#165:待チ人来ラズ
私が一七歳となる春分の日。ヱビス商会創立二周年イベントを終えてからは、お祭り会場で小規模かつ短時間のゲリラライブを行った。さすがに全員は連れていけないので、本番を前にして不安を滲ませていた少人数のみだ。
それでも、無告知だから貴族の子女が揃う様を見て驚かれたけれど、私が冬のお祭りで種を蒔いて――吟遊詩人との即席セッションで音楽の認知度を上げておいたので、思いの外好意的に受け入れられたよ。これで平民の掴みもバッチリぽん。
その後も最終調整という名の猛特訓を続け、貴族や商人を集めての演奏会が明日に迫った。
お祭りの当日では集客が見込めないので少しずらしたのだ。あの前後は貴族も平民もかなりごたついているから致し方ない。それに、楽団員の親――王国中の貴族も集まるので、移動に半月は見ておかないと間に合わないからね。
そうなれば各地で噂が立つもので、それを聞き付けて途中入団してきた人もいる。さすがに滑り込みは断ったけれど、チョコレートの悲劇があった頃までに訪れた人にはオーディションを受けてもらった。
しかし、当然ながら即戦力は皆無だ。周りに追いつけるようビシバシしごいたものの、聴くに堪える演奏ができるまでに仕上がった人数は極めて少なく、何とか一〇名ほどが増えた程度。
そんな彼らは補欠になるか、曲によっては必要となるシンバルやトライアングルのパートについてもらった。
今まで先生役だった私も一部の楽曲ではメンバーに加わらねば成り立たず、最終調整の合同練習からは奏者の一人として参加しているよ。木管同士や金管同士など、同じジャンルなら割とスイッチ演奏が可能ではあるけれど、全員がそれをできるとは限らない。加速学習ですべての楽器をそこそこ演奏できるまでに成長した私は使い勝手がよいわけだ。
よく考えたら、初見かつ未知の楽器でプロ級の演奏をしろなんて無茶ぶりが過ぎたね。それを為せるのは今ここに集った天才しかいなくて当然だ。
ただ、その筆頭とも言える歌姫は、喉の調子がかなり不安定。最終調整には参加できていたものの、その声がお世辞にも良いとは言えなかった。体調にも波があるようで、早めに練習を切り上げて休んでもらったよ。
私は沖合の小島で夜中まで個人特訓に没頭し、一眠りしたら演奏会の朝がやってきた。
起きてからも私が担当する部分を一通り練習してから自宅に戻ると、コーヒーを飲んでいたスチュアートに迎えられた。そして、どことなく興奮した雰囲気のベアトリスに手伝ってもらいながら、まだ外が暗いうちから今日のために用意したドレスに着替えていく。
「どう? おかしくない?」
「ええ。何も問題はございません。上にこちらをどうぞ」
ソリスト用の派手目な衣装は各自で用意するのだけれど、その上には皆で揃いのジャケットを着用することになっている。これを拵えるために多数のお針子さんがこの町に連れてこられ、完成後は移住を決めた人たちもいたようだ。
私が懇意にしているふくよかな服飾店の店長さんが、いきなり多数のライバルが増えて困惑していたよ。その分、自分のお店にも人手が増えて喜んでもいたけれどね。
演奏を阻害させないためと、目立たなくするためのシックでタイトなジャケットに身を包み、春先の冷たい空気の中を歩いて演奏会場――山の麓に建てられた野外音楽堂へと移動した。
ここで朝三つの鐘から夜二つの鐘までの半日間、ぶっ通しの生演奏会を行うのだ。懸念されていた魔力回復の問題は、お金持ちが多いということで解決できている。回復薬の大量投入という力業でね。これは貧乏人にも平等に配られているし、私もヘンテコ魔術で補助するよ。
まだ観客は誰も来ていない舞台を通り抜け、その裏手に併設された控え室に入る。そこでは私と同じジャケットを着込んだ人たちが緊張に包まれた面持ちで待機していた。
「おはようございます、メルヴィンさま。もう半数くらい来ていますね」
「おはよう。レオポルドはまだ来ていないが、そろそろ……あぁ、来たな」
「すまない、遅れたか? 集合は朝二つまでと聞いていたのだが」
「いえ、私も今到着したばかりですよ。では、最後の打ち合わせに入りましょう」
「そうだな。ええっと、一曲目は……」
「その前に、あの……モジャモジャ頭が探していたぞ。楽器を見てやるから持ってこいと」
昨日も早めに切り上げた後で楽器の点検をしていたのだけれど、その後も私が練習していたことはお見通しだったみたいだね。入れ違ったらしいモジャモジャを探して私のヴァイオリンを預けておいたよ。
それからは各曲のソリストを務める人も呼び寄せて、温度や風向きなどを考慮した演奏方法を話し合っていく。
