#164:ぎぶみーちょこれいと

 いくら待ってもチョコレートが届けられない。もう冬祭りはとっくに過ぎている。まったく、どれだけ待たせるのだ。後から始めた調味用ソースの工房はとっくに稼働しているというのに。

 まさか、私が演奏のレッスンと他の仕事に掛かりきりなのをいいことに、製作を任せてある菓子職人はサボっているのではなかろうか。


 そんな恐怖感に苛まれ、レッスンに参加しているグレイスさんとクロエちゃんにそれとなく話を聞いてみると、菓子職人による緊急集会が通達された。

 私や美人姉妹をはじめ、この町でも有力者のみに招待状が届いたらしい。きっと、試食会を催すつもりなのでしょう。


「皆様、本日はお集まりくださり、誠にありがとう御座います。以前、ヱビス商会のサラさまよりご依頼があり、書物をあさって研鑽を積み、今日まで試行錯誤に打ち込んで参りました。そうして、めでたく完成を迎えたこの商品を、皆様にお披露目したいと思います」

「ほうほう。期待していいのかな?」

「ええ、ええ、それはもう! 資金が底をつくまで何度も試作を繰り返しました」

「それはお疲れさ……ん、あれ?」


 その試作品を持ってきなさいよ。なぜ、やり遂げました――って爽やかな顔をしているのだ。

 やり方には不満しかないけれど、この面々を呼ぶほどに自信作なら許そうではないか。あれをおいしくすれば確実に売れるのだ。それはもう、驚くほどの利益を私の手元にもたらすことでしょう。考えただけでもよだれが……いや、これはチョコレートから漂う香りが原因だ。


 そんな私をよそにして、板チョコとミルクココア、チョコチップマフィンが順に配られる。それを矯めつ眇めつ口にすると、各々が感想を言い始めた。


「おお、これはおいしい。あの薬がここまでの変貌を遂げるとは」

「甘みと苦みがほどよい塩梅ですな。歯が溶けるようなアレには悩まされたものです」

「それに、固形の板状にするという試みも面白い。取り分で揉めることもなくなりそうだ」

「これはすぐにでも売り出せるのでは? 是非とも我が商会に卸していただきたい」

「……なにこれ。まっず」


 私の呟きが広がると共に場が静まり返り、それを耳にした菓子職人は言葉の意味が理解できないという表情を浮かべたまま佇んでいる。

 しかし、知ったことではない。これはまずいのだ。私の言いつけをまったく守れていない。


「あ、え……至高の一品、では……?」

「いや、ザラザラしてて食えたものじゃないよ。やり直して」

「やり直しとおっしゃいましても……」

「カカオはもっと細かくすり潰してください。私、言いましたよね?」


 あの時、よくすり潰すように言ったことを私は覚えているし、脳内メモもそう示している。それを聞いて元気よく頷いていたのは目の前にいる菓子職人のおっさんだ。それなのに、結果といえばこの有様で、許容できるものではなかった。


 私が冷めた視線で黙り込んだおっさんを眺めていると、場の空気を察した人たちが辞去するとのことで、せっかくだから食べかけの出来損ないはお土産に持ち帰ってもらったよ。あんな物は惜しいとすら思わないし、処分も面倒だったのだ。

 最後には、グレイスさんとクロエちゃんも静かに退室し、残るは私とスチュワート、そしておっさんの三名だった。


「何か言いたいことはありますか?」

「確かによくすり潰したのですが、まだ足りないとは思わず……」

「足りないとは思わずに、連絡もせず他の……マフィンの出来ばかり気にしていた?」

「……おっしゃるとおりです」


 どうやら認識が共有できていなかったようだね。快活な返事に勘違いしていたみたい。

 カカオ豆を挽いた粒の大きさは、具体例として小麦粉よりも小さくするように改めて伝えておき、絶対に水が入らないようにも注意した。板チョコも全体的にべたついて冷却が不十分に思えたので、表面にブロック状の模様を入れるようにも教えておいたよ。

 これもレシピに書いていたのだけれど、見た目が嫌だからと取り入れなかったらしい。……レシピを守らない菓子職人とかバカなのかしら。


「ちゃんと覚えましたね? 帰ってからもレシピを読み返してください」

「ええ、もちろんです。直ちに取り掛かりたいのですが、その……」


 そうすると、やり直すには資金が足りないと言う。無駄遣いしていたとしか思えない。

 おそらく、チョコレートの開発費をマフィンの製作に当てたのだろう。なぜ私が他のお菓子まで面倒を見なければいけないのだ。確かにおいしいマフィンではあったけれど、私が製作を求めたのはチョコレートなのだから。そもそも、マフィンは頼んですらいない。


