#170:さらば、一号店
昨日の話し合いで銀行の件がまとまりを見せたものの、残念ながらそれを開く場所がない。何せ、鉱山ラッシュのおかげで使えそうな空き屋はすべて埋まっているのだ。お婆ちゃん達のために入手しておいた空き店舗も既に手元を離れている。
住む家がないと問題になったのに、いつまでも遊ばせておくわけにもいかず、維持し続けるのが苦しくなって手放さざるを得なかったのよ。
残る物件は修繕が必要となる崩れた家屋くらいしかないけれど、港通りの正反対となる上流側に偏っている。毎日多くの人が訪れる銀行にしては、いささか便利が悪すぎる場所だろう。どれだけ優れた商品や行き届いたサービスがあろうとも、立地が悪いだけでお客さんは来なくなるのだ。私の実家がそれを証明している。……していたよね?
それに、究極的には両替機さえあれば成り立ちはしても、硬貨や資料の保管場所は絶対的に必要となる。立地や面積を考慮すれば、この一号店を明け渡すしかないだろうね。今はもう、調味用のソースやチョコレート、麦茶にコーヒーとリンコちゃんを扱っている謎のお店だし、どれも有名になっているのでこれらを一等地に置いておく必要はあまりないと思う。
しかし、そうなれば私の住処がなくなるわけだ。この際なので、まだ町内でも開発を後回しにしているエリアに家でも建てようかな。場所は銀行に不都合だった上流側だね。孤児たちが最初に住んでいたあの辺り。
今の彼らは仲の良いもの同士で町の外に家を買っているよ。念願の木造家屋を。
一号店の譲渡はもはや確定したに等しいけれど、ここでは私以外にも暮らしている人がいる。ある日突然住む家が変わりました――だなんて言えないので、ヴァレリアやベアトリスたちに話をしておかないと。
「スチュワート、ヴァレリアはもう帰ってきてますか?」
「いえ、まだ戻られていません。いつもどおり、昼二つの鐘が鳴る頃ではないかと。お急ぎであればお探し致しますが……」
「それほど急ぎではありません。ヴァレリアが帰ってきたら、ベアトリスと一緒に連れてきてもらえますか? スチュワートにも同席をお願いします」
「畏まりました」
私がお出かけしない限り仕事のないヴァレリアは、シャノン親衛隊のお歴々やエクレアと共に町周辺の治安維持活動に参加している。何かあれば『ソナーの腕輪で呼び出してください』と言っていたけれど、あれは受信者に結構な魔力が要求される。
今は改良が進められて以前よりましになったものの、一般的な魔力量では立ちくらみを避けられなかった。呼び出した瞬間に倒れられても困るので、結局は一度も使っていない。
なお、燃費悪すぎ問題の解決策は判明している。通信事業で使用する予定のアンテナを経由させたらよいだけだ。魔力の通り道をしっかりと形作っておけば、かなりの省エネ化が見込めるとのことだった。
昼食に合わせて戻ってきたヴァレリアや、炊事洗濯など家のことを任せているベアトリスとそのメイドさん達、さらにスチュワートも揃ったところで一号店の今後について話しておく。
それを聞いた皆は引っ越しに否やを唱えず了承の意思を表し、買い物が少し不便になる程度しか気にならないようだ。
「では、昼食後に大工職人をお呼び致しましょう。後ほど手配致します」
「わかりました。それまでの間にエミリーとシャノンにも伝えてきますね」
打てば響くスチュワートには資産の管理を任せているから、大工さんとも話し合ってくれるはず。できれば暮らしやすい家がよいので、私も口出しするけれどね。
その後は昼食を摂り、同行したがるヴァレリアはエクレアにお願いして町の外へ連れ出してもらい、私は一人でエミリーとシャノンを探しに向かった。そして、いつもの手段で見つけ出し、事情を伝えると『荷物さえ運んでくれたら何でもいいよ』とのことだった。
あそこでは長く暮らしていない二人だから、あまり馴染みがないままだったのかもね。
全員から引っ越しの了承を得て一号店に戻ると、見覚えのある大工さんがやってきた。
私の別荘――沖合の小島に小屋を建ててもらった工房の人だ。あの小屋は手早く建てていた割りにはどこも歪んでおらず、風に吹かれてもビクともしていない。作業が早い上にしっかりしたものを作ってくれる工房なので、今の時点でも安心感たっぷりだよ。
「お呼び立てしてすみません。もう話は聞いていると思いますけど、私の家を建ててください」
「おう。我らが会長様の家となれば全力で掛からねえとな!」
「頼もしいですね。細かなことはお任せしても大丈夫ですか?」