開幕となる朝三つの鐘まで残り半分を切る頃には来場客が続々と集まっており、時間と共に喧噪が大きくなってきたので様子が気になって仕方がない。こっそり覗きにいこうと控え室の出口に近付くと、ヴァイオリンを抱えるモジャモジャが立っていた。
「話は終わったか? ほれ、楽器持ってきたぞ。予備の弓に松ヤニ塗っておいた」
「ありがとうございます。そういえば、最近磨いてませんでした」
予備も含め本体は何も問題ないとのことで、受け取ったヴァイオリンは邪魔にならないよう部屋の隅に置いておき、同僚の元へ行くと言うモジャモジャと共に控え室を後にした。
音楽堂の陰から観客席を覗き込むと、会場警備を請け負ってくれている領主の騎士団が目に入る。演奏会のために出発を遅らせたエミリーとシャノンや、昨夜のうちに呼んでおいたお母さん、その隣にいるお婆ちゃんも発見した。そこからやや離れたところには、舞台の方へ首を伸ばしているヴァレリアとベアトリス。そして、ルーシーさんやエドガーさんとその息子たち三兄弟の姿が見える。
他にも見知らぬ貴族が多数おり、そこからかなり距離を取って町の住人たちもいるようだ。さらに、事実上祖国が帝国に呑み込まれたマチルダさんも来てくれていた。
しかし、フィロメナさまが来ない。集合時刻はとっくに過ぎている。
昨日は大事を取って早めに休んでもらったのだけれど、治らなかったのだろうか。
まだ開演までに時間があるので、移動魔術のセットで空飛ぶひよこ亭の別館へと向かった。
途中でクレーマーお嬢様を見かけたけれど、また控え室に差し入れでも持っていくのかな。時と場合は考えてもらいたいね。
「フィロメナさまは……」
「申し訳、ござい……ません、サラ、さま」
「本格的に喉をやられたようですわ。残念ですけれど、これでは……」
部屋の前にいた護衛騎士に頼んで通してもらうと、フィロメナさまは喋ることすら辛そうで、ベッドからも動けないようだった。その彼女を看病していた領主夫人に話を聞くと、以前から喉に効くと言ってクレーマーお嬢様から贈られてきた薬を飲み続けていたらしい。
どう考えてもこれが怪しい。怪しすぎる。いつも来るたびに本人が言っていた励ましはただの皮肉だったのかも。素晴らしい舞台を期待しますわって。
おそらく、時間の巻き戻しで治るとは思う。しかし、全身の怠さともなれば狙いが難しく、うっかり頭に当たると練習した分がすべて吹き飛ぶだろう。もしもそうなればすぐに叩き込める量ではない。それができたらそもそも練習自体が不要なのだから。
音楽堂裏手の控え室に戻り、先ほどのことを楽団員に説明した。すると、皆は沈んだ面持ちではあるものの、現状を受け止めようとしている。ここで無理をして引っ張り出しても国宝が一つ失われるだけであると、私を含めて皆は同じ気持ちを抱いているようだ。
そこで、至急演目の調整を行うことになった。観客の度肝を抜くために、彼女は開幕一発目からの出番だったのだ。この穴は誰かが埋めなければならないだろう。以後の出番を調整する時間を稼ぐためにも。
そうやって思案に耽っていると、皆の視線が私に集まっていた。……まさか、私がやれと?
「え、いや、いきなりすぎて曲合わせが無理ですよ?」
「サラさまなら……!」
「待ってください。フィロメナさまの代理は無茶ですって!」
「他に誰がいると――!」
あのフィロメナさまが歌う手筈だったのだ。それも、私では逆立ちしても出せない美声で。
それに、大きな楽器の設置は終わっているし、声質が違うのだからそっくりそのままの演奏では調子が合わない。
「では、何か代わりの楽曲を!」
「楽器を使わなければなんとかなるだろう?」
「この状況でア・カペラを!?」
加速学習でいい気になっていた弊害が……。何でもそつなくこなせる凄いやつという印象が強くなっていたみたい。……楽器の宣伝なのにア・カペラ曲で開始するとか酷い冗談だ。
しかし、他に手立ては浮かばず、皆から縋るような目で見られた私が歌うことで決定された。
ピアノの発表会なら経験があるけれど独唱なんて初めてだ。カラオケにも行ったことがない。予定に入っている協奏曲のソリストというだけでも緊張しまくりなのに、歌いきる自信は皆無だよ。
だからといって、ここで中止はできない。失敗なんてもっと無理。それもこれもお金のため、延いては夢のためだ。なんとしても乗り越えるしかないのだよ。
そうやって覚悟を決めている間にも朝三つの鐘が鳴り、まだ始まらないことでざわつく観客を抑えるためにも、楽団員たちと舞台へ出て配置に付く。
曲目すらまだ決めていなかったけれど、ここは将来的に貿易港となる。それと、胡散臭くても教団を信仰している人も多いだろうから、アメイジング・グレイスを選び、歌った。
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