#166:コマーシャルコンサート

 なんとか歌い終わったら、挨拶もそこそこに私だけが退場した。目の前は真っ白なのに記憶だけは鮮明に残っている。脳内メモの記録を信じるならば、音程も外さずに歌い切れたはず。

 そして、私の姿が舞台袖へ消えると同時に演奏会の幕が上がった。


 まだ楽曲の調整ができていないので、予定どおりの交響曲をやるようだね。皆は緊張のせいか少し硬い感じの音を出している。

 それを背中で聴きながら控え室に戻ると、出番待ちだったグレイスさんとクロエちゃんから『フィロメナさまに勝るとも劣らない美声でしたわ』との評価を得た。本来なら、美人姉妹は歌姫のコーラス担当だったのです。……美女トリオを見たかった。


 こうして始まった演奏会。もちろん、この私がただ楽器の宣伝だけで終わらせるわけがない。会場の外側には軽食の売店を並べているのだよ。お祭りの出店みたいなものだね。

 塩バター味のポップコーンや、大きな口を開けないと食べられないフランクフルト、定番の串焼き肉。お昼時になればマンマ・ピッツァの出張露店も開かれる手筈で、そこでコロッケやフライドチキンなども販売される。お金持ちも多いので、高級商品のチョコレートもさらなる特別価格で売るつもり。もはや、抜かりはないのですよ。

 しかも、他の商会も便乗しているので、音楽に興味がない人も音楽堂の周囲に集まっていることでしょう。これが罠とも知らずに。


 音というものは、たとえ耳を塞いでも聞こえてしまう。ある意味では強制的な宣伝といえるのだ。それに、曲調によってはお財布の紐が緩くなるというデータを見たことがある。音量が大きければストレスを感じて塩辛いものを買ったり、アップテンポな楽曲なら普段は手を出さない高価なものを注文したりする。

 これを利用して、楽器が奏でる音を覚えてもらうのと同時に、小銭を稼いでいるわけだ。


 そんなことを思い返しながら裏で待機していたら、私の出番が近付いてきた。

 楽曲はメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、ホ短調、作品六四――通称、メンコンだ。三大ヴァイオリン協奏曲の一つとしてとても有名なものだね。これを聴いたことが切っ掛けでヴァイオリンに興味を持った人は多いのではないかな。

 今日はそんな名曲のソリストを私が務めることになっているよ。




 この曲も予定に組まれていたので無事に弾き終わり、舞台を下がる時に指揮者のレオポルドさまから小声で指示があった。フィロメナさまが抜けた分は各楽器のソナタを演奏して穴埋めするようで、可能なら曲目を考えてくれと頼まれた。


「グレイスさん、クロエちゃん。何か覚えている曲はありますか?」

「ええ。サラさまが繰り返し練習されていた曲の伴奏なら、すぐにでも弾けますわ」

「お姉さまと二人でやってた曲も大丈夫だよ!」


 歌姫のコーラス以外にも、交代時の控え要員だった美人姉妹に助っ人をお願いした。

 予定外だけれど、私も追加で演奏しなければ穴を埋めきれないだろう。それの曲目を考えながら椅子に腰を下ろすと、今更になってその腰が抜けそうになり、足がガクガクしてきた。


 その間にも、舞台では名曲をいいとこ取りに編集したメドレーが流れている。人によっては聴き疲れしそうだけれど、やるほうも非常に疲れる。その点も考慮して曲を選び、奏者の一人として参加していた私が休憩に入る際に、指揮者とコンマスにその旨を伝えておいた。楽器の配置を換えてもらう必要があるからね。


「サラさま。そろそろ出番ですわ」

「がんばってね、サラちゃん」

「はい。行ってきます」


 時間となり、舞台に出たら声援で迎えられた。……恥ずかしいけれど、めっちゃ嬉しいね。

 そして、指揮者と入れ替わるように舞台のド真ん中へ移動してもらったピアノを弾く。今回は私だけで行う独奏だ。人数の都合上、まだ裏に回れない人にとっては短い休憩時間となる。


 そうやって、パガニーニのヴァイオリン協奏曲第二番第三楽章――これをリストが編曲したパガニーニによる大練習曲第三番、ラ・カンパネッラを無事に弾き終えて控え室へと戻った。可憐さを感じさせる序盤からは想像も付かない終盤の盛り上がりが堪らない超絶技巧曲だよ。




 また大きな拍手を貰えたけれど、喉が渇いて仕方ない。美人姉妹から温かいお茶をもらい、スタッシュに入れてあるチョコチップクッキーとチョコバナナをもりもり食べて休憩する。