「もちろん。つっても、会長さんが知ってる職人ばっかりだがな。で、どんな家がいいんだ?」
一から作るとなれば、私が知る現代的な……というか、システム化された家に住みたい。
今の家はとても豪華だけれど、ハッキリ言って夏はクソ暑いし冬はクソ寒くて住みにくい。防寒断熱素材を使用してもらわなければ快適さとはほど遠いのだ。
それに、毎日お風呂に入りたくても水を運ぶだけでも苦労するので、メイドさん達にお願いしづらい。これは解決策が見えていて、もうそろそろシャノンの祖父が転移装置の試作機を形にしてくれるはずだ。それさえあれば、水汲みに劇的な変化がもたらされるに違いない。
ただし、その装置はものすごく小さい。腕一本が通るかどうかという小窓サイズの代物だ。たったこれだけでも膨大な魔力が消費され、あのシャノンですら一度テストしただけで具合を悪くしていたよ。それでも、自力で過去の遺物を再現できたのは偉業だと思う。
これも通信アンテナを使えば省エネ化が可能ではないかと言われているので、それを私の家に蛇口として取り入れたいのです。家の壁と山の湧き水を繋げたら便利すぎるよね。
他にもどんどん湧き出てくる要望を伝えていくと、大工職人さんはやや顔を引き攣らせつつも請け負ってくれるようだ。しかも、先日の功績や、住居不足の際に儲けさせてくれたからと、他の作業よりも優先してくれるらしい。それでも、完成まで一年はかかるのだとか。
魔術のおかげで建てるだけなら集合住宅でも季節一つほどだけれど、細かな装飾を施すのに時間が必要みたい。のっぺりした豆腐みたいな家だと、この町では悪目立ちして浮いてしまうから仕方ないね。
ちなみに、建築先に選んだ場所は上流側の中でも端の方――荷揚げ場からほど近いというか、倉庫建設予定地の広場から少し入った辺りだよ。
今よりも総合ギルドや商店街から離れて不便になるけれど、崩れた家屋が目立っていたせいで誰も手出ししていなくてそれなりに広い土地となっている。一号店が商売の一等地であるのなら、ここは暮らしの一等地とも言えそうだ。
それに、荷揚げ場が増えることでギルドの支部を作る話が持ち上がっている。ヱビス商会の事務所もその近くに作っておけば、業務にも支障は出ないだろう。買い物も水路を使えばよいだけなので、自家用ゴンドラの購入も検討しておきましょうかね。……ゴンドラを漕ぐメイドさんとは、なんとも不思議な光景だ。
これで銀行の屋舎が決まり、私たちの新たな住処も心配がなくなった。次に必要となるのは家が完成するまでに暮らす場所だね。私だけならグロリア王国の実家に戻ってもよいけれど、さすがにヴァレリアやベアトリス、そのメイドさん達を連れていっても手狭になる。せっかくお隣にはこの町でも力を付けてきた宿屋さんがあるのだし、空飛ぶひよこ亭に相談してみよう。
「こんにちは。長期の宿泊をお願いできますか? 一年くらいの予定です」
「ごきげんよう、サラさん。長期逗留のお話は伺っております」
「え、そうなんですか?」
「もうみんなの部屋は準備できてるよ! すぐに来てくれても大丈夫!」
なにこれ、早くない? 昨日の今日どころか、先の今ってくらいだよ。何がどうなって――あぁ、スチュワートが話したのかな。私がエミリーとシャノンに会って無駄話をしている間に事を済ませてくれていたのかも。
あとは、エクレアも滞在する許可をお願いしたら、こちらも承諾済みなのだとか。それと、建前上は安くできないけれど、その分たっぷりとサービスするとも言ってくれた。
その翌日に案内されたのは、一号店のお隣さんではなく、支店として増やした店舗だった。
長期逗留者向けで今も楽団員が暮らしているところだね。練習場所の修道院からも遠からず近からずの位置にあって、町の中でも比較的静かな場所だよ。
ここもグロリア王国の本家と同じように周囲の建物も使って騒音対策をしているし、さらに水路が通っていない場所を選んでいたので、町の喧噪があまり聞こえない。
さて、ひとまずの仮宿が決まれば、次の作業に移りたい。一号店で取り扱っていた食品類をマンマのところで販売してもらうのだ。
あそこも三階建てなのに、なぜ住まなかったのかって? それは、二階を客席として解放しなければ人が入りきらないし、三階にはマンマが住んでいるので候補外だ。それに、建物中にチーズの香りが充満していて常にお腹が空くからだよ!
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