 どうせまた無駄遣いしそうなので最低限のみ渡しておき、次に失敗したら今後一切の取引きをしないとも宣言した。チョコレートに妥協は許されないのだ。少なくとも、私が許さない。

 というか、どうして人を集めてまで発表したのだろう。まさか、材料だけでなく利益までも掠め取る算段だったのかな。この人はグレイスさんとクロエちゃんからの紹介だから、あちらに流そうという魂胆だったのかもしれない。

 その点を菓子職人に問うと、卸先が必要だろうから手を回したと言っていた。


 常日頃からグレイスさんとクロエちゃんにはお世話になっているから別にいいけれど、勝手な判断はいただけない。その辺りも重ねて注意してから解放した。

 進捗報告を密にするようにも言い付けておいたので、三日に一度は連絡がきたよ。




 そして、ヱビス屋さんが珍しくお怒りになったと噂されたあの集会から少し時が流れ、春のお祭りを前にして何とか納得できるチョコレートが完成し、一号店のラインナップに加わった。

 コロッケは二号店に移したので、調味用のソースや麦茶、転売用の香辛料くらいしか店頭に並べるものがなかったから、店内が随分と華やかになったよ。


 薄くて小さな板チョコが一枚で五〇エキューという高額商品だけれど、今はお金持ちが多く滞在しているから飛ぶように売れている。他にも、チョコチップを混ぜたマフィンやスコーンにクッキー、パウンドケーキも販売中。飲み物ならミルクココアと、それをコーヒーに入れたカフェモカがあるよ。

 なお、品種改良まで施して待ちの一手だったチョコバナナは私だけで堪能中だ。脳内メモに残っている縁日のチョコバナナが再現できるまでは、一人でこっそり食べるのです。


 思うところはあるけれど、こうして結果を見せたので、あの菓子職人は私が抱え上げた。

 今は工房に篭もって死に物狂いでカカオ豆をすり潰しているはず。専用の機器も作っているので体力的にはさほど困らない。あまり表に出てこないのは別の理由なのかもね。私が様子を見に行くとビクビクしていたよ。


 そういえば、お母さんにもチョコレート菓子を持っていくと、蜘蛛クリームコロッケ以上に気に入っていた。もう取り扱う気が満々で、次の春にはコロッケをやめてチョコレート販売店として生まれ変わりそうな勢いだ。


 しかし、平民にはかなり厳しいお値段だから、貴族街に移転したほうがいいのかもしれない。チョコレートの利益を考えたら家賃の不安はないのだし。

 そうなれば、リンコちゃんの予約をそこで受け付けるのも悪くない。このやり方なら楽器も取り扱えそうだし、受け取りで来店した際にはお土産としてチョコレートも売れそうだ。




 私がチョコレートの件で小躍りしている間にも、演奏会の日取りが間近に迫ってきた。

 もちろん、ただ踊っていたわけではない。教える立場の私が下手では非常に情けないので、加速の魔術を使ってひたすら練習に打ち込んでいたよ。……チョコバナナを食べながらね。

 それは時間がほぼ停止している世界なので、基本的には朝から晩まで皆とレッスンだ。


「皆さま、素晴らしいですわ。わたくしも参加できればよかったのですけれど」

「申し訳ございません。人数の都合もございまして」

「ええ、わかっていますわ。それよりも、こちらを皆さんで」

「いつもありがとうございます」

「では、素晴らしい時を期待していますわ」

「ご期待に添えるよう精進いたします」


 よほど参加したかったのか、あのクレーマーお嬢様が今日も今日とてやってきた。しかも、うちで買ったチョコレート菓子を持ってくるから余計に追い払いづらい。

 最近はすぐ帰るからましなのだけれど、それは話し相手のフィロメナさまがお休みだからだ。ここのところ、喉に不調の気配があって欠席が目立つから心配だよ。私が唯一の歌姫と決めていたから補欠はいないし、早く治ってくれるといいのだけれど……。


 お邪魔虫が帰ってからもレッスンの追い込みをかけていると、今日も楽器工房の職人さん達を引き連れたモジャモジャがやってきて、適当に一曲リクエストした。


「そろそろ息抜きでもどうだ? 最初に弾いてたあれを聞かせてくれ。ほれ、G線がどうとか」

「ああ、G線上のアリアですね」

「どのような曲なのですか?」

「えっと、これはゆっくりと下りてくるベースラインが素敵なんですよ。それで――」


 息抜きに違う曲を求められた。どうせ休憩するなら私はチョコバナナが食べたいです。

 それでも、知りたいというなら教えますとも。団員たちは技術と知識の吸収がすごいからね。教え甲斐があるとはまさにこの事だ。

 それを弾き終えると他の職人さんからもリクエストが入り、また皆に教えながら演奏したよ。

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