 お腹の空き具合からしてお昼を回った頃合いだろうね。音楽堂の外ではマンマ・ピッツァが猛威を振るっていることでしょう。


 その香りが微かに届くような気がする舞台では順調に演奏が続いており、交代で行う休憩のタイミングで昼食を摂る人もいて控え室がひどく忙しい。

 そして、それも落ち着いてくると、美人姉妹がペアで演奏する時間が迫ってきた。


「次はお二人の出番ですね。観客はジャガイモと思えばおいしいですよ」

「ふふふ……。お気遣いありがとう存じます」

「サラちゃん、お腹空いてるなら今のうちにご飯でも食べなよ」


 確かにお昼時が過ぎているけれど、美人姉妹が披露するフォーレのシチリアーナを聴き逃したくないよ。これは私の一押しで、チェロとピアノの室内楽といえばこの曲だと思っている。今のようなお昼下がりにはピッタリな一曲だ。




 いつも一緒に行動しているからか、美人姉妹はとても息の合った演奏を聴かせてくれた。

 是非ともその感想を語らいたいのだけれど、入れ替わるように私の出番となっている。

 今回も独奏で、ベートーヴェンのピアノソナタ第一四番、月光だ。湖上をたゆたう落ち葉が次第に川へと流れ出し、急流に翻弄される様が思い浮かぶ儚くも激しい曲だと思う。


 これも無事に弾き終えて裏に下がった。次はヴァイオリニストとしての出番まで待機する。それを乗り越えれば、私がソリストとして担当する演奏は終わりだ。楽団の中に紛れ込める。


「では、行きましょうか」

「ええ。同じ舞台に立てることを光栄に思います」

「お姉さまはちょっと大袈裟だけど、嬉しいのは本当だよ」


 大きな拍手と、そして貴族令嬢からの黄色い声援で迎えられ、私たちはサラサーテのソナタみたいなヴァイオリン協奏曲――ツィゴイネルワイゼンの演奏を始めた。

 今度は独奏ではなく、グレイスさんのチェロとクロエちゃんのピアノが伴奏につくのだ。

 非常に難度の高い曲だけれど、日が傾いてくる夕方の始まりには打って付けだろう。


 ところが、演奏も終盤に差し掛かり、最後の山場、早弾きの最中に悲劇が訪れた。

 なぜか最も細いE線がプチンと切れたのだ。それも、体側にある山なりの駒部分から。

 あり得ない。ヴァイオリンは何度も見直しているし、フロッグ――弓の端も当たっていない。駒への食い込み対策も万全だった。


 これを自分だけではなく、モジャモジャにもチェックしてもらっていたのだ。たった一曲で切れるわけがない。確かに、この曲はピチカート――弦を指で弾きまくって酷使するけれど、魔力の篭もった弦と私の指ではその強度が違いすぎる。

 それに、よく見れば隣のA線もたるんでいた。D線とG線は無事に見えるものの、これでは演奏ができない。


 これをただの自然現象と思えるほど私の頭にお花は咲いていない。最も疑わしいのはフィロメナさまのお見舞いへ行く途中で見かけたクレーマーお嬢様だろう。楽器を放置していた私も悪いけれど、選考した末に参加を断っただけでここまでの嫌がらせをするものか?

 非常に腹立たしくてもここで中止しては今までの苦労が台無しだ。コンマスのヴァイオリンを借りて続きから演奏せざるを得なかった。


 G線上のアリアを弾け? 前もって計算されたパフォーマンスならいいけれど、ハプニングが起これば取り替えるのが普通だ。今日みたいな長丁場では裏に予備も用意して当然だろう。それを取りに戻らないのは、同じように弦が切れているかもしれないからだ。

 そもそも、どうやって切れたのかがわからない。ここでG線が切れない保証もない。もしもそうなれば、私はただの道化だよ。


 そうして何とか難を乗り越えて、オーディションに落ちた人、仕上がりが間に合わず本番に出場できなかった者たちからの拍手喝采で退場した。

 彼らの興奮具合は弦が切れやすいことを知っているが故だと思う。魔物の素材というものは魔力さえ流せば一般的な製品よりも圧倒的に丈夫だけれど、それ同士を擦り合わせる演奏だと条件は変わらないしね。


「おう、ヱビス屋の嬢ちゃん。早く楽器持ってこい」

「あ、来てくださったんですか」


 控え室で待ち受けていたモジャモジャと共にヴァイオリンを調べてみると、あの曲では中盤に駒部分へカポッと嵌める弱音器の内側に細工――薄く小さな刃物が仕込まれていた。

 魔道具ともいえる楽器だけに、その制御パーツも巨大化していたことが徒になったようだ。こんな内部に隠されていたら、演奏の最中でなくとも気付けるわけがない。

 原因を突き止めたらすぐに弦を張り直してもらい、不審な点がないことも確認してから奏者の一人として楽団に合流した。


 その後、正直にいって失敗したかに思われたこの演奏会は大成功どころが大きな波紋を呼び、国中から楽器の注文や演奏会の誘致が殺到することになる。

 そして、これを機に音楽史が一足飛びで塗り替えられていくのだった。

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