで、私も暇になれば是非とも遊びに来てくれと言われているよ。
また一緒に演奏したいとも話していたので、ヘルプ要員として数えられているのかも。
しかし、私にはまだまだやる事がある。演奏会で忙しいからと後回しにしていた案件が。
それが何かというと、お母さんのところでチョコレートを販売するのだ。ケルシーの町では既に出回っていても、あれは演奏会の直前とも言えたのでお母さんには試食用を渡しただけでしかない。それを食べたお母さんからの催促が激しくてね。会うたびに言ってくるよ。
受け入れられやすい上に売れやすいピザを他の町へと広げるという計画もあるけれど、先にお母さんのほうからやっていこう。
そんなわけで、王都にやってきた。現在の王都支店は移転が確定しているので、次の夏祭り付けで契約を解除しないといけないしね。
その前に、まずはルーシーさんに紹介されている空き店舗の下見に向かおう。あいにくと私は貴族街に疎いので、エドガーさんと共に銀行の話で訪れた際にお願いしておいた件だよ。
実際にそこで働くのはお母さんだから、下見に同行してもらえないかな。
「お母さん。これから移転先の下見に行くんだけど、一緒にどう?」
「ええ、いいわよ。たしか、貴族街だったわよね」
「うん。ここは次のお祭りで契約解除するから、ちょっとバタバタしそうだけど……」
「大丈夫よ。引っ越しの準備ならもう終わってるから」
どうやら、お母さんは春から行くつもりで支度していたようだ。既にここは営業していないし、たまに来てくれるマチルダさんや鷲獅子の爪痕にも話してあるらしい。
ただ、以前からこのお店で働いてくれていたお兄さんとお姉さんは、貴族街なんて行きたくないと言って辞めようとしていた。そこで、マンマ・ピッツァの王都店を紹介してみたら、今ではそこに勤めてくれているよ。
「あ、そうだ。お母さん、これ羽織っておいてね。呼び止められたら面倒だし」
「高そうな服ね。門なら普通に通れると思うけど……」
「門じゃなくて町中だよ。最近は騎士の巡回が強化されてるみたいだから」
「あら、そうなの? そういえば、こっちも兵士がよく回っているわね」
私はお金持ちに見える服装だから問題ないけれど、お母さんはどう見ても平民の服なので、遠目からなら誤魔化せそうな感じの上着を渡しておいた。何か事件でもあったのか、普段よりも騎士がうろついているから止められると時間がもったいない。
そうやって貴族街に入り、母娘二人で物件の下見をしていく。こうして二人だけで行動するのは久しぶりだね。町並みは全然違うけれど、なんだかブルックの町にいたころを思い出すよ。今はあの時から想像もできないほどの大金を持っているなんて不思議な気分だ。
「今度の物件はここかな。あ~、ちょっと大きすぎるかも……」
「それじゃあ、次に行きましょ。王城に近いほうが売れるんじゃないかしら」
「……そうかもしれないけど、お母さんが行きたいだけじゃないの?」
「違うわよ。コンサートがどうとかって噂があって、それで人通りが増えてるらしいのよね」
もしかしたら楽団員が宣伝活動をしたのかもしれない。それが間接的にでも他の売り上げに繋がるなら解散させなくてよかったよ。こうやってどう転がるかわからないから商売は怖いね。彼らが本気で続けるとなれば、コンサートホールと近いほうが売れるかも。
そんな考えとお母さんのごり押しで王城に近付いたものの、残念ながら状況は芳しくない。
「さすがにこの辺は空いてないみたいだね。ルーシーさんも言ってなかったし」
「仕方ない、か。候補から当たるしかないわね」
その後もいくつかの物件を見物して回り、最終的には王城の正面通りからコンサートホールの方角へ一筋入った小道沿いの店舗に決まった。貴族街の全体から場所を示すなら、出入り口から少し歩いた辺りで、内壁に近い外周寄りの方にある感じかな。
見た目は可もなく不可もなく、石と木で作られた二階建ての綺麗なお店だ。ケルシーの町に並ぶものと比べたら何段も落ちるけれど、両隣と比べても何ら遜色ない佇まいだった。
そうして、下見が終われば不動産ギルドへ向かい、実際に店舗の中を隅から隅まで内見してから契約を交わした。店内は綺麗なもので、今すぐ住み着いても問題ないくらいだ。きっと、ギルドの職員が定期的に掃除していたのだろう。なにせ、貴族街の不動産ギルドと平民向けのそれとは分けられているのだから。
そのせいで、王都支店として使っていたあのお店は管轄外なので、まとめて処理できなくてちょいと面倒だよ。王都の規模を考えたら仕方のないことだけれども。
新王都支店を確保してからは、商品のチョコレートを運び入れたり、他の町村へのマンマ・ピッツァ出店計画を進めたりしていると夏祭りが訪れた。
しかし、もう一号店を明け渡しているので店舗がなく、港通りの一画でスポーティな服装の美人姉妹にオフロードタイプのリンコちゃんをお披露目してもらい、早くも在庫が品切れだ。
お祭りと同時に港も正式に開かれたので、当日は港通りが大変な賑わいを見せていたことが大きく影響したのかもね。
それから数日経過すると、いつだったか夕食会にお呼ばれした貴族家からまた書状が届いた。その内容も同じもので、またもや私を夕食に招待したいらしい。以前の出来事は忘れるわけがないけれど、いくら断りたくても行くしかない。
当日になれば仕方なくベアトリスに支度をしてもらい、明らかに怒気を窺わせるヴァレリアを連れて出発した。
先方に到着したら早くも私一人にされるのかと思いきや、たとえ近衛騎士団を辞めていてもウォード家の名声は健在なようで、その娘であるヴァレリアの同席が渋々ながら許された。
そして、お魚料理が主体の豪華な夕食会が始まり、行儀の悪い貴族令嬢を演じたヴァレリアによって毒味されていく。これはベアトリスの提案で、また何か仕込まれていることを警戒しての自衛手段だ。
その間に話される内容も以前とほぼ同じで、相手をする気にはなれそうもない。『家を買うなら相談してくれたらよかった』だの、『どうせなら王城に住めばよい』とか、『それなら姫か女王になれば解決だな』と言って自分たちだけで笑っている。
急遽変更されたと思しきグレードの低いデザートが出てくると、楽団に自分の子供を入れてくれと言われたから、これはオーディションを受けるよう伝えておいた。楽団の運営は団員が行っているので、指揮者とコンマスの家名を出すと何とも言えない表情を浮かべていたよ。
それからも私が暖簾のように言葉を躱していると、彼らの腕は疲れたようで辞去を促された。
その翌日。私の後援貴族たちの話を一応は伝えておくために、楽団員の元へと向かう。
彼らのお屋敷にアポを取りに行くとそのまま迎え入れてくれて、ちょうど歌劇団を作る話で盛り上がっていたようだ。フィロメナさまが主演をされるそうで、他の演者や裏方なども自分たちで探すらしい。
楽譜の準備やスケジュールの調整など、いろいろと忙しいものね。曲によっては演奏の仕方を変えるので楽譜にはメモが書き込まれることが多く、新しい物の用意――複製をする必要があるのだ。その辺は、王都でコンサートを開いていた経験を持つ人を引き抜いたみたい。
もう喉の調子を取り戻しているフィロメナさまがそう教えてくれたよ。